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今夜、姉上の願いを叶える

 

レイは、西棟の自分の部屋まで疾風のように駆け抜けた。


すれ違う侍女が、目を丸くして後退りをする。


後ろの方で、「レイ様!」と叫ぶサキの声が聞こえるが、

止まるほど、心の余裕はなかった。


何度も思い出す。


ヘンリーの真剣な眼差し、近づく顔、

頰を挟んだ大きな手。


そして、柔らかくて、湿ったあの感触。


「……くっ」


思い出すだけで、顔から火が出そうになる。


その記憶を打ち消すように、

全力で走っても、呼吸が苦しくなっても、

それを忘れることができない。


レイは、猛烈な勢いで扉を開け、

寝台に突っ伏した。


『俺は好いた女しか、口付けをしない』

ヘンリーの言葉を思い出す。


その彼は、自分に口づけをした。


ーーそれって。


考えた瞬間、顔が熱くなった。


激情型の母とユウ、天真爛漫なウイを見て、育った。


姉たちの様子を見て、幼い頃から、立ち回りの方法を知っていた。


「あなたの父も、穏やかな人だったわ」

母が自分を見て、微笑んだ。


気持ちが乱れないのが、唯一の取り柄だと思っていた。


それなのに。


ーー最近の自分は変だ。


自分で、自分の気持ちを抑えることができない。


先ほど、ヘンリーに話したあの言葉。


『一緒よ。同じ血が流れているのよ。

好色で女をもて遊ぶ血が、ヘンリーにも流れているのよ』


あれは、言い過ぎた。


自分だって、『セン家の姉妹は気が強い』と言われるたびに、

『違う』と思う。


血のことを言われるのを、何よりも嫌っていたのに。


なぜ、あんなことを言ってしまったのだろう。


「レ……イ様……」

息を切らしながら、サキが部屋に駆け込む。


聞こえていたが、レイは頭から布をすっぽりと被る。


ーーこのまま消えてしまいたい。


布を被るレイに、サキは息を弾ませながら、そばに座り込む。


「ヘンリー様は、ひどい。あれは、あまりにも軽率です」


いつも静かなサキが、珍しく怒っている。


レイは、ゆっくりと布を外して顔を上げた。


「あんな風に、口づけをするなんて!

レイ様は、嫁入り前なのに!!」

サキの顔には、怒りが滲んでいた。


その言葉に、レイは目を見開いた。


サキの言葉で気づいたのだ。


ーーヘンリーが口づけをしたのは……嫌じゃなかった。


その事実に気づいた瞬間、

レイは思わず両手で顔を覆った。


そうだ。


口づけが嫌なのではない。


突然のことで、どうして良いのか、わからなくなったのだ。


「サキ……私、自分でも最近、変だと思うの」

レイは、俯いて話す。


「無理もありません。いろんなことがありましたから……」

サキは気遣うように話す。


口づけだけではない。


ユウが妾になった本当の理由を知ってから、

レイの心は不安定だった。


その上、今日は国王と妃に対して、意見も言っている。


「レイ様は……いろんなことを抱えすぎたのです」

サキは、そっとレイの背中を撫でる。


小さく頷く、レイの背中を撫で、

サキの声は少し低くなった。


「その上、ヘンリー様まで。……今日は、ゆっくりお休みください」


レイは、小さく頭を振った。


「姉上の部屋に行かなくちゃ」

その声は、少しだけ落ち着いた。


心配そうに見つめるサキの顔を見て、小さく頷く。


「サキ、今夜は忙しいわ」


ーー自分の心の葛藤は、どうでもいい。


レイは、ヘンリーのことを心の片隅に押しやることを決めた。


……そう思っても、隅に追いやったとしても、

いつの間にか、再び、心の深いところに彼がいる。


レイは、目を瞑って必死に息を整えた。


ーー今夜、姉上の願いを叶える。


そのために、力を尽くす。



同じ頃ーーユウの部屋。


その日の午後は、よく晴れたいい天気だった。


ユウは、珍しくあくびをして、ソファの背もたれに身を預けた。


最近、眠りが浅い日が続いた。


「なんだか、眠くなるわ」

少し力が抜けた言葉に、シュリは、ふっと頰を緩める。


春が来ていた。


暖炉に薪をくべるのが減ってゆくのと同じ速さで、空気が暖かくなっていく。


「シュリ……」

ソファに背もたれに頰を寄せて、ユウは瞼を重そうにした。


少し甘えた声を出すユウに、シュリは頰を緩める。


この声を出す時のユウは、決まって眠い。


シュリはソファの背後へ回る。


指先で、金色の髪をそっと梳いた。


「……少し休んでください」


優しいシュリの声に、ユウは、子供のように小さく頷き目を閉じる。


穏やかで、心地が良い春の午後の空気は、

勢いよく開かれた扉の音で変わった。



シュリの指先は、まだユウの金色の髪に触れていた。


扉が開く音に、二人は同時に顔を上げる。


レイが扉の前で立っていた。


ユウは、先ほどまで眠たげに細められていた青い瞳が、一瞬で引き締まる。


姉の顔を作り、声をかけた。


「レイ、どうしたの?」


レイの手には羊皮紙が握られていた。


その黒い瞳は、強い光がみなぎっていた。


「姉上、シュリ、今こそ、行動をする時だわ」


レイの言葉に、ユウは目を見開いた。


いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。


気が付けば300話となりました。


正直なところ、まさか300話まで来るとは思いませんでした。


書き始めた頃は、ここまで長い物語になる予定ではなかったのですが、

ユウやシュリ、そして周囲の登場人物たちを書いているうちに、気付けばここまで歩いてきていました。


ブックマークや評価、感想をくださる方はもちろん、

静かに読み続けてくださる皆様にも感謝しております。


そして、長くなってすみません。


ここからは、それぞれの想いと選択が形になっていく章になります。


最後まで楽しんでいただけるよう、

一話一話大切に書いていきますので、お付き合いいただけたら嬉しいです。


次回ーー明日の20時20分

レイが切り開いた、月に二度の特別な夜。


母の許しを得たシュリは、西棟へ向かう。


そしてユウは、静かにその時を待つ――。


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