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好いた女しか、口づけはしない


レイが出ていった後に、重苦しい空気が部屋によどむ。


ミミは怒った雌鶏のように、胸を膨らませていた。


キヨは、一秒でも早くこの場を逃れ出たく、視線を彷徨わせていた。


「まったく」

この空気に耐えられなくなったように、弟のエルが朗らかな声で話す。


「あの姫は、姉に負けず劣らず気が強い」

肩をすくめて話す。


「そうじゃな。セン家の姉妹は手が焼ける」

キヨも釣られて、妙に甲高い声で話す。


「……ユウ様よりも、気性が激しいか、と」

イーライは、言葉を添えた。


「そんなこと、どうでも良いのです」

ミミが一蹴する。


「僕は、ここで失礼するよ」

ヘンリーは、勢いよく立ち上がった。


隣に座っていたエルが『逃げるな』と言わんばかりだったが、

無邪気な声を出す。


「剣の稽古をしなくちゃ」


扉を閉める直前に、振り返る。


部屋の雰囲気は最悪だった。


ヘンリーは、急いで廊下を駆けた。


本館の玄関に、レイの後ろ姿を見つけた。


「レイ!」

その声に、サキがびくりと肩を振るわす。


レイは、ゆっくりと振り向く。


ヘンリーは思わず駆け寄り、レイの右腕を掴んだ。


「レイ、話がある」


その言葉に、レイはゆっくりと頷いた。


庭園のいつものベンチにレイを座らせ、ヘンリーは上から見下ろす。


「レイ、何を考えている?」


「別に……何も考えてないわ」

レイは静かに答えるが、視線は頑なにバラの枝を見つめていた。


「嘘だ」

ヘンリーは、レイの横に座る。


そして、じっとレイの瞳を見つめた。


その眼差しが、あまりにも強くて、レイは思わず目を伏せた。


「教えてくれ。何をしようとしている」


「私はただ……姉上と一緒に過ごしたいだけよ」

それは、嘘ではなかった。


「……」


無言のヘンリーに、レイは顔を上げた。


「姉上のためなら、なんでもしたいの。

あの男は……姉上の部屋に入り浸って、この前は口づけをしていたわ。

気持ち悪い!」

レイの声に、徐々に苛立ちが含まれていた。


「叔父上も、ユウ様も大人だ。口づけくらい……するだろ」

ヘンリーは、つぶやく。


「あんな風に、人前で……気持ち悪いのよ!」

レイの声には、憤りが募る。


「王である叔父上の周囲には、いつでも家臣がいるものだ。

誰にも見られないのは無理だ。

口づけくらい、仕方がないだろ」

ヘンリーは、宥めるように話す。


「口づけくらい?」

レイの声は、低かった。


その声で、ヘンリーはレイの逆鱗に触れたことに気づく。


レイは、信じられないものを見るようにヘンリーを見つめた。


そして、静かに笑った。


「あなたも、あの男の甥だけあるわね。

トミ家の男は挨拶みたいに、見境なく口づけをするんでしょうね」

レイは、怒り任せにベンチから立ち上がった。


「そんなことない」

ヘンリーは、思わずレイの袖を掴む。


「一緒よ。同じ血が流れているのよ。

好色で女をもて遊ぶ血が、ヘンリーにも流れているのよ」

レイは、そう言って庭から出ようとした。


「俺は違う!叔父上と違う」

ヘンリーは、思わずレイを引き寄せる。


「離して!」

レイが叫ぶ。


サキが戸惑うように、近づく。


国王と妃を欺いたゆえの緊張の反動だろうか。


レイの感情の昂りを抑えようと思い、


「レイ様」

宥めるように声をかける。


ヘンリーは、レイをじっと見つめる。


レイも負けずに、反抗的な目で、ヘンリーを見上げる。


レイが本気で自分を軽蔑しているように見えた。


その眼差しだけは、どうしても受け入れられなかった。


「……俺は、好いた女しか、口づけはしない」


次の瞬間、ヘンリーの手が頬を包んだ。


レイは思わず息を呑んだ。


驚いて顔を上げた時には、もう逃げられなかった。


視界いっぱいにヘンリーの顔がある。


次の瞬間、唇に温かい感触が落ちた。


長いような、ほんの一瞬のような時間だった。


レイは、足に力が入らず座り込みそうになった。


それを、ヘンリーが気付き、慌てて唇を離す。


「え……」

レイの目が見開かれる。


「あ……」

衝動的にした自分の行いに、ヘンリーは目を丸くした。


ーーとんでもないことを、してしまった。


目の前には、呆然としたレイの顔が見える。


「レイ、すまない」

ヘンリーは、狼狽しながら言葉をかけるしかなかった。


レイは、黙って後ろへ下がった。


心臓がうるさい。


何が起きたのか、理解が追いつかない。


唇に残る感触が消えない。


思わず指先で触れようとして、慌てて手を握りしめた。


頭の中が真っ白だった。


キヨを言い負かした時も。


ミミを味方につけた時も。


こんな気持ちにはならなかった。


「レイ、悪かった」


ヘンリーの声が聞こえる。


けれど、その言葉は耳に入らない。


見れば、また心臓が暴れそうだった。


レイは勢いよく踵を返す。


そして次の瞬間、一目散に走り出した。


「レイ!」

声をかけて、追いかけようとするヘンリーを、

ものすごい形相でサキが睨みつけた。


小さくなる黒い背中を見つめながら、ヘンリーは自分の唇にそっと触れた。


もう、友人として見ることはできないと、その時初めて知った。


次回ーー明日の20時20分


初めての口づけの余韻を抱えたまま、レイは姉の願いを叶えるため動き出す。


「姉上、シュリ、今こそ、行動をする時だわ」



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