母さん、許してほしい
「ユウ様、そのような行いは反逆ではなく、
人として道が外れたものです。なりません」
そう話すヨシノの眼差しは、毅然としたものだった。
ユウとレイは、顔を上げヨシノを見つめる。
「国王を騙し……不義の子を望むなんて……。
そんな事をしたら、グユウ様とシリ様に顔向けができません」
ヨシノの唇は震えていた。
彼女の話すことは、あまりにも正しい。
レイは、思わず下を向く。
ユウは、ヨシノの顔を静かに見つめていた。
「愚かな考えはお捨てください」
ユウの瞳をのぞき込むように、ヨシノは念を押した。
部屋は静まり返る。
「ヨシノ……私に仕えたばかりに、あなたは苦労をかけさせているわ」
ユウはポツリと話す。
仕える姫の生き方で、乳母の地位も生活も変わる。
ーーもし、自分が復讐を望まない娘だったら、ヨシノはもっと穏やかに暮らせただろう。
夜の営みの時も、隠し小部屋で待機しなくても良い。
「そんなことないです」
ヨシノは、すぐに返事をした。
ユウは立ち上がり、ヨシノの前で両膝をついた。
戸惑うヨシノの頬を、両手でそっと包む。
「ヨシノ……ごめんね」
真面目な目つきで、優しくヨシノの目を覗き込む。
「……謝らないでください」
ヨシノは、戸惑うように話す。
「……従順な娘じゃなくて、ごめんね。
ヨシノは、一生懸命育てたのに……」
「ユウ様は、立派に成長なさいました。
私の……自慢の姫様です」
ヨシノは、声を震わせる。
ユウは、ヨシノの顔を見つめた。
「この件は、私が望んでいることなの。
反逆だとしても……人の道に外れていても、私が望んでいるの」
真摯なユウの眼差しに、ヨシノは何も言えなかった。
ーー知っている。ユウ様の苦しみを。
隠し小部屋で、いつも苦痛に歪んだ顔、
苦しみに耐えている姿を見ている。
行為の時に、思わず泣き出した時もーー
あの男は、「泣くほど良いのか」と喜んでいた。
輝くように美しく育ったユウが、萎びた年寄りの男に触れられ、
唇を落とされ、抱かれる。
これで良いのだと必死に言い聞かせても、
納得できない気持ちを抱えていた。
ユウが苦しみに耐えている姿を、いつも見守っていたのは、ヨシノだった。
ヨシノは、何か口を開こうとした。
けれどーー言葉が出ない。
「ヨシノ……あなたも本当はわかっているでしょ」
声を出したのは、隣に座っているサキだった。
サキは、ゆっくりとヨシノに顔を向ける。
「……何をわかっているの?」
答えながらも、ヨシノはサキが言わんとした事を理解してしまった。
サキは、思い切って口を開く。
「ユウ様と……シュリのことよ」
その瞬間、部屋に沈黙が落ちる。
ユウの指先がぴくりと震えた。
まるで胸の奥を見透かされたようだった。
長年、仕えている乳母たちは、ユウとシュリの事を
暗黙の了解として認識していた。
それは、想いあっているが結ばれない関係だった。
こんな風に、他人からはっきりと言われたのは、初めてだった。
ヨシノは目を閉じた。
二人が口づけをしている姿を見たこともある。
そして、いつも交わす眼差しに気持ちが滲んでいることも気づいている。
寝室に行く前に、ユウは縋るような目でシュリを見つめ、
シュリもまた、切ない表情で返す。
それに気づかないふりをしていた。
言葉を失うヨシノに、サキがにじり寄る。
「ユウ様は、ずっと我慢をしていたわ。
私は……応援したくなってしまったの」
「……なりません」
ヨシノは、ユウの手を優しく外す。
「ヨシノ!」
レイが悲痛な声を出す。
「私は、シリ様から託されたのです……ユウ様を守る、と」
ヨシノは、弱々しく顔を振る。
「そうよ。『ユウは特別な子、頼みます』とシリ様は話していたわ」
サキは、頷く。
自分もその時、隣で聞いていた。
「だから、守らないと……」
震えながら、ユウの手を握るヨシノの手にサキは自分の手を重ねた。
「もし、シリ様が生きておられたら……何て仰るかしら。
反対すると思う?
人の道に外れている……と。それとも……」
その言葉に、ヨシノは目を見開いた。
「あぁ……」
ヨシノは思わず天井を見上げてしまった。
ーーあの方なら、きっとこう言う。
『協力するわ』と。
そして、
『シュリなら任せられる』と真剣に頷くだろう。
けれど、それで良いのだろうか。
シリ様は、娘の幸せを願う人だった。
だからこそ。
だからこそ、この先に待つ破滅を知りながら、
「行きなさい」と言ってしまう気がした。
「ヨシノ」
声をかけられて、ヨシノはユウに向き合った。
目の前には、シリそっくりなユウが自分を見つめていた。
美しい金色の髪、そして、強く揺るがない青い瞳。
「私が望んでいるの。シュリと……一緒に」
シュリも近づいて、膝を折る。
「母さん。許してほしい」
シュリの声は震えていた。
幼い頃から呼び慣れた呼び方だった。
ヨシノは思わず目を閉じる。
この子も、自分が育てたのだ。
並んで座る若い二人には、若さと未来があった。
そして、その未来を守りたいと思ってしまった。
乳母としては間違っている。
けれど――母としては。
ヨシノは、小さくため息をついて、頷いた。
「……わかりました」
その時ーーカチッと扉の小窓が開いた。
「失礼します」
入ってきたのは、イーライだった。
顔を上げたイーライは、異様な光景に目を見張った。
姫様づきの乳母がソファに座り、
ユウが膝をついている。
隣に、寄り添うようにシュリがいる。
そして、ユウの瞳には泣いた跡がある。
戸惑うイーライに、レイが静かに話す。
「昔の事を思い出していたの」
その一言で、イーライは目を伏せる。
「左様でございますか」
「イーライ」
ユウは細い指先で、涙を拭い立ち上がった。
「今日は、私の誕生日だから……お菓子はたくさんあるの?」
「もちろんでございます」
イーライは、ワゴンに乗っている白い布を外した。
ワゴンには、溢れんばかりの菓子が並んでいた。
中央には、ユウが好きな杏のケーキがある。
「それなら……ここにいる皆と一緒に食べたいわ」
ユウが微笑む。
「皆様……とですか」
イーライが戸惑う表情をする。
「良いでしょ。今日は私の誕生日なの」
ユウは、少し顎を上げる。
彼女のお願いに、イーライが逆らえるはずもない。
「はっ」
静かに頭を下げて、控える侍女に茶器の追加を頼んだ。
こうして、ユウの誕生日の茶会は、
賑やかで和やかな空気に満たされた。
ヨシノとサキは、普段口にしない泡立てたクリームとケーキに頬を緩ませた。
レイは、甘いものが苦手なイーライに、しきりにスコーンを勧めている。
シュリは、紅茶を飲み干すと、
ユウが自分を見つめていることがわかった。
微笑むユウに、しばし見惚れ、静かに頷く。
19の誕生日。
ユウとシュリだけではない。
レイも、ヨシノも、サキも、
この日、それぞれの覚悟を胸に、
同じ秘密を抱える者になった。
第7章、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
気づけば、第7章だけで102話になっていました。
……第7章だけで、です。
自分でも「そんなに?」と思っています。
当初はここまで長くなる予定ではなかったのですが、
登場人物たちが思った以上に悩み、迷い、暴走し、作者の予定を軽々と飛び越えていきました。
後々、章立ては改稿で整理する予定です。
そして次回からは最終章となります。
ご安心ください。
最終章は102話もありません。
たぶん。
きっと。
……ないと思います。
最後まで見届けていただけたら嬉しいです。
次回ーー明日の20時20分
誕生日の夜は、誰にとっても穏やかなものではなかった。
王の望み、忠臣の葛藤、姫の覚悟。
そして最後に、最も反対していた乳母が、小さく呟く。
「……何か、策はないかしら」
止まっていた運命が、静かに動き始める。




