五年続いた二人の秘密
冬の淡い陽射しが、大きな窓から図書室へ静かに差し込んでいた。
古い羊皮紙と革表紙の匂いが、冷えた空気の中にゆっくりと溶け込んでいる。
ユウの細い手は、本の背表紙をなぞるように触る。
「……欲しい本はないわ」
ため息をつくユウに、シュリは苦笑いをした。
「……ないと思いますよ」
その言葉に、ユウは唇を尖らせる。
目線は、『どうして?』と言わんばかりだった。
シュリは、近くにいるヨシノへ視線を向けたあと、
小さく声を潜めた。
「暗殺や毒殺の方法はあっても……
“王に気づかれず報復する方法”なんて、普通は載っていません」
ユウは、不満そうに別の本へ手を伸ばす。
けれど、探している答えはどこにもない。
キヨを殺めることは、もう現実的ではなかった。
日中は、多くの兵が護衛している。
寝室で、2人きりになったとしても、
必ずイーライの確認が入る。
小さな針ですら隠しても、きっと見つかる。
だから二人は、別の道を選んだ。
キヨではなく、シュリの子を宿すこと。
それが、妾としてできる最大の報復だと考えたのだ。
けれど、それすら簡単ではない。
妾となったユウの周囲には、
四六時中、侍女や乳母が控えている。
二人きりになる時間は、驚くほど少なかった。
殺めることも、子を授かる行為もできない。
状況は、八方塞がりだった。
俯いたユウに、上から優しい声が降ってくる。
「ユウ様、お誕生日おめでとうございます」
シュリが微笑みながら告げる。
その温かく、陽だまりのような眼差しに、ユウの胸が温かくなった。
「……ありがとう」
ユウの顔は、花のように綻んだ。
豪華な贈り物があるわけでもない。
けれど、シュリの優しい言葉と、少し照れたような表情、そして、穏やかな茶色の瞳で見つめられると、嬉しくなってしまう。
「雪が降らない誕生日は、初めてですね」
後ろに控えていたヨシノが、頷く。
ユウは、シュリとヨシノの顔を見つめた。
物心ついた時から、2人は自分のそばにいた。
父を失った時も、
母を置いて、燃え盛る城を出た時も、
2人は支えてくれた。
「あなた達がいたから……私は、ここまで来られたのよ」
「もったいないお言葉です……」
ヨシノは、少し涙目になった。
「ヨシノ、シュリ、ありがとう」
ーーこんな美しい人はいない。
微笑むユウの顔を見て、まぶしそうな顔でシュリは見つめた。
◇
同じ頃ーー
馬場から戻ったレイは、ユウの部屋に足を運んだ。
ーー疲れた。
昨夜、訪れなかった眠気が、今訪れた。
そして、アーサーに話したことで、
母を失った時のことを思い出し、胸が疼く。
ーー姉上と話したい。
レイは、重い足を引きずり部屋の扉を開けた。
いつものソファに、姉はいない。
部屋には誰も、いなかった。
「お出かけをされているのですかね」
サキは、周囲を見る。
「……ここで、姉上を待っている」
レイは、幼児のように呟いた後に、あくびをした。
バルコニーの前に、置いてある藤の椅子に座った。
「レイ様、私は、これから衣装部屋に行って参りますが……」
サキが声をかける。
レイは、黙って靴を脱ぎ、膝を抱えた。
小柄なレイが膝を抱えると、大きな藤の椅子にすっぽりと包まれてしまう。
しばらくすると、静かな寝息が部屋に響く。
サキは、ユウの膝掛けをレイの体にかけた。
「ゆっくり、お休みください」
優しい声で、そう呟き、部屋を後にした。
◇ 20分後ーー
部屋の扉が開く音が、レイの耳に届く。
「結局、欲しい本はなかったわ」
ユウの不満そうな声が、部屋に響く。
「王家の図書室にないのであればーーどこを探しても、ないか、と」
控えめに話すシュリの声が聞こえ、ユウの小さなため息が落ちる音も聞こえる。
レイは、半分夢の中を漂うように聞いていた。
「ユウ様、少し席を外してもよろしいですか」
ヨシノの声が響く。
「なぜ?」
「新しく仕立てられた春服が、衣装部屋に届いているようです」
ヨシノは、少し言いにくそうに伝えた。
その衣装の送り主は、キヨだった。
「そう」
ユウの声の温度が、少し低くなった。
「すぐに戻ります」
ヨシノは、頭を下げ部屋を出ていった。
扉が閉まるなり、部屋に静かな沈黙が落ちた。
レイは、ゆっくりと瞼を開けた。
覚醒したのは、部屋の空気に張り詰めたものを感じたからだ。
ーーいつ頃、声をかけようか。
そう思った時に、聞いたこともない姉の甘えた声が耳に入る。
「……今日は誕生日だから、いつもと同じものが欲しいの」
レイの目は、見開いた。
部屋には、姉とシュリ、そして、自分しかいない。
レイは藤の椅子の中で、息を詰め体を縮こませた。
「……いつもので、よろしいですか」
シュリの声は掠れていた。
ーーいつものって。
レイは、息を詰めたまま耳を澄ました。
体中が燃えているように、居た堪れない。
膝掛けの布を、思わず握りしめた。
十四の頃から、二人が口づけを交わしていることは知っていた。
けれど、その五年の重みを、レイは今になって初めて悟った。
「……お願い。ヨシノが来る前に」
それは、姫でもなく、長女でもなく、母親がわりのものでもない。
ただ一人の女性のような湿り気を帯びていた声だった。
ーーシュリと二人きりの時の姉上は、こんな感じなんだ。
向こうで、衣擦れの音が小さく重なった。
声は聞こえない。
けれど、二人が抱き合っているのだと、なぜかわかってしまった。
「シュリ……」
ユウの声が小さくなる。
そして、静かな沈黙。
次の瞬間、空気が甘く震えた。
ーーどうしよう。
レイは、息を凝らして身を縮めた。
もうすぐ、ヨシノが戻る。
その時に、現れても遅い。
このまま、隠れるのは難しい。
悩んでいる間に、ゆっくりと空気がほどけるのを感じた。
名残を惜しむような沈黙のあと、
二人の気配が、わずかに離れた。
ーー今しかない。
レイは、拳を握り締めた。
シュリは、熱で潤んだ瞳のユウを優しく見つめ、
その赤い頰を、そっと手のひらで撫でた。
その親指は、ユウの唇に触れる。
ユウは、口を少し開いていた。
潤んだユウの瞳を見つめて呟いた。
「ユウ様……お誕生日ーー」
そこまで、言った後に彼の言葉は途切れた。
目と口をまん丸に開け、言葉を失っている。
目線は、ユウではなく、その後ろに釘付けだった。
ユウも振り返り、息を呑んだ。
三人の間に、静寂が落ちる。
レイは小さく笑おうとして、うまく笑えなかった。
「……ごめんなさい」
小さく頭を下げる。
その頬は、自分でもわかるほど赤くなっていた。
次回ーー明日の20時20分
「前から知っている」
秘密は、ずっと妹に知られていた。
涙の告白の先で、姉妹は新たな決意を交わす――。




