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傷を抱えた二人

「少しお休みになられたら……」

部屋に戻ったレイに、サキは心配そうに呟く。


「眠いのに、眠れないのよ」

レイは、俯く。


寝台の上に横たわっても、一向に眠りは訪れない。


レイは、起き上がり靴を履いた。


「どこに行かれるのですか」


「散歩よ」


サキは、黙ってレイの後ろに寄り添った。


今のレイを一人にするわけにはいかない。


レイの足は、いつもと違う方向に足を進めていた。


「本館には行かないのですか?」

サキが声をかける。


「行かない」

レイは、振り返りもせずに応える。


「……なぜですか」


「あの生意気な子に会いたくないのよ」

レイは、鋭い声で返事をした。


アーサーに会いたくない。


そして……


寝不足でひどい顔の時に、ヘンリーに会いたくなかった。


レイは、ゆっくりと馬場に向かって足を運んだ。


2月とは思えない冬の、あたたかい日だった。


陽ざしが早春のそれのように、きらめいていた。


穏やかな風景を見て、レイは一つ息を吐く。


「私に何ができると思う」

その声は静かだった。


サキが顔を上げると、レイの黒い瞳は涙で滲んでいる。


「姉上を助けたいのに……何もできないの」

その声は震えていた。


「……レイ様」

サキは、レイの震える背中に手を添える。


ーー何も言えない。


母を亡くしてから、レイの心の支えはユウだった。


美しく誇らしい姉が、自分のせいで。身を捧げて苦しんでいる。


静かに涙を流すレイに、サキは声をかける。


「あそこに座りましょう」


厩の影の小さなベンチに足を向けると、

レイとサキは、先客がいることに気づいた。


ーーアーサーだった。


紺色の服を着て、静かに座っている。


ーーうわ。


レイは、顔が引き攣るのを自分でも感じた。


この子に会うのを避けたつもりなのに、ここでも出会ってしまう。


どういうことだろうか。


アーサーは、レイの濡れた瞳を見て、わずかに目を見開く。


けれど、何も言わずに挨拶をした。


「こんにちは」

何か問いたげな眼差しで挨拶をする


「……」

レイは、無言でその場に立ち尽くす。


ーーこの子と話すつもりは毛頭ない。


レイは、無言で踵を返すつもりだったが、

その後に、アーサーはニヤニヤしながら話す。


「今日は、恋人と一緒にいないのですね」


「恋人ではないわ」

レイは、反射的に返事をした。


「……そうですか」

ニヤリと笑って、なにもかも把握しているかのようにうなずいた。


ーーやっぱり、この子は苦手。


レイは、どうやって城に引き返そうか思案に暮れていた。


「僕は、これから西領に戻ります」

アーサーはポツリと返事をした。


その言葉に、レイは顔を上げる。


「……もう返されるの?」


アーサーは、見透かすようにレイを見つめた。


「そうです」


「なぜ……?」


「普通の女子なら、祝福の言葉じゃないですか」

アーサーは気だるそうに、レイを見上げた。


「あなたは、人質になって日が浅い。

成人の儀をして、すぐに領土に戻るって変よ」

レイの的確な発言に、アーサーは口の端を緩めた。


「国王はアオイ家を屈服させた。

だからこそ、余裕を見せたのだと思いますよ」

幼い顔立ちで、大人のような言葉を発した。


「そうね……キヨがアオイ家を敵に回さず、従わせた状態で利用したいからでしょ」

レイも、冷静に返す。


「ははは……」

アーサーは何がおかしいのか不快な笑い声を立てた。


「何がおかしいの?」

レイの声に苛立ちが混じる。


「女性は、何も知らない方が可愛らしいですよ」

アーサーは、顔を歪めた。


ーーもう、帰ろう。


レイが、立ち去ろうとした時に、アーサーがドレスの裾を掴む。


振り向いたアーサーの顔は、先ほどと違って真摯なものだった。


「ここに出る前に、謝りたいことがある」


レイは、静かに彼と向き合う。


アーサーは、しばらく口元を歪め、ようやく伝えた。


「あなたの姉君のことは、知らなかった」


灰色の瞳は、地面を見ていた。


「僕は……あなたが、父上との婚姻を嫌がって、

逃げたんだと思っていた」


レイは、何も答えない。


アーサーは、小さく唇を噛んだ。


「だから、あんな言い方をした」


風が吹き、少年の髪が揺れる。


「傷ついたわ」

レイは静かに言った。


「……言われて気づいた」

アーサーはすぐに返した。


その返事が妙に子供っぽくて、

レイは少しだけ目を見開く。


「でも、あなたが泣いた時、ちょっと……嫌な気分になった」


アーサーは、ようやくレイを見た。


「ちょっと?」


「かなり」

不貞腐れたように言う。


けれど、その灰色の瞳には、確かに後悔が滲んでいた。


「だから……その悪かった」

アーサーは、心底嫌そうに顔を歪めた。


レイは、思わず瞬きをする。


あのアーサーが、

頭を下げこそしないが、ちゃんと非を認めた。


「私はね、あなたくらいの歳の頃に母を亡くしたの」


その言葉に、アーサーは少し目を開いた。


「……病気、か?」


「キヨの妾になるのなら……と母は自ら死を選んだの。

私は炎に包まれる城を、見届けるしかなかった」


レイは淡々と話す。


アーサーは何も言えなかった。


つい先日、病気で亡くした母に縋りついて泣き叫んだ。


それは、身を捩るほど悲しい出来事だった。


けれど、彼女の喪失は、質が違う。


「……父君は」


「私が赤ん坊の頃に、戦に敗れて死んだわ。

叔父上と……キヨに、城を落とされたの」

レイは目を伏せた。


その言葉に、アーサーは目を見開いた。


言葉を失うアーサーを横目に、

レイは淡々と話す。


「母が死んでから、姉が私の支えだった。

……その姉が、私を救うために、自分の両親を殺した男の妾になったの」

声は、わずかに震えていた。


閉じ込めていた涙が、溢れそうになる。


アーサーは、黙って目を伏せた。


彼女たちの報われなさに、何とも言えない嫌な感じがした。


自分は十分苦しんだと思っていたけれど、

母を看取ることができ、父もいる。



レイは、静かに顔を上げた。


「あなたは、アオイ家の次期当主でしょ」


「あ……あぁ。三男だけど、成り行きでそうなった」

アーサーの灰色の瞳は、かすかに揺れていた。


「成り行きとか、関係ないわ。

良い領主になって、女性が笑って暮らせる世を作る領主になりなさいよ」

レイは、手を差し出す。


「え……」

呆然とするアーサーに、レイは話す。


「落ち込む気持ちもわかるけれど……いつか、その傷は癒えるわ。……頑張って」


差し出した手を、アーサーは恐る恐る握り返した。


『それではーーまた』

と言おうとしたが、レイは考え直した。


ーーもう、この少年に会う事はないだろう。


「それではーー元気でね」

握り返した手を静かに離した。


立ち去る黒髪の少女の背中を見つめながら、

アーサーは不思議な胸騒ぎを覚えた。


その理由を知るのは、まだ先のことだった。


次回ーー明日の20時20分


「今日は誕生日だから、いつもと同じものが欲しいの」


扉の向こうで交わされる、姉の甘く優しい声。


五年間、誰にも知られず積み重ねられてきた想いを、

レイは思いがけず目の当たりにする――。

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