許されぬ渇き
レイが真実を知ってから、あっという間に一週間が経った。
ユウは、再びキヨに寝室に呼び出された。
◇夜 西棟 控室
複数の蝋燭が揺らぐ中でも、イーライの声は淡々としていた。
「失礼します」
そう言って、肩を震わせたユウに近づく。
衣を脱いだユウの体は、白く青く光っているように見えた。
ふわりと立ち上る香りを嗅ぎながら、
イーライは、めまいがするような高揚感に襲われる。
それでも、淡々と任務である確認作業を行なっていく。
好いた女性の体を見ることができる。
触れることもできる。
けれど、口づけも、抱きしめることもできない。
渇きを必死に抑え込むのが、精一杯だった。
ーー何を考えている。
イーライは、静かに拳を握り締めた。
相手は主君の妾だ。
しかも自分には、妻もいる。
許されない。
そう理解しているからこそ、
胸の奥で膨れ上がる感情が、ひどく醜いものに思えた。
指先を、油で整える。
その様子に、ユウは息をのむ。
流れるような美しい所作は、
茶を淹れるように、躊躇いがない。
まるで――触れる位置も、深さも、
すでに計算されているかのように。
偶然のようでいて、
その動きには一切の迷いがない。
逃げる隙が、どこにもなく、いつものように、ユウは彼の指を受け入れた。
イーライは、静かに指を引き抜き、頭を下げる。
「異常はありません」
ユウを寝室に送り出してから、
イーライは、指先を見つめた。
数ヶ月前、ユウの体にはもっと熱と潤みがあった。
今は、再び油を必要とする体へ戻っていた。
体の波だろうか。
薬湯の効き目が薄れたのだろうか。
それともーーあの時は、体調が違ったのだろうか。
すぐに、シュリの顔が浮かんだ。
しかし、証拠もない。
体の熱を説明すれば、己の職務の異様さが際立つ。
そして、この時間が、苦しみでもあり、密やかな喜びの時間であることに、イーライは嫌悪のため息を吐いた。
感情の波を鎮めるようにして、イーライは館に帰宅した。
「お帰りなさいませ」
アリスは、深々と頭を下げる。
「……もう、遅い。早く寝たほうがいい」
イーライは、目を伏せた。
先程まで、深い欲望に身を焦がしていた。
それを、妻に知られたくなかった。
アリスは、イーライをじっと見た。
毎日、見つめているからわかる。
彼の頰がわずかに、赤い。
「……イーライ様」
アリスは、そっと袖をひく。
夫は、週に一度、激しく自分を求める日がある。
それは、なぜなのか、ずっと聞けない。
けれど、夫からは知らない香の香りが漂っている。
「……今夜は、書斎で過ごす」
イーライは目を伏せる。
「私の体なら、大丈夫です」
腹の膨らみは、まだ人目につくほどではない。
「大事があったら、困るのはアリスだ」
イーライは、背を向ける。
アリスは、その背に向かって抱きしめた。
彼の頭の中を占めている女性ーー金色の髪が脳裏に浮かぶ。
それを、少しでも減らしたかった。
「イーライ様」
背中の柔らかな温もりに、イーライは抗えず目を閉じた。
◇
「……すまない。体は大丈夫か」
イーライは、息を弾ませながら、アリスの肩に触れる。
『大丈夫です』
そう伝えたかったが、アリスは荒い呼吸が邪魔をして、うまく声が出なかった。
暗闇のなかで、呼吸音は徐々に小さくなっていく。
「……イーライ様」
アリスの声は、弱々しかった。
「どうした」
イーライは、もう、すでに落ち着きを取り戻していた。
アリスは、ためらいがちに口を開き、それから閉じた。
けれど、目線はイーライを見つめている。
「何があった」
イーライの声は淡々としている。
「……妾を作らないのですか」
アリスの問いに、イーライの目は見開く。
「なぜ?」
「……重臣には妾が必要か、と」
アリスの声は、震えていた。
ーー嫌だ。
夫を独り占めしたかった。
けれど、多くの子を産むのは重臣としての任務でもある。
無言のイーライに、アリスは少し身を起こした。
「今は応えることができます。
けれど、子を産めば、しばらくは難しいです。
どうか……その間に他の方と……」
話しながらも、胸がグッと苦しくなる。
「必要ない」
イーライの言葉の端々に、関心を持っていないことが伝わる。
「でも……!」
アリスは、思わずイーライの肩に手を触れた。
「私は、領地を広げるつもりは毛頭もない。
子が産まれたら、他の領主の子と婚姻させるのではなく、
全て、トミ家に仕えさせるつもりだ」
アリスの手は、ゆっくりと落ちた。
イーライの話している言葉は、重臣としては素晴らしいものだったが、領主としては異例のものだった。
「そうなのですね」
「これ以上、出世するつもりもない。
キヨ様に精一杯使えるだけだ」
イーライの長いまつ毛は、一度伏せた後に、再びアリスを見た。
「こんな男が夫なのだ。アリスには苦労をかける」
「いえ、そのようなことは」
アリスは首をふる。
「……明日は早い。眠る」
そう言い、イーライは静かに目を閉じた。
穏やかな寝息を背中で聞きながら、アリスは眠ろうと努めた。
けれど、穏やかな眠りは訪れなかった。
先ほど得た熱は、嘘のように引いた。
妾を持たない領主、それは、他の重臣の妻たちから羨望であることを承知している。
誰もが、夫を独り占めしたいのだ。
夫は、出世を望まず、妾も得ない。
側から見たら、妻を大事にする夫に見える。
アリスは、振り返り、イーライの寝顔を見つめた。
眠りながら、苦しい夢を見ているようで 、眉間 にぎゅっとしわがより、苦しそうな顔をしている。
その名を呼ぶことさえできない相手がいるのだろう。
ーーこの人は真面目すぎる。
好いた人以外、欲しくないのだ。
そして、その好いた人はーー自分ではない。
彼女がいるトミ家を支えるために、
出世を望まず、妾も必要としないのだ。
その事実に、胸が塞ぎ、アリスは枕に顔を埋めた。
次回ーー明日の20時20分
「それなら、なぜ逃れた」
その一言が、少女の胸に秘めた痛みを抉る。




