姉上は、こんな想いを抱えていた
「ヘンリー、教えて」
レイの真っ直ぐな眼差しを受け、ヘンリーは苛ついたように頭をかきむしった。
躊躇うように、口を開き、そして閉じる。
俯くヘンリーの顔を、見上げるようにレイは回り込み、
思わず、彼の袖を掴んだ。
「ヘンリー、お願い」
長い沈黙の後に、ヘンリーは口を開いた。
「……あの子の言うとおりだ。
ジュン様には、レイが嫁ぐことが決まっていたんだ」
「本当のことなのね」
レイの声は震えていた。
「……そうだ」
口が鉛を詰めたように重い。
これから、話すことは残酷だ。
それを告げる立場になど、なりたくなかった。
「それなら」
レイは、一歩距離を詰めた。
「なぜ、私はここにいるの?」
レイの瞳は、決意の色を浮かべていた。
「ユウ様が、叔父上に詰め寄ったんだ」
ヘンリーの声は、震えていた。
「……それで?」
レイの喉は、カラカラに乾いていた。
質問をする前から、嫌な予想はしていた。
けれど、直接この耳で聞かなければ納得できない。
「自分が妾になる。その代わりに……レイを嫁がせるな、と」
ありのままを打ち明けることはつらく苦しかった。
知らず知らずのうちに眼が潤み、声が詰まった。
その言葉を聞いた瞬間、レイは胸を鋭いもので貫かれるような鋭い痛みを感じた。
「そんな……」
顔を伏せて、ヘナヘナと床に膝がつきそうになった。
サキが支えようと手を伸ばした瞬間、ヘンリーが先に手を出していた。
「レイ。大丈夫か」
ヘンリーは、彼女の細い腰を横から抱くように引き寄せた。
「……私のせいだわ」
レイは顔を伏せたまま呟いた。
見守るサキの手は、一瞬伸ばしたが、すぐに下ろされた。
「……私のせいで、姉上は……」
レイは、無意識にヘンリーのシャツを握る。
喉が詰まり、首を激しく振る。
「レイ、落ち着け」
ヘンリーは、震えるレイの体を強く抱きしめる。
次の瞬間、レイは激しく叫んだ。
「落ち着けるわけないわ!! そんなの無理よ!!」
レイの絶叫に、サキの足は縫い付けられるように立ち尽くした。
普段のレイは、感情の起伏を見せず、静かに周囲を観察するように眺める娘だった。
そのレイが、取り乱している。
「どうして! そんなの」
ヘンリーの広い胸と太い腕との間に、抱きしめられながら、
レイが泣き叫ぶ。
「姉上がそんなことをするのなら……私は嫁いだのよ!」
「ユウ様も、同じ気持ちだったんだ」
ヘンリーは、レイの髪に顔を埋めながら答えた。
「……どういう事」
レイは、少し顔を上げて、ヘンリーの顔を見つめた。
ヘンリーは、そっとレイの肩を掴み直した。
「ユウ様も……レイを嫁がせるのなら、自分を差し出すと決めていた」
「……」
レイは、ヘンリーの胸元のシャツを掴んだ。
「どうして、ヘンリーは知っていたのに、私に教えてくれないの?」
「教えてどうする。ユウ様も、レイも苦しむだけだ」
ヘンリーは、レイの両肩に手を置いて言い聞かせるように話す。
レイが瞬きをするたび、涙が頬ににこぼれ落ちる。
それを、手で拭いながら、ヘンリーは静かに話す。
「ユウ様が自分で決めたんだ。誰にも止められなかった」
レイは、静かに目を瞑った。
ーー姉上のことだ。
迷うこともなく、決めたのだろう。
けれど、レイは力なく首を振る。
「……それでも、辛い」
ヘンリーは、労わるように背中を撫でた。
「……辛いな」
図書室には、レイの嗚咽が響いた。
しばらくして、ヘンリーはそっとレイから離れた。
「……式典に行かなくてはいけない」
「……式典?」
レイの黒い髪が、何本か濡れた頰にからみついていた。
ヘンリーは、その頰にそっと触れる。
「あの生意気な子供の成人の儀だ」
「まだ、子供よ?」
レイが質問をした時点で、ヘンリーは彼女が少しだけ落ち着いたことを知った。
「成人の儀は、子が大人になる儀ではない。
誰のものとして生きるかを定める儀だ」
ヘンリーは、窓の外へ目を向けた。
そして、目を伏せて呟く。
「……あの子も、もう自由には生きられない」
ヘンリーは、踵を返し、駆け足で図書室から去って行った。
残されたレイは、床に根が生えたように動けなかった。
サキもまた、胸の奥を強く締めつけられていた。
ーーユウ様が、そこまで。
あの気丈な姫が、自ら妾になる道を選んだ。
その重さに、息が詰まりそうになる。
けれど今は、自分まで取り乱してはいけない。
サキは、震えそうになる指先を握りしめ、レイへ歩み寄った。
「レイ様……部屋に戻りましょう」
サキの言葉に、レイは力無く頷いた。
サキに支えられて、レイは西棟にたどり着いた。
部屋に入る前に、ちらっとユウの部屋の扉を見つめる。
「姉上は……」
泣き腫らした顔で、サキに尋ねる。
「今夜は、寝室に呼ばれる日なので……今頃お支度をされているか、と」
サキは、つっかえながら説明をした。
ちょうど、その時、ユウの部屋からシュリが出て行った。
彼の横顔は、遠目から見ても、切なさが滲んでいる。
ーーシュリは、どう思っているのだろう。
姉上の決断を。
泣き尽くしたと思っていた涙が、再び溢れた。
レイは、駆け込むように自室の寝台に飛び込み、顔を埋めた。
◇
翌朝、レイは重い足取りで、ユウの部屋の扉を開けた。
ユウはやつれた様子で、朝食の席に座っていた。
「姉上、おはよう」
レイが、声をかけると、ユウは微笑み、挨拶を返した。
椅子に滑り込むように座ると、
レイは、目の前の姉の顔をじっと見つめた。
ーー姉上は、まともな朝食をとる気にならないほど、疲れ果てている。
それでも、自分と朝食を取るために、
精一杯、元気そうなふりをしている。
それが痛いほど伝わり、胸が軋んだ。
朝食が終わり、席を立とうとした時に、
ユウは、部屋の隅にいるシュリと視線を交わしていた。
姉の眼差しに、レイは思わず息を呑んだ。
いつもは、強く揺るがない眼差しの姉とは違う。
その瞳は、切なそうに揺れ、言葉にできない想いが滲んでいる。
シュリも、また、ユウの眼差しを受け、小さく頷いている。
それは、一瞬の出来事。
次の瞬間、ユウは、いつもの表情に戻っていた。
レイは必死に息を整えていた。
ーー同じだ。
母上と同じ。
飢えたような眼差し。
それは、かつて母が自分に向けていたものと同じだった。
母は、死んだ父を求めて生きていた。
亡くなった父の面影を残す自分を見つめるとき、
いつも、あの眼差しをしていた。
そして今。
姉は、目の前の男を求めている。
すぐそばにいるのに、
決して結ばれてはいけない相手を。
レイは、ぎゅっと胸元を押さえた。
姉上は、
こんな想いを抱えながら、あの寝室へ向かっていた。
次回ーー明日の20時20分
愛されている。
けれど、愛されていない。
冬の夜、それぞれが胸に抱えた想いは、誰にも言えないまま積もっていく。




