子なんて、できないのに
高くなった秋の陽が、庭園の薔薇を淡く照らしていた。
昼にはまだ早い時間。
城内には、どこか緩やかな静けさが残っている。
ベッキーは、庭園でバラの花を摘んでいた。
少し離れた回廊では、
乳母のヨシノが、ふらつくように壁へ手をついている姿が見えた。
けれど、すぐに背筋を伸ばし、
何事もなかったように歩き出す。
ベッキーは首を傾げたが、すぐに意識を薔薇へ戻した。
絡み合うツルバラのそばに立っていると、
聞き慣れた声が耳に届く。
「見事ですね」
ベッキーは思わず木の影に隠れた。
少し離れたところで、シュリがいたのだ。
「見てください。あそこのバラは今が盛りです」
自分と話す時よりも、うんと優しく穏やかな声にベッキーは耳を疑う。
ーーそんな声をするんだ。
彼の隣には、見事な金色の髪の女性が見えた。
一度見たら記憶にずっと残る、青い眼差しをしている。
ーーあの方は、キヨ様の想われ人。
そして、シュリは、あの方に仕えているのだと知った。
ユウは庭園のベンチに、座ろうとしていた。
慌てて、シュリが懐からハンカチを取り出して、ベンチに敷いた。
ベッキーの瞳が丸くなる。
以前、彼が話していた。
「ハンカチを5枚持っている」と。
その理由が、一瞬で理解した。
ユウは庭園のベンチに座り込み、空虚な瞳で咲き誇るバラを見つめていた。
その姿に、ベッキーは同性ながら吸い寄せられる。
彼女の青い瞳は、哀しみと絶望の翳りが滲んでいた。
「……挫けそうだわ」
ポツリとこぼした声に、シュリの顔が切なげに歪む。
「……ユウ様」
シュリの声は、優しく切なさが滲んだ声だった。
「子なんて……できないのに」
ユウの声は、涙声だった。
やがてーーユウの肩が小さく震え、俯いたまま顔が見えなくなる。
シュリは、懐からもう一枚ハンカチを取り出した。
ユウは、それを無言で握りしめる。
細い指先が、白い布をくしゃりと歪めた。
「……ユウ様」
返事はない。
代わりに、嗚咽の声が漏れる。
乱れた金髪を、シュリは静かに指先で整えた。
その光景に、ベッキーは目を伏せた。
彼らは何もしていない。
話の内容はわからなかった。
けれど、落ち込む主を慰める従者なのにーーそれは、恋人のような空気感だった。
シュリの瞳からは、溢れるような一筋の熱い思いが滲んでいる。
――あんな顔を、自分には向けたことがない。
敵わない。
彼が何のために、ハンカチを用意しているのか。
なぜ、いつも苦しそうな表情をしているのか。
誰を想っているのか。
その瞳を見つめて、気づいてしまう。
「まもなく昼食です。部屋に戻りましょう」
シュリの声に、ベッキーは目を閉じた。
その穏やかで静かな声は、彼女の前では、より甘くなる理由を知ってしまった。
◇
昼食後に、扉の小窓がカチッとなった。
訪れたのはイーライだった。
いつもの服ではなく、式服を着ている。
その整った姿を見て、ユウは目を伏せ、無意識に足をギュッと寄せた。
昨夜のことを思い出したのだ。
ユウの姿を見たイーライも、瞳の奥に波立つのを感じた。
一瞬、目を伏せ、すぐに顔を上げた。
その表情は、すでに整っていた。
「これから、キヨ様とミミ様はミヤビヘ行かれます」
「なぜ?」
ユウは力なく答える。
「ミヤビでジュン様と会食の予定です。
ジュン様のお子をこちらで引き取る予定ですので」
イーライの問いに、ユウは頷いた。
ジュンは臣下の証に、跡取りの息子を人質に受け取ることになっていた。
「私も同行します。明日の茶には間に合うか、と」
「気をつけて」
イーライは、静かに頭を下げた。
部屋を出る直前、一瞬だけ視線がユウに向く。
その青い瞳の下には、薄く影が落ちていた。
ーー眠れていない。
イーライは、気づいていた。
だが、何も言わない。
静かに扉が閉まる。
イーライが部屋から出た後、ユウは息を吐いた。
ーー今夜はキヨがいない。
寝室にも、この部屋にも、あの男が訪れない。
束の間の自由だ。
その直後ーー
後ろにいたヨシノが、
崩れ落ちるように床へ倒れた。
「……ヨシノ?」
床に倒れたヨシノの顔は、蒼白だった。
次回ーー明日の20時20分
積み重なった想いは、静かに限界へ近づいていた。
――そして、その夜。
ユウは、自らシュリの腕を掴む。




