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あの方は、俺の妻だった

「レイ」

セージの淡い青色は、懐かしさで揺れていた。


レイは、じっとセージを見つめた。


「……もう、お話できないと思っていました」


セージは、一歩距離を詰めた。


「寂しい思いをさせてすまなかった」


レイは目を伏せ、首を振る。


「セージ様のせいではありません」


「俺は……レイと夫婦になりたいと思っていた。

離縁を知らされたときに、レイがそばにいたら……と何度も思っていた」


レイは、黒い瞳を潤ませ、セージを見つめた。


「私もです。私もセージ様と……結ばれたいと思っていました」


レイは、そっとセージの袖を掴んだ。


「レイ」

セージの声を聞くと、その時の気持ちを思い出す。


思わずレイは、セージに抱きついた。


飛び込んできた柔らかい温もりに、セージは目を閉じた。


「あなたは……良い夫でした。私を大切にしてくれた」

レイは、セージの胸に頰をすり寄せた。


ーーずっと、こうしたかった。


「……良い夫ではない。俺の判断で領を潰し……ロス家は滅びたんだ」

セージは、刹那げに微笑んだ。


「いえ。あなたは、城を残し、家臣を守り、生きてくれた。

こうして、再びお話しすることができたのは、あなたの決断と行動が正しい証拠です」


レイの言葉に、セージはふっと笑った。


「相変わらずだ」


「え?」


「強くて、頭の回転が早い。……あの方に似ている」


レイの瞳が揺れた。


「……母に?」


「あぁ。気の強い方だった。物の見方も……領主そのものだったな」

セージは、静かに言い切った。


「初めて会った時、驚いたよ。あの人の血を、そのまま受け継いでると思った」


「……私の容姿は、父親似と言われてるわ」

レイは、納得できないと言わんばかりに話す。


「あぁ。でも、初めて出会った時から俺は思っていた。

強くて芯がある。モザ家の血だ」


セージの言葉に、レイはふと思い出した。


ーーそうだった。


いつも“父親に似ている”と言われてきた自分に、

彼は“母の血”を見抜いていた。


「その強い瞳は、紛れもなくモザの血を継いでいる。

俺にも、その血は流れているが……レイのほうが濃くて強い」

セージは、ゆっくりとレイの頬に手を添えた。


そして、愛おしむような眼差しをした後に、静かに手を離した。


「俺には、妻がいる」


レイの黒い瞳が揺れた。


「ご結婚されたのですね」

その言葉は、力なく滑り落ちた。


冷静に考えれば彼は22歳。

結婚をしてないほうが不自然だった。


それでも、レイの胸は小さく痛む。


「あぁ。もうすぐ子も産まれる。……領主ではないけれど、

一人の男として幸せだ」


「……おめでとうございます」

レイは、少し俯いた。


離縁して2年。


彼が自分と同じように、独身のはずがない。


そう思いながらも、少し夢が崩れた。


しばらく、誰も言葉を続けなかった。


窓から入る風だけが、

二人の間を静かに抜けていく。


「こうして幸せな暮らしをしているのは、レイのお陰だ」

その言葉に、レイは顔を上げた。


「……私は何も……」


その言葉に、セージは首を振った。


「城を敵に囲まれた時、俺は命を賭けて領主らしく、華々しく散るつもりだった。けれど、ノア様が『死んだら、レイ様が悲しむ』と説得してくれた。レイがいたから、俺は生きた。今の幸せは、レイのお陰だ」

セージは、レイの肩に手を置いた。


「セージ様……」

レイは、静かに涙を流す。


「……久しぶりにあったら、綺麗になって驚いたよ」


その言葉に、レイの頰が赤くなる。


ーーこんな風に、男の人に言われるのは初めてだった。


「あぁ……勿体無いことをしたな、と思った」

セージは、屈託のない笑顔を見せた。


「……ありがとうございます」

レイは、どうやって返事をしていいかわからず、黒い髪を耳にかけた。


ーー褒められ慣れている姉上なら、もっと上手に切り返せることができるのに。


気の利いた言葉を返せない自分が歯がゆい。


「レイ、覚えているか? 昔、『セージ様も姉上を見たら夢中になると思う』と話していただろう?」


その言葉は覚えている。


自分の姉は、美しい。

セージ様も、一目見たら夢中になると話したことがある。


「覚えています」

レイは静かに頷く。


「確かに美しい方だった。でも、俺はレイのほうが美人だと思う」


驚きのあまり、レイの目は見開いた。


「そんな……あり得ないわ」

思わず声が漏れる。


「俺は……レイの方が、魅力的だったと思う」

セージは、微笑む。


「……そんな事を言うなんて、ずるいわ。

忘れたいと思っていたのに、忘れられなくなる」

レイは、少し頰を膨らます。


セージは、しばらくレイを見つめた後、

レイの額に軽く唇を落とした。


「……!!」

驚くレイの表情を見て、セージは少し笑った。


「ずっと、こうしたかった」


「からかわないでください」

レイは、顔を赤らめそっぽを向いた。


「レイは、きっと、手の届かない人になると思う。

その時、俺は周りに自慢すると思う。

あの方は、俺の妻だったんだ、とな」

セージは、レイの横顔を見て、刹那げに微笑む。


首を傾げるレイに、セージは微笑んで手を差し伸べた。


「レイ、元気で」


「セージ様も……お元気で」

レイも、セージの手に指を滑り込ませた。


セージは、じっとレイを見つめた。


一瞬、強くその手を握った後に、小さく息を吐いた。


「幸せになってくれ」

そう言って、ゆっくりと手を離した。


部屋の隅にいるヘンリーに視線を向ける。


彼の表情は、わずかに歪んでいた。


「ヘンリー様、ありがとうございました」

深々と頭を下げて、セージは部屋を出ていった。


ヘンリーは、無言で唇を引き結んだ。


面白くない。


――なぜ、あんなことをする。


妻がいると言ったばかりだろう。


それなのに、平然と額に口づける。


あれは別れだと、頭では分かっている。

区切りだと、理解もしている。


自分だって、レイのほうが美しいと思っていた。


ーー先に言われた。


ふと、視線を戻す。


レイは、潤んだ瞳で扉を見つめていた。


そっと、額に手を当てている。


……あぁ。


「……良かったな」

ヘンリーは、そう言った後に思わず目をそらした。


額に触れた手を見ているのが、耐えられなかった。


「奥様がいられると話していたわ」

レイは、小さくため息をつく。


「残念だったな」

その口調は、少し苦々しかった。


「そうね。ちょっと残念だったわ。

別れても、いつまでも想っているなんて……夢物語なのよ」

レイは、肩をすくめる。


ヘンリーは何も言わずに、レイの顔を見つめた。


「……セージ様と話せて、良かったわ」


レイの言葉に、ヘンリーは一瞬だけ目を伏せた。


「そうか」

短く返す。


「でも、やっぱり少し寂しいわ」


その一言に、胸の奥がわずかに引っかかる。


ヘンリーは、ゆっくりと息を吐いた。


「……当たり前だろ」

低く、押し殺した声だった。


レイが、少しだけ目を見開く。


「え……?」


「……」


続けようとして、言葉を飲み込む。


ーーそれは、俺が言うことじゃない。


「……なんでもない」

そう言って、視線を逸らした。


「ヘンリー、ありがとう」

レイは、じっとその顔を見つめる。


「……別に」

目を伏せるヘンリーを、レイは下から覗き込むように見上げた。


ーー近い。


ヘンリーは思わず息を呑む。


「うそ。仮病をしてまでも、セージ様に会わせてくれたわ」

涙の名残がある黒い瞳で見つめられると、落ち着かなくなる。


「……もう、逢えないかもしれない、そう思ったら、な」

ヘンリーは、ぶっきらぼうに答えた。


ーー確かに強い眼差しだ。


先ほどのセージの言葉を思い出す。


「嬉しいわ。ありがとう」

その言葉に、ヘンリーは愛おしさが胸元に突き上げた。


ーーレイが喜ぶのなら、何でもする。


「なら……良かった」


「さっきから、下を向いてばかりだわ。どうしたの?」

レイは、再びヘンリーの瞳を覗き込もうとする。


ーーやめてくれ。


「何でもない」

そう言って、ヘンリーは足を進めた。


幼い頃から、周囲の人間を観察するのが好きだった。


けれど、今は違う。


視線を上げることができなかった。


――見られたくない。


何を考えているのか。


何を思っているのか。


すべて、見透かされてしまいそうで。


ヘンリーは、小さく息を吐いた。


次回ーー明日の20時20分


国王の命令に逆らうことはできない。

それでも――姉の苦しそうな顔が、ウイの胸から離れなかった。


眠れぬ夜。

涙をこぼす妹たち。


その頃、ユウは――。

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