白いバラを、あなたに
式典は終わった。
けれど、胸の奥のざわめきだけは、消えなかった。
キヨと仕える重臣たちは、この後に宴が始まる。
ユウは、唇を噛み締めて西棟へ戻った。
先ほどから、何度も髪の毛を触ってしまう。
今朝、シュリからもらい髪に挿してくれた赤いバラ。
その赤いバラは、キヨが口づけをして胸ポケットに入れてしまった。
もう、そこにあるはずもないのに。
何度も、失ったバラを求めて髪に触れてしまう。
後ろに、ヨシノがついていく。
「シュリが見当たらなくて……申し訳ありません」
ヨシノが声をかける。
「別にいいのよ」
ユウの声は冷ややかだった。
けれど、胸中は穏やかではない。
ーー今頃、あの侍女と楽しく過ごしているんだわ。
式典で見た、穏やかなシュリの顔が浮かぶ。
あのような顔が、本来の彼なのだ。
私といるときは、いつもどこか苦しそうで、
何かを押し殺すような眼差しをしていた。
彼自身が望んだとはいえ、
優しく、穏やかな彼を国王の報復に加担させている。
胸の奥が、きしむように痛んだ。
ーーシュリの幸福を願わなければいけない。
そう思うのに。
思うほどに、喉の奥が熱くなる。
嫌だ、と。
誰にも聞かせられない声が、内側で何度も繰り返される。
シュリを、独り占めしたい。
ーーもう自分は、そんな立場ではないのに。
ユウは、自室の扉を開けた。
その瞬間ーー華やかなバラの香りが鼻孔を押し寄せる。
目に入ったのは、色鮮やかな無数のバラ。
大きな花瓶には、鮮やかな花がたっぷりと盛られていた。
窓辺にも、棚の上にも、赤や白の薔薇が置かれている。
甘い香りが部屋いっぱいに満ちていて、
まるで花園に迷い込んだようだった。
その後ろに、シュリが微笑みながら立っていた
呆然と立ち尽くすユウの後ろで、ヨシノが驚きの声をあげた。
「おかえりなさいませ」
シュリは、静かに頭を下げる。
「シュリ……これは……」
思わず漏れた声に、シュリは頷いた。
「庭園に咲いていたので」
あまりにも大量の薔薇だった。
一体、どれほどの時間をかけて摘んだのか。
ユウの背中が静かに震える。
「ユウ様ーーどうされました?」
ヨシノが顔を覗き込んだ瞬間、息を呑んだ。
ユウが静かに涙を流している。
ーー癇癪……? 今日の式典の内容を考えれば……
ヨシノは、固まったまま動くことができなかった。
「母さん、ちょっと席を外してもいいかな」
シュリの声は穏やかだった。
ヨシノは、静かに頷き、部屋を出ていった。
部屋に残されたのは、ユウとシュリだけ。
「今日は頑張りましたね」
シュリの穏やかな声が部屋に響く。
ユウは無言で、頭を振る。
「……シュリ、ごめんね」
それしか言えなかった。
何に対しての謝罪なのか、自分でもわからない。
彼を自由にしてあげれないこと。
キヨに赤いバラを奪われたこと。
「……本当は、こちらのバラを差し上げたいと思っていました」
シュリは、見事な白いバラを差し出す。
ユウは涙を頰に伝いながら、首をふる。
「シュリ……私は、それを受け取れない」
「どうしてですか?」
ユウは、白い花から目を逸らした。
「……似合わないの」
小さく、絞り出すような声だった。
震える指先が、自分の胸元を握る。
「私は……もう、そのバラみたいにはいられないの」
震えを帯びている声は、苦悩に満ちていた。
この胸の裡はーー醜い感情に満ちている。
シュリは、何も言わなかった。
ただ、白いバラを見つめる。
そして――
そっと、ユウの髪に挿した。
「……ユウ様には、こちらのほうが似合います」
微笑む彼に、ユウは思わず抱きついた。
硬い胸に、頰を寄せて声をあげて泣く。
その体の震えを鎮めようとするように、シュリはユウを更に強く抱擁した。
ユウの体の震えが小さくなった頃、ふとユウは顔を上げた。
「シュリ……あの栗毛の人と話さなくていいの?」
遠慮がちに質問をした。
「栗毛の人?」
シュリは、少し首を傾げた。
ユウは、耐えきれずシュリを見つめた。
「その……式典で話していた侍女よ」
「あぁ……あの人……栗毛でしたか?」
「そうよ。随分、楽しそうだったわ」
抑えようにも、言葉尻に棘を含ませてしまう。
「私はーー」
一拍置いて、微笑む。
「今の方が楽しいですよ」
シュリが微笑むのを見て、ユウは思わず息を吞み、視線を落とす。
ふと、シュリの手に細かな赤い傷が無数にあることに気づく。
「シュリ、この手……」
「あぁ……バラは棘が多いので」
シュリは気まずそうに話す。
「私のせいで……ごめんね」
「美しいものには棘がありますから」
シュリが微笑むのを見て、ユウは無言で彼の袖を掴んだ。
ーーやっぱり、離れられない。
この人からも。
……離れたくない。
白いバラに、そっと触れる。
今度は、そこにある。
次回ーー明日の20時20分
静かな朝。
それぞれが、言葉にできない想いを抱えたまま時が過ぎていく。
そして図書室では――
レイが、忘れられなかった“ある人物”と再会する。
その光景を見守るヘンリーの胸にも、
静かな痛みが広がっていた。




