もう、隣には立てない
「セージ様!」
抱きついたレイに、セージは少し目を見開いた後、優しく抱きしめた。
「もしかしたら……会えるかと思っていました」
レイの声は涙声だった。
セージの腕が、わずかに強くなる。
「俺も……会えると期待していた。でも、まさか話せるとは……」
セージは少しだけ腕を緩めて、レイを優しく見下ろす。
「でも、キヨに見つかったら……」
レイの黒い瞳は翳った。
「名前を変えた。今は、セージ・グレジャーだ」
短く、言い切った。
レイの黒い瞳が、驚きのあまり見開く。
「……俺の顔を知っているのは、交渉したノア様だけだ」
レイはゆっくり頷いた後に、セージをじっと見上げた。
「ずっと心配しておりました。お元気か、どうか」
「……心配かけたな」
セージは、レイの黒い瞳から目を逸らすことができなかった。
◇
レイを探していたヘンリーは、庭園でピンク色の影に気づいた。
近寄りーー息を呑んだ。
レイが知らない男と抱き合っている。
真っ正面を向いていたレイは、瞬き一つせずに見惚れた表情をしていた。
次の瞬間ーーヘンリーの中から焼くような嫉妬が胸にこびりついた。
ーーあんな顔を、俺には見せたことがない。
自分の中で突き動かす激情に襲われて、
気づけば、爪が掌に食い込んでいた。
「レイ!」
口から出た言葉は、思っている以上に鋭いものだった。
慌てたように振り向くレイの腕を、ヘンリーは掴んだ。
「もうすぐ式典は終わる。席にいないと不自然だ」
「……わかったわ」
レイは体を離したけれど、視線はまだセージに絡みついていた。
「ほら、行くぞ」
それを振り切るように、ヘンリーはレイの腕を引っ張り足を進めた。
ものすごい勢いで歩く、ヘンリーの背中を見つめながら、
レイも小走りでついていく。
「ヘンリー、早いわ」
レイの声が戸惑いで震える。
ヘンリーの足は止まった。
後ろを振り返ると、セージがまだこちらを見ている。
少し歩幅を落として、レイの隣に並んだ。
「……あいつは誰だ」
声を抑えようにも、つっかえてしまう。
「……夫よ」
レイの返事に、ヘンリーの足が止まった。
ヘンリーは、返事ができずに、無言でレイの顔を見る。
「…‥離縁したけれど」
ヘンリーは、じっとレイの顔を見つめた。
その無言の問いに答えるように、レイは口を開いた。
「前も話したでしょ。キヨに無理やり離縁されたって。
……別れの言葉も交わせなかった」
「その……まだ……」
ーー好いているのか。
ヘンリーは、それを口にすることができなかった。
少し俯くレイの姿を横目でみる。
今にも咲きそうなピンクのバラのような風情だった。
「わからないわ。昔は……彼と離れて寂しかった」
レイは、うつむいたまま呟いた。
セージに対する気持ちが、恋情なのか、それとも突然離れた悲しみゆえの心情なのか。
自分でもわからない。
ただ、早くに父を亡くしたレイにとって、
想いあう二人とは、どんな物なのかわからなかった。
身近にいたモデルは、ユウとシュリだけ。
あの二人は想いあっているのに、それを表さない。
それでも、視線の端々から想いが滲んでいる。
それが愛情表現なのかーーレイにはわからなかった。
「そうか」
その言葉に、ヘンリーは、わずかに視線を落とした。
「でも、実際に会えたら嬉しかったわ」
レイの言葉に再びヘンリーは息を止めた。
「ジュン様の家臣になったと聞いていたから、会えるんじゃないかな……と期待もしていたの」
そう呟くレイの横顔を、ヘンリーはじっと見つめた。
言葉をかけることができなかった。
◇ 大広間
リチャードは、必死で怒りを堪えているシュリの横顔をチラッと見た。
ーー当分、収まらないだろうな。
遅れて、テーブルに砂糖菓子が置かれた。
見上げると、顔見知りの侍女が微笑んでいる。
「リチャード様は、紅茶にミルクは入れませんよね」
「あぁ。よくわかっている。さすがは、ベッキーだ」
リチャードは、ウインクをした後に、彼女の腕を掴む。
「少し休憩をしないか」
「……ダメです。給仕がありますから」
その声は、少しだけ揺れている。
「良いから。俺の連れにもお茶を頼む」
「リチャード様ったら」
そう言って、ベッキーは俯くシュリに声をかけた。
「ミルクはお入れしますか」
シュリは、顔を伏せたままだった。
「おい。シュリ、聞いているか」
リチャードが、肘でシュリをつつく。
「え?……あぁ」
夢から覚めたように、シュリは顔を上げる。
次の瞬間、ベッキーは息を詰めた。
穏やかな茶色の瞳、整った顔立ちの青年に目を奪われた。
「……どうされましたか?」
シュリは、動かないベッキーに声をかける。
「失礼しました。お茶にミルクを入れますか」
ベッキーは、少し声をうわずらせ質問をした。
「あぁ……入れてもらえますか」
言葉遣いも、育ちの良さを感じる。
ベッキーは慌てて、茶を入れ始めた。
その様子を見て、リチャードはニヤッと笑った。
「まぁ。座れ」
ベッキーを、シュリと自分の間に座らせようとする。
「リチャード様、まだ給仕が!!」
ベッキーは、困惑するように答えた。
「これだけ、場が賑やかだったら、誰も気にしない」
リチャードは話して、ベッキーを無理やり座らせた。
「シュリ、前にも話しただろう。北棟の侍女 ベッキーだ。この色男は、シュリ・メドウだ」
リチャードは、顎でシュリを示す。
「あぁ……お話は」
シュリは、ぼんやりしながらベッキーに会釈をする。
ーーそういえば、リチャードが良い侍女がいると話していたな。
ふと、思い出した。
「シュリ様は……普段、どちらに」
ベッキーは、頰をわずかに染めて話す。
「普段は、西棟におります」
「西棟……あそこは妾が……」
「私はセン家の姫に仕える乳母子なんです」
「姫様に……男の乳母子?」
ベッキーの瞳が丸くなる。
「ええ……そうです」
シュリは肩をすくめて話す。
初対面の人に驚かれることは、彼にとって日常だ。
ベッキーは、静かに頷いた。
穏やかな茶色の瞳に見つめられた瞬間、息が止まった。
こんな人、この城にいたのだと――初めて知る。
ベッキーはシュリの柔らかい表情に見惚れ、手元のポットをひっくり返してしまった。
見る見るうちに、茶色の染みが白いテーブルクロスに広がる。
シュリは手早く、慣れた様子でナプキンで拭き取る。
「怪我はありませんか」
そう言い、ハンカチを差し出す。
「え……すみません」
ベッキーは狼狽しながら、ハンカチを受け取る。
「足りませんか?」
シュリは、そう言いながら、もう一枚ハンカチを取り出す。
「2枚もあるのか」
リチャードが呆れたように質問をする。
「……5枚持っています」
シュリは目を伏せて答える。
「持ちすぎだろ」
リチャードが呆れたように笑った。
「そんなに使うものですか?」
ベッキーが目を丸くする。
「……主が、よく汚すので」
シュリは、少し困ったように眉を下げた。
「汚す?」
ベッキーが首を傾げる。
「庭で座り込んだり、木に登ったり、急に転んだり……」
ぽつぽつと話すシュリの横で、リチャードが吹き出す。
「姫じゃなくて野猿だな」
「リチャード」
シュリが不服そうに眉を寄せる。
「でも、お前、絶対嬉しそうに世話してるよな」
ニヤニヤしながら言われ、シュリは一瞬黙った。
「……別に」
その返答が遅すぎて、
リチャードは思わず小さく笑った。
◇
席に座っていたユウは、シュリを見つめていた。
鉄紺の礼装を着て、微笑むシュリの姿は、目を引くものがあった。
そしてーー隣に座る侍女は、明らかにシュリに好意を寄せているような眼差しだった。
ーーお似合いの二人。
胸の奥が、じわりと焼ける。
あんなふうに笑うのを、隣で見ていたのは自分だったのに。
ユウは顔を前に戻し、唇を噛み締めた。
ーーもう、違う。
そう言い聞かせても、
どうしても、あの距離から目を離せなかった。
気づけば65万文字を超えていました。
この文字数で新しく読んでくださる方がいることに、
正直、びっくりしています。
通知を見て「えっ、本当に?」と二度見しました。
そして、ずっと追いかけてくださっている皆様、
本当にありがとうございます。
長くて重たい話ですが、
最後までちゃんと書き切りたいと思っています。
次回ーー明日の20時20分
「……今の方が楽しいですよ」
離れようとしても、離れられない。
白い薔薇が、静かに二人を結びつけていく。




