整えられた顔の、その奥で
給仕を終えた後、イーライは西棟を出て本館へ向かった。
脳裏にあるのは、久々に見たユウの笑顔。
ーーあの方が笑ってくれるなら、何でもする。
その決意を胸に、執務室へ足を運んだ。
執務室に戻ると、明日の式典に向けて慌ただしい空気が流れる。
イーライは、書類と格闘しているキヨの前に静かに歩み寄る。
「明日の式典では、このハンカチを胸元のポケットにお入れください」
差し出したのは、血のように赤いハンカチだった。
「随分、派手な色合いじゃのう」
キヨは、書類から目をあげて呟く。
「この生地は、ユウ様のドレスと同じもの。
血の象徴を引き継ぐという意味でも、胸元に入れるのは大事でございます」
イーライの説明に、キヨは感嘆の吐息を洩らす。
「さすがはイーライじゃ」
「衣装係のものに渡しておきます」
その後キヨは、最終的な打ち合わせをするためにミミの部屋に向かった。
執務室に残された重臣たちも、準備を始めた。
重臣になりたてのヘンリーは、
先ほどの叔父とイーライの会話に疑問を持った。
そこで、一番話しやすそうな重臣 オリバーに声をかけた。
「叔父上が妾と同じハンカチを身につけるとはどういうことだ?」
オリバーは、一瞬手を止めてから、静かに口を開いた。
「明日の式典を、大々的に行う理由をご存知ですか?」
「ジュン殿が、叔父上に臣下の礼を取る。それだろ」
「はい。今までキヨ様の実力は頂点でした。
しかし、ジュン様という、対抗できる最後の領主が残っていました」
「あぁ。ジュン様が従う側に回ったと示すのはわかる。
あのジュン殿が頭を下げたら、他の家臣は、叔父上に従うしかないとわかるはずだ。
けれど、それに、なぜ妾と同じものを身につけるのかがわからん」
ヘンリーは肩をすくめる。
「それは……」
オリバーはちらとヘンリーの顔を見る。
「いい。話せ」
ヘンリーが言うと、オリバーは頭を下げてから言いにくそうに口を開く。
「国王になったとしても、最終的に政権を安定させるのは“血“です」
その言葉に、ヘンリーは目を伏せた。
「そうだな。うちは代々、領民の出だ」
「キヨ様の最大の弱点は、領民出身、そして家柄の裏付けがないことです。
これは政権としてはかなり不安定になります……」
ヘンリーは黙って頷く。
叔父・キヨが死に物狂いで掴んだ国王としての地位。
けれど、どんなに頑張っても、成り上がりとして見られる。
その空気は、甥の自分ですらヒシヒシと感じている。
「けれど、ゼンシ様の血を受け継ぐユウ様が、
キヨ様の愛妾になったことは大きいです。
モザ家の血が、トミ家に入る。これを示す場が明日なので、
イーライは、あのような気配りをしたのでしょう」
オリバーが説明すると、ヘンリーは黙って頷く。
奥で、イーライが書状を手に、次々と指示を飛ばしている。
無駄のない動きに迷いのない判断。
完璧な重臣の姿だった。
――だが。
ほんの一瞬、視線が宙で止まる。
誰もいない方向を、見ているようで。
ヘンリーは、目を細めた。
あれは、政ではない。
もっと、個人的な――執着に近いもの。
次の瞬間には、何事もなかったかのように、
イーライは再び書状へと視線を落とした。
整いすぎた横顔。
その内側にあるものをーー誰も知らない。
◇ イーライの館
アリスは届いたばかりのドレスを嬉しそうに見つめていた。
淡い黄色のドレスは、細やかな刺繍と装飾が光を受け、静かに華やいでいた。
流行の形と一流の職人が手がけたドレスが、
式典の前日、館に届いた。
「ご主人様からです」
商人が微笑んで包みを差し出した。
彼から、贈り物をもらったのは初めてだった。
隣にいた侍女が微笑む。
「イーライ様は、アリス様を大事に想っておられるのですね」
その言葉に、アリスは恥ずかしそうに目を伏せ、ドレスをそっと胸元に抱き寄せた。
「……式服の準備はしているかしら?」
侍女は眉をしかめた。
「最近、帰りが遅いですからね。準備はされてないと思います」
「それなら、用意をしないと」
アリスは、イーライの衣類がしまってある部屋へ向かった。
衣装室には、必要最低限の服しか置かれていない。
どれも黒や灰を基調とした落ち着いた色合いで、無駄というものが見当たらなかった。
「こちらが式服です。数年前に仕立てたとか」
侍女が示したので、アリスはそれを手に取った。
控えめな濃灰色の礼装を見て、彼らしいと、アリスは口元を緩めた。
しかし、改めて、手にとると違和感を覚えた。
その式服の内側に赤が覗いたのだ。
深く、暗い紅。
ーーこのような色合いをあの人が?
疑問が湧く。
式服をまじまじと見つめると、光がチラッと煌めく。
裏地の胸元に縫い込まれた、小さな輝き。
小さく控えめなビーズが縫い込まれている。
ーービーズ。あの人が……なぜ?
式服とはいえーー普段の彼の装いとは、まるで違うもの。
違和感を覚える。
その時ーー
「そこで何をしている」
静かな声に、アリスと侍女は飛び上がらんばかりに驚いた。
振り向くと、イーライが衣装室にいたのだ。
「おかえりなさいませ」
アリスは慌てて、頭を下げる。
「あぁ」
イーライは、アリスが持っていた式服に目を向けた。
「明日の式服の準備を……と思いまして」
「……感謝する」
イーライは、素早く式服を受けとった。
「イーライ様には珍しい……装いですね」
アリスの言葉に、イーライは黙って頷く。
「……信頼している商人に任せた」
式服の胸元に、そっと指を滑らせた。
「……先ほど、ドレスが届きました。素敵なものをありがとうございます」
アリスは、嬉しそうに微笑んだ。
イーライは目を瞬いた。
ーーそうだ。彼女にも。
「あぁ。サイズは大丈夫か」
ぎこちなく質問をする。
「はい。ありがとうございます。嬉しいです」
「そうか」
イーライは、微笑むアリスを見やりながら、
――うまく、笑えているだろうか。
そう思った。
次回ーー明日の20時20分
赤いドレスに、赤い薔薇。
けれど――隣に立つ者は違う。
式典を前に、静かに突きつけられる“立場”。
「ユウ様は、もう姫ではない」




