許されていた距離の終わり
翌朝――早朝の庭園にシュリは佇んでいた。
城内は式の準備で慌ただしい。
けれど、庭園にはむせかえるような甘いバラの香りに満ちていた。
夏の終わりに、無数のバラが咲き誇っている。
シュリはその中で、小ぶりの紅いバラを2つ摘んだ。
そして、それを手にユウの部屋へ向かう。
カチッ。
扉の小窓を開けると、ヨシノがシュリを確認して扉を開けた。
目に飛び込んだのは、真っ赤なドレスに身を包んだユウだった。
真紅の上質な生地は、驚くほど装飾を削ぎ落とした形をしている。
その静けさを破るように、無数のビーズが光を弾き、鋭くきらめいていた。
普通の女性ならば、着こなせない色のドレス。
それが、白い肌に金の髪、強い意思を秘めた瞳の女が着ると、特別に似合っていた。
シュリは抑えようとしても、どうしても視線が白い胸元に吸い込まれていく。
相変わらず控えめな胸元だが――前よりはわずかに大きく見える。
ヨシノが靴を取りに行っている間、シュリは黙ってユウを見つめていた。
こうして見ると、改めて場違いだとわかる。
――彼女に相応しい相手は、自分ではない。
そう思い、視線を伏せると、
ユウが、まっすぐにシュリの元に歩み寄った。
「何を隠しているの?」
ユウが質問をした。
「いえーー何も」
シュリは咄嗟に嘘をついた。
ユウは黙って、隠しているシュリの手を前に引き寄せようとした。
「シュリ」
小さく呼ばれ、顔を上げる。
目の前にいる女性は、シュリの顔を見つめていた。
シュリは、ほんの一瞬だけ迷うように目を伏せて――
躊躇いながら、その赤いバラを差し出した。
「これを……私に?」
ユウの言葉に、シュリは思わず手を引っ込めようとした。
贅の限りを尽くしたその装いに比べて、
差し出した花は、あまりにも控えめに見えた。
「……はい」
「嬉しいわ」
ユウは微笑み、一歩近づく。
ふとした身のこなしに、溢れるような美しさがあった。
シュリは思わず一歩うしろに引いてしまう。
「つけてもらえる?」
ユウは金色に結われた髪を触る。
「私……がですか?」
声が思わず掠れる。
「そう」
ユウは静かに返事をしたが、その瞳の奥に熱があった。
「……失礼します」
シュリはユウとの距離を縮めた。
じっとユウが見つめるので、思わずつぶやく。
「緊張するので見つめないでください」
その照れた感じが面白くて、ユウはふっと笑った。
そのシュリの表情を見るだけで――着飾る意味があった。
シュリの吐息がかかる距離に、ユウは静かに目をつぶった。
耳の後ろに赤い花を挿された。
「似合う?」
ユウは頬を染めて、質問する。
ーー彼の目に映る自分は、キレイでありたいと願ってしまう。
「……はい」
目の縁を赤く染めたシュリは、
視線を縫い付けたまま、ひとことだけ伝えた。
その言葉に、すべてが詰まっていた。
ユウはじっとシュリを見つめた。
シュリもまた見つめ返す。
二人の間に、甘い空気が立ち込めた。
そこに、ヨシノが靴を持って現れた。
見つめ合う二人を見て、驚いたように表情を止めた。
けれど、次の瞬間、何事もないように口を開いた。
「ユウ様、靴はこちらでよろしいですか」
二人は、慌てて距離を少し離した。
ヨシノが手にしていたのは、華奢な靴だった。
ユウは、結い上げているのに、耳に髪をかけようとした。
「その靴は、足が痛くなるの。普段、履いているものが良いわ」
少しだけ声が高くて早口だった。
「ですが……靴の指示はイーライ様から受けております」
「靴も?」
ユウは思わず目を見開く。
「はい」
そのときーーカチッと扉から音が響いた。
ヨシノが扉を開けると、イーライが静かに入ってきた。
「お支度は整いましたか」
イーライが口を開くと、ユウは勢いよく振り返る。
強い日光に反映してその赤いドレスが燃えるように見えた。
続いて、吸い込まれそう白い胸元を見て、目を伏せた。
「イーライ、靴は普段のものを履きたいの」
ユウの声は少しだけ強いものだった。
「しかし……お召し物には、この靴が最適か、と」
イーライは、ヨシノの手から靴を持ち上げる。
「こんなに長い裾なのよ。来客は見えないわ」
ユウはドレスの裾をわずかに持ち上げる。
「……」
イーライが思案に暮れていると、
「良いでしょ」
ユウが強く睨む。
「……承知しました」
イーライは呟く。
ふと、ユウの耳元に視線を移すと、そこには小ぶりの赤いバラが見えた。
「余分な装飾は必要ない、と伝えたはずだ」
イーライは、ヨシノを見て話す。
ヨシノが困惑したように、口を開きかけると、鋭い声が返ってきた。
「これは、私がつけたいの」
ユウの顎は、わずかに上げ距離を詰める。
「しかし……」
イーライの声には揺れがあった。
「ダメなの?」
ユウの強い瞳に、イーライは息をついた。
「……承知しました」
ーー結局、惚れたものが負けなのだ。
確かに、その赤いバラはドレスにも似合う。
イーライは、心の中で敗北を認めた。
「それにしても、今回はどうして、そんなに容姿に気を配るの」
ユウは、満足したように、いつもの靴を履く。
「……今回は特別でございます。
式典中に、ユウ様は壇上に上がってもらう必要がございます。
時がきたら、私が促します」
「壇上に上がるの?」
ユウの目が見開く。
「はい。そのためにも身なりを整えることが大事だと、準備を進めました」
ユウは、改めて鏡の自分を見つめた。
計算し尽くされたそのドレスに、彼の気遣いが滲んでいた。
「ぴったりだわ。ありがとう」
ユウが答えた後に、ヨシノも微笑む。
「採寸もしていないのに、ユウ様のお体にぴったりのドレスを仕立てるなんて。
イーライ様は素晴らしいですね」
その言葉に、部屋の空気が妙に静かになった。
イーライはわずかに視線を逸らした。
ーー採寸はしていない。だが――。
「それでは、参りましょう」
少し早口で告げた。
いつものように、ユウの後にシュリとヨシノが付き添おうとした。
それを、イーライが手で制する。
「シュリ、今日はそばに仕えなくても良い」
一瞬、言葉の意味がわからなかった。
「え」
顔を上げた瞬間――理解した。
そこに、自分の居場所はもうないのだと。
「ユウ様は、もうーー姫ではない。式典では、他の想われ人と座って頂く。
シュリと母君は、後ろの家臣の席で待機してくれ」
「それでは、お守りできないです」
「今回の式典では私が近くにいる。キヨ様にも確認済みだ」
イーライは淡々と答えた。
呆然とするシュリに、ユウは目を伏せた。
ーー自分は妾なのだ。
改めて、立場の変化を感じた。
「それではーー参りましょう」
イーライは、ユウの背中に手を添えた。
その瞬間、シュリはその手を払いのけたい気持ちでいっぱいになる。
二人で会場に向かう姿は、似合いだった。
その姿を、シュリは黙って見送るしかなかった。
次回ーー明日の20時20分
赤いドレスを纏い、式典へ現れたユウ。
その姿に、会場は静まり返る。
妻席、妾席、そして――イーライの視線。
誰もが“特別”だと理解する中、
アリスは静かに気づいてしまう。
夫が、本当に見つめている相手に。




