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すぐ隣にいるのに

説明を終えた後、イーライは静かにお茶の支度を始めた。


その時――扉が開いた。


入ってきたのは、金褐色の髪に群青の瞳を持つ女。


「姉上! レイ! ただいま」

屈託のない声だった。


ユウは思わず立ち上がり、駆け寄る。


「ウイ!」


「姉上!」

ウイは、そのままユウの胸に飛び込んだ。


抱きしめた瞬間――懐かしい香り。


けれど、どこか違う。


ウイは顔を上げた。


目の前で微笑む姉は、相変わらず美しい。


金の髪に青い瞳。


――けれど。


「元気だった?」


「はい」

短く答えながらも、ウイはじっとユウの顔を見つめる。


――どうして、キヨの妾になったの?


その問いは、喉元で止まる。


今は、聞けない。


押し込めるように視線を外し、後ろにいるレイを見る。


「レイ、背が伸びたわね」

ウイは、柔らかく笑った。


「姉上、私の言った通りでしょ?」

レイがユウを見上げる。


「何が?」

ウイが首を傾げる。


「姉様は、お茶の時間に絶対に間に合わせてくるって」


その言葉に、ユウは声をあげて笑った。


久しぶりの軽やかな笑い声に、レイの瞳がわずかに潤んだ。


「お茶の支度が整っております」

イーライが、静かに一礼する。


視線を上げると、すでに三人分の茶器が整えられていた。


その隣には――焼きたてのパイと、泡立てた生クリーム。


「ウイ様の好物を揃えております」


「わぁ……」

ウイの口元が、自然に緩んだ。


「ワストでは、なかなか口にできないものかと」

イーライの声は、静かで、いつも通り整っていた。


酪農が盛んではないワストでは、

バターをたっぷり使ったパイも、生クリームも貴重だ。


それが、惜しげもなく皿に並べられている。


「イーライ、ありがとう」

ウイは微笑んだ。


イーライは、静かに頭を下げる。


視線も、姿勢も、何も変わらない。


――そのはずだった。


「ユウ様、どうぞ」

イーライがカップを差し出す。


その瞬間――ウイは、息を呑んだ。


ーーなに?


イーライの視線が、姉を捉えている。


ほんのわずかに細められた瞳。


――前に見た時よりも、熱がある。


背筋が、ぞくりと冷えた。


次の瞬間には、何事もなかったように視線は落ちていた。


完璧な所作で、茶器へと手を伸ばす。


ーー今のは。


違和感だけが、残る。


ウイは、視線を外さなかった。


――あの人。


静かに、確信する。


姉を見ている。


主としてではない。


それ以上の何かを。


その時――ふと、もう一つの視線に気づいた。


思わず振り向くと、シュリが部屋の隅で佇んでいた。


その瞳は――イーライに向けられていた。


息を詰めたような顔で、苦痛を押し殺すような、強張った表情。


澄んだシュリの瞳が、苦痛に満ちたものになっている。


ユウの部屋に、イーライがお茶を淹れに訪れる。


それは、この城に来てからの日常。


なぜ、そんな瞳をしているのだろう。


ーーどうして?


違和感が、重なる。


そのまま視線を戻すと、

ユウは、何も知らない顔でカップを傾けていた。


イーライを見上げ、小さく頷く。


「……美味しい」

そう言いたげな、柔らかな表情。


ーー何かが、おかしい。


嫁ぐ前と同じお茶、同じメンバーなのに、何かが違う。


ウイは、ゆっくりと視線を逸らした。


その先で――レイと目が合う。


黒い瞳が、じっとこちらを見ている。


そして、わずかに頷いた。


ーー気づいてる。


この部屋に流れる、奇妙な空気を。


お茶の時間が終わり、ユウは部屋の移動に取りかかった。


その隙を縫うように、ウイはレイの部屋へ駆け込む。


扉を閉めた瞬間――レイの肩を掴む。


「レイ……どういうこと?」

主語のない問い。


それでも、伝わる。


レイは、息を呑んだまま首を振る。


「……わからないの。姉上が……突然、妾になるって……」


そこから先は、言葉にならなかった。


ウイは、レイの肩に手を置く。


「姉上は……キヨ様を、好いているの?」


あり得ないと分かっている。


それでも、口にせずにはいられなかった。


レイはすぐに顔を上げる。


「違うわ」


「じゃあ……どうして」


「わからないの……」

レイの頬を、涙が静かに伝う。


「聞きたいの……どうしてって」

ウイの声も、揺れる。


レイは、小さく頷いた。


「でも……聞けない」


その一言が、重く落ちる。


沈黙。


息をするのも、苦しい。


やがて――ウイは、ゆっくりと顔を上げた。


「……イーライと、シュリも……変よ」


レイの瞳が揺れる。


「……前からそうだったけれど、最近は妙なの」

小さく、同意する。


そのやり取りを、少し離れた場所から見ていたサキとモナカが、

無言で、頷いた。


やがて――夜。


ウイはレイとともに枕を抱え、ユウの部屋を訪れた。


「今日は姉上と一緒に寝る」


そう言うと、ユウは柔らかく微笑み、頷いた。


扉をくぐった瞬間――ウイの足が、わずかに止まる。


広い寝室に、三人が並んでも余るほどの寝台。


かつては、豪華だと思った。


広くて、綺麗で――羨ましいとさえ。


だが、今は違う。


ーーこの広さは。


言葉にならないものが、胸の奥に沈む。


「ウイ?」

ユウの声に、はっとして顔を上げる。


「……なんでもないわ」

取り繕うように、笑った。


寝支度を整えている間、部屋の隅では、

シュリとユウが目を合わせていた。


会話はない。


けれど、通じている。


昔から何度も見てきた、二人だけのやり取り。


そして、言葉にしてはいけない距離感。


ウイは、シュリの顔をじっと見つめていた。


ーー妾になるのを……止められなかったの?


問いは、胸の奥で沈んだままだった。


その夜、ウイは真ん中に入った。


左右に、姉と妹。


金、金褐色、黒の髪が、枕に広がる。


その中で、ウイの視線は棚にある木像に向いた。


城が落ちる夜、母がユウに手渡したもの。


――ウイとレイをお願い。


母が伝えた言葉は、後から聞いた。


姉上は、静かに頷いたと聞く。


ウイは、ゆっくりと寝返りを打つ。


ーー姉上と私は1歳しか違わない。


それなのに、姉上はずっと大人だ。


左隣で寝ているユウへと、ウイは体を寄せる。


「どうしたの?」

ユウが微笑む。


母に、よく似た顔。


ーー姉上……どうして。


今日、何度も浮上した疑問を、胸の奥に押し込める。


「こうして、三人で寝られて……幸せだわ」


それしか、言えなかった。


ユウは、静かに頷く。


「リオウとは、うまくやっているの?」


「……うん」

ウイが小さく答える。


頰が赤くなるのを感じたけれど、

ユウの眼差しは、『本当?』と言わんばかりだった。


「リオウ様は……優しいわ」

その声は、少し掠れていた。


「そう……よかった」

ユウは、心から安堵したように微笑む。


その表情を見て――ウイは、息を止めた。


自分が手に入れたものと、姉が選んだもの。


あまりにも、違う。


ーー姉上は、どんな夜を過ごしているのだろうか。


「姉上……」

ウイは、思わず口を開いた。


――姉上は幸せなの?


ユウの横顔は、静かだった。


――何も、こぼさない顔。


「……なんでもない」

やるせなさと悲しみがこみあげたウイは、

そっとユウの胸に額を押し当てた。


柔らかな温もりに目を閉じた。


ーー明日は、式典。


そして、その後は――また離れる。


指先が、無意識にユウの衣を掴んだ。


ほんの少しでもいい。


この時間を、繋ぎ止めるように。


「……ウイ?」

ユウの声が、静かに落ちる。


ウイは顔を上げず、小さく首を振った。


「……なんでもない」

嘘だと、自分でも分かっている。


それでも、言えない。


ーー姉上……どうして。


問いは、また喉の奥で止まる。


答えを聞けば、何かが壊れる気がした。


だから――何も聞かない。


ただ、こうしているしかなかった。


「……」

ユウは何も言わず、そっと、ウイの頭に手を置いた。


その仕草は、昔と変わらない。


優しくて、静かで――

そして、どこか、決定的に遠い。


すぐ隣にいるのに、

姉上は、もう、手の届かない場所にいるような気がした。


次回ーー明日の20時20分


式典前夜。

静かに積み重なる違和感。


黄色のドレスに揺れる視線。

そして、誰にも言えない執着。


――気づき始めている。


壊れかけた想いに。


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