甘えてはいけないのに、離れられない
二人は息を潜めたまま、静かに、固く抱き合っていた。
ユウの嗚咽が静まり、穏やかな呼吸になっていく。
それでも、ユウはシュリの衣を握りしめていた。
やがて――
シュリは、ゆっくりと腕の力を抜く。
「……失礼いたしました」
目を伏せて、一歩だけ、距離を取った。
ユウは、まだ顔を上げられないまま、小さく息をつく。
その指先が、わずかに彼の衣を掴んでいた。
「ユウ様……」
シュリは困ったように眉を寄せたが、その声は揺れていた。
ユウは、黙って首を振る。
その様子に、シュリは抱きしめたくなる衝動を必死に抑える。
「……こうしていたい」
指先が、わずかに彼の衣を握り直した。
その声に、シュリの目が見開かれる。
その時ーーノックの音が響き、二人は慌てて距離をとった。
「失礼します」
ヨシノだった。
ユウは顔を伏せて、椅子に座り、シュリは部屋の隅にいた。
それでもーー部屋の空気は、先ほどとは違っていた。
ヨシノは素早く目を動かす。
決して顔を上げないユウ。
そして、距離を取りすぎているシュリ。
その空気を感じないふりをして、ヨシノは話す。
「席順はすでに決められております。ユウ様が入場の際は最後だそうです」
「最後?」
シュリの眉がよる。
ーーゼンシ様の姪であるユウ様が、末席に座る?
ユウも顔を上げた。
「席順、そして、並びの配置はすべてイーライ様が取り決めたようです」
ヨシノが目を伏せる。
「そう」
ユウが答えた。
イーライの取り決めは、国王ーーキヨの意図を組んでいることだ。
その時、部屋の扉がノックされた。
ーーウイ?
ユウの瞳に光が入る。
しかし、現れたのはレイだった。
「レイ、どうしたの?」
「姉様は、まだ来ないの?」
レイは、そう言って駆け寄る。
「まだだと思うわ」
ユウは微笑む。
「どうして? もう城に到着していると聞いているわ」
レイは不満げに、少し頰を膨らます。
「到着したとしても、キヨとミミ様に挨拶、ほかの領主に挨拶、メアリー様の後に私たちのところよ」
「待ちきれないわ」
レイは、ユウの肩に擦り寄る。
「そうね」
ユウは、レイの黒い艶やかな髪を、なだめるように撫でる。
その手つきは、シュリがしているものと似ていた。
「でも、姉様ならお茶の時間に間に合うように来るはずよ。だって、お菓子が出るもの」
レイは、黒い瞳を見上げて面白そうに話す。
ふふ……とユウの口から微笑みがこぼれた。
その時、再びドアがノックされた。
ーーウイ?
レイは背筋を伸ばし、ユウは思わず息を詰めた。
入ってきたのはイーライだった。
丁寧に一礼し、顔を上げる。
――その瞬間、部屋の空気が、わずかに変わる。
先ほどまでの温もりが、静かに引いていく。
「……何か」
異変を感じたイーライが口を開きかけた、その時――レイが吹き出す。
「ウイかと、期待してしまったの」
ユウが捕捉するように説明した。
「失礼しました」
少しだけ頰を緩めたイーライの横顔を、
シュリは複雑な表情で眺めていた。
『……見られているの。毎回』
ユウの言葉を思い出す。
支度を整えているイーライの横顔を見つめる。
黒髪は清潔に整えられ、
額にかかる影すら計算されたように見える。
長い睫毛の奥の瞳は、静かで落ち着いている。
シュリの呼吸が、わずかに乱れる。
――見ているのか。
その光景が浮かんだ瞬間、視線を逸らせなくなった。
銀のワゴンを押すが、その動きはいつもより遅い。
「明日の式典においては説明がございます」
イーライは紙を広げ、ユウとレイは覗き込む。
「中央にキヨ様とミミ様、ユウ様は右側の椅子にお座りください」
右側ーーそれは妾たちが座る場所だ。
「列の後ろに私もおります。不明なところがありましたら、お尋ねください」
イーライの声は淀みない。
「私は?」
レイの問いに、イーライは頷く。
「レイ様は、中央へ、家族席でございます」
「姉上の隣が良い……」
「それは無理でございます」
イーライは少しだけ眉を下げた。
指先でレイの席を示す。
細く整った指が、迷いなく位置をなぞる。
――正確すぎる。
シュリは歯を食いしばる。
『触れられて……確かめられる』
ユウの言葉が耳からこびりついて離れない。
細く整った指。
あれが、ためらいもなく彼女に触れる。
それを想像した瞬間、
喉の奥が焼けるように痛んだ。
いつも、身近にいた男に嫉妬してしまう。
「明日の式服でございます」
イーライは、ワゴンから包みを取り出した。
中を開けると、目が覚めるような赤色が見え、
ユウとレイは、思わず息を止めた。
「ずいぶん派手ね……」
つぶやくユウを横目に、レイは頷く。
「イーライが用意したものなら大丈夫よ」
光るビーズを見つめたあと、レイは、意味ありげにイーライを見上げる。
イーライは、わずかに視線を落とした。
柔らかく微笑んでいるようでいて、
彼の表情は決して崩れない。
「ユウ様のお部屋が整いました。今晩から戻っていただけるかと」
静かな声で、イーライは告げた。
「修復が終わったのね」
レイが質問をすると、イーライは頷く。
ユウは、居心地悪そうに肩をすくめた。
ーー数ヶ月前に、あの部屋で暴れたのは消せない過去だった。
「はい。お茶の後に移動をしましょう」
そう伝えた後、イーライは懐から羊皮紙を取り出した。
「ウイ様が、今晩、この部屋に泊まるように申請をしました」
その言葉に、ユウとレイは顔をあげる。
「良いの?ウイは本館に泊まるのではないの?」
目を見開くユウに、イーライは少しだけ目を細める。
「この部屋に、泊まれるように手配をしました。
リオウ様は、殿方なのでここには泊めれませんが、ゆっくりと姉妹でお過ごしください」
イーライが説明すると、ユウとレイは思わず手を取り合った。
二人が喜ぶ姿を見て、シュリは目を伏せた。
ーーすごい気遣いだ。
嫁いだとはいえ、外部の人間を、この棟に宿泊させるのは、
複雑な手続きが必要だ。
そもそも、ウイ様をここに宿泊させたら。
ーーあの人が喜ぶことを想定して行っている。
その気遣いの裏には、どれほどあの人を大事に想っているかが伝わる。
イーライのしていることは、決して認めたくない。
けれど――
あの男も――同じ目で、ユウ様を見ている。
そう思った瞬間、胸の奥が、鈍く痛んだ。
次回ーー明日の20時20分
再会した三姉妹。
けれど――何かが、違う。
言えないまま重なる違和感。
届かない距離。
「姉上は、どうして」




