花散る下で、秘められた想い
馬を走らせ、一行はりんご並木へ向かった。
街道に出ると犬が吠え、領民たちは驚きのあまり足を止めた。
「金色の妃様だ!」
「まさか・・・!」
次々と上がる声に、ユウは手綱を引きながら眉を寄せる。
訝しげに隣のサムを見やった。
「・・・シリ様と、勘違いされているようです」
サムは穏やかに微笑む。
「私・・・そんなに母上に似ているかしら」
ーー知ってはいた。
けれど、そこまでとは。
サムは頷き、静かに言葉を添えた。
「似ておられます」
ユウが息を呑む横で、シュリはわずかに視線を伏せた。
――あまりにも似ている母娘。
だからこそ、人を惹きつけ・・・そして、その重なりにユウ自身が苦しんでいるのではないか。
ユウは頬を打つ風に目を細めた。
――母も、この風を感じていたのだろうか。
やがて一行は、細い道を走り抜け、曲がり道を越えた先に広がるりんご並木へとたどり着いた。
白の花々が枝いっぱいに咲き誇り、風に揺れては香りを運んでくる。
「・・・きれい」
ユウが思わず声をあげる。
花びらが舞い、金の髪に触れる。
ユウは静かに馬を下り、並木道を歩き出した。
「母上も・・・この光景を見たのかしら」
小さく呟き、指先でひとひらの花弁を受け止める。
サムが後ろから言葉を添えた。
「ええ。シリ様は春になるとここを訪れ、グユウ様と見ていました」
ユウの胸に熱いものが込み上げる。
「あそこの木の根元に座って・・・お話をしていました」
サムが指を指す。
――母が笑い、父と語らった場所。
今、自分が同じ場所に立っている。
ユウは、そっと木肌に頬を寄せた。
「・・・不思議ね」
花々のざわめきに溶けるように、穏やかな声が零れる。
「初めてなのに・・・懐かしい気持ちになるの」
風が吹き抜け、りんごの花びらが雪のように舞った。
肩や金の髪にひらりと降り積もる。
満開の並木の下、木にもたれるユウの姿は、まるで別世界の幻影のように美しい。
少し離れた場所でシュリが、その光景を黙って見つめていた。
胸の奥で、言葉にならない熱が揺れる。
後方に立つイーライも、思わず息を呑む。
彼はこれまで、怒りに燃える顔、悲しみに沈む顔、泣くのを堪えて強がる顔しか知らなかった。
今、目の前にあるのは――初めて見る、安らぎに包まれた表情。
吸い寄せられるように、イーライの瞳はユウを追っていた。
サムはそんな青年の後ろ姿を見ながら、馬にブラシを当てていた。
ユウは、ふっと地面に腰を落とそうとした。
「・・・ユウ様!」
慌ててシュリがポケットから布を取り出す。
「こちらをどうぞ」
例え乗馬服でも、地面に直接腰を下ろすのはよくない。
ひらりと広げられたハンカチを見て、ユウは小さく目を細める。
「シュリ、今日はハンカチを何枚持っているの?」
「・・・五枚です」
「そんなに」
堪えきれず吹き出す。
舞い散る花びらの中で笑うその顔は、いつ以来だろう。
――ユウ様が笑ってくださるのを、見るのは本当に久しぶりだ。
シュリは目を細め、胸の奥が温かくなる。
一方、少し離れた場所で見ていたイーライは、思わず唾を飲み込んでいた。
笑みに照らされた横顔に、ただ見惚れるしかない。
「ユウ様が・・・どこでも腰を下ろしてしまわれるからですよ」
シュリの声は柔らかく、まるで弁護するかのように響く。
「・・・シュリ」
ユウが彼の腕を掴んだ。
「座って。隣に」
「・・・失礼いたします」
一礼をしてから、少し間を空けてりんごの木の下に並んで腰を下ろす。
花の香に包まれた空気の中、ユウは遠くを見るように瞳を細めた。
「母上と父上は・・・ここで、どんな話をしていたのかしら」
夢見るような声は、風にさらわれ、静かに散っていった。
「・・・私は、母上に似ているらしい」
ユウは目を伏せ、指先を膝の上で重ねた。
「けれど・・・心はちっとも追いつかない。母上のように、強くも賢くもない」
「私は・・・」
シュリはゆっくりと言葉を選んだ。
「ユウ様がシリ様そっくりだと思ったことは、一度もありません」
思わずユウの瞳が揺れる。
「似てない・・・と?」
――そんなふうに言われたのは、生まれて初めてだった。
「もちろん、似ているところもあります」
シュリは微笑を浮かべながら、穏やかに続ける。
「けれど・・・ユウ様とシリ様は、全然違う」
「違う?」
穏やかな声に、揺るぎない想いがにじむ。
「瞳の色はユウ様の方が深い。性格は・・・シリ様よりずっと苛烈で、情が濃い。
それに、笑うとき、右の口端が少し先に上がるんです」
「・・・そんなの、間違い探しじゃない」
ユウは思わず笑いながらも、頬に熱を感じた。
「間違い探しではありません」
シュリは静かに、けれど確信を持って言った。
「私は、誰よりもユウ様を見てきましたから」
ユウの胸が強く打つ。
――この人は、母に似ている私ではなく、“ユウ”という私を見てくれている。
「シュリ、私はやってみるわ」
その声は穏やかでありながら、確かな力を帯びていた。
「・・・?」
シュリが振り向く。
「・・・あの男は、私を妾にしようとしている」
ユウは拳を握りしめ、青い瞳に怒りを宿す。
「でも、私は屈しない。母上のように、毅然としてみせる」
シュリは息を呑み、返す言葉を失った。
その強さの奥にある孤独を、痛いほどに感じ取ったからだ。
「・・・あの男は執拗で、知恵もまわる。力も口も持っている」
ユウの声には怒りと決意が混じる。
「でも、妾になんて、なるものですか」
言葉とともに、ユウの胸が焼けつくように痛む。
悔しさに唇を噛み、青い瞳が揺れた。
その横顔に、シュリは言葉を失いながらも深く頷いた。
「それでこそ、ユウ様です」
シュリは目に賛美を宿しながら、静かに微笑んだ。
彼の胸には、敬意と、それを超えた想いが強く波打っていた。
「私も・・・お守りします」
シュリは真剣な眼差しで言葉を紡いだ。
「え・・・」
ユウが小さく息を呑む。
「ユウ様が望む限り・・・私はずっと側におります」
乳母子という立場だからこそ、ためらわず言える誓いだった。
「・・・シュリ。ありがとう」
雪のように舞う花びらを背に、ユウはふっと微笑んだ。
ユウは頬を赤らめ、シュリをじっと見つめた。
その視線に気づいたシュリもまた、しばし目を合わせ――やがて静かに視線を落とす。
言葉は交わさなくても、二人の間に流れるものは明らかだった。
――これ以上、踏み込んではいけない。
胸の奥で自分に言い聞かせる。
姫と乳母子。
決して超えてはならぬ境界がある。
それを知りながら、互いの想いは確かにそこにあった。
少し離れた場所から、イーライは二人を見つめていた。
肩を寄せるわけでも、言葉を交わすわけでもない。
ただ視線が絡むだけ。
それなのに、彼の胸は軋むほど痛んだ。
――なぜだ。
気づけば、拳を強く握りしめている。
理由はわかっていた。
「・・・俺も、あの方を・・・」
低く、誰にも届かぬ声で吐き出す。
認めてしまえば最後、もう後戻りはできない。
キヨ様から与えられた役目は、姫を監視し、報告すること。
それなのに、自分の目はいつしか「監視」ではなく「憧憬」で曇っていた。
彼女の微笑みも、瞳の揺らぎも、見ているだけで胸が熱くなる。
だが。
その想いは決して届かない。
乳母子であるシュリよりもなお、遠い立場の自分。
イーライはぎり、と奥歯を噛みしめた。
風に散るりんごの花びらが、無情に彼の肩を覆っていく。
そんな二人の青年の様子を、サムが遠巻きに眺めている。
ユウを見つめる二人の瞳に、同じ熱を宿していることを、サムは見逃さなかった。
「・・・若いな」
誰に聞かせるでもなく、低く呟いた。
サムは呟き、視線を空へ向けた。
りんごの花びらが風に乗り、ひらひらと舞い散っていく。
第1章、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
明日からは第2章。
三姉妹がそれぞれの道を歩き、物語は一気に動き出します。
次の章もどうぞよろしくお願いします。
次回ーー明日の9時20分
※木曜日と日曜日は2回更新
穏やかな日々の裏で、心は静かに軋み始めていた。
忠誠と恋情。義務と衝動。
ひとつの笑顔をめぐって、三人の運命が揺らぎ出す。
――その恋が、すべてを壊すことを知らぬまま。




