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止められぬ想い ーー姫か、騎士か

翌朝、ロク城には、久しくなかった静けさが戻っていた。


朝食の卓に並んだ皿を、ユウはふと手に取る。


「この果物、美味しい」

ぽつりと漏れた声に、自分でも驚いた。


母を失って以来、食事に心が動くことはなかった。


ーーけれど。


茶色く甘いそれは、「美味しい」と思えたのだ。


「ああ、それは――」

ヨシノが説明を添えようとしたその時。


コン、コン。

扉を叩く音が響き、場の空気が引き締まる。


現れたのは、重々しい気配をまとったサムだった。


「姫様方の護衛をするために挨拶に伺いました」

落ち着いた声が部屋に響く。


ユウは少しだけ眉を上げ、問いかけた。


「サム、あなたは戦に参戦しないの?」


「この城と姫様方をお守りするのが、私の任務にございます」

迷いのない答え。


「そう……ありがとう」

ユウの声にはわずかに安堵が混じった。


ウイが嬉しそうに顔をほころばせる。


「よかった……サムがそばにいてくれるのね」

レイも小さく頷き、黒い瞳でじっとサムを見つめていた。


頼れる重臣の存在に、三姉妹は言葉以上の安心を覚えていた。


ユウの瞳もまた、ほんのひととき柔らかさを帯びていた。


「サム、ユウ様がこれを“美味しい”とおっしゃったのですよ」

ヨシノが微笑みながら声をかける。


かつてレーク城で共に主に仕えた者同士、二人の間には気心の知れた空気が流れていた。


「ああ、りんごか」

サムの顔に柔らかな笑みが浮かぶ。


「これは……りんごという果物なのね」

不思議そうに見つめるユウに、サムは嬉しげに頷いた。


「シリ様がお好きだったのです」

サムは目を細めた。


「そうなのね」

ユウはしげしげと茶色の砂糖漬けを見つめ、口に運んだ。


甘酸っぱさが広がり、どこか懐かしい温もりを感じさせる味。


「母上が……好きだった味」


レイもひと口含み、すぐに顔を顰めた。


「酸っぱい」


その表情に、ウイが思わず吹き出す。


「ちょうど今ごろは……あそこでも、りんごの花が咲いている頃でしょう」

ヨシノが静かに呟く。


「ああ……あそこか」

サムの顔に、寂しげな翳りが落ちた。


「あそこ、とは?」

ユウがサムをまっすぐ見つめる。


「シリ様とグユウ様が、ことのほか気に入られていた場所がありまして……今ごろは、りんごの花が見頃かと」

サムは懐かしさと寂しさを宿した眼差しで答えた。


「行ってみたい!」

思わずウイが声を弾ませる。


「残念ながら、馬車では行けぬ場所なのです。道が険しゅうございますから」

サムは苦笑を交えて答える。


「……そう、なの」

ウイはしょんぼりと肩を落とした。自分には乗馬ができない。


「私が行きます」

ユウの声がはっきりと響いた。


「ユウ様が?」

サムは目を瞬かせ、言いかけてから問い直す。


「ひょっとして……乗馬を?」


「もちろんです」


ユウは少し顎を上げ、静かに告げた。



サムは驚きと同時に、懐かしい笑みをこぼす。


「そういうところも……シリ様にそっくりで」


その言葉に、後ろで控えていた乳母とシュリが小さく笑みを漏らした。


城が落ちて以来、久しくなかった柔らかな空気が、ふっと部屋に流れた。


「レイ、一緒に行かない?」

ユウは隣の妹に声をかける。


ウイには無理でも、末のレイは馬を乗りこなすことができた。


レイはちらりとユウの顔を見、それから視線をシュリへと走らせる。


「……私はいいわ。遠慮しておく」

短くそう告げ、目を伏せた。


ウイは不思議そうに首を傾げる。


サムは姿勢を正し、深く頭を下げた。


「乗馬の件、ミミ様に伺いを立ててまいります」


そう告げると、静かに部屋を辞した。



サムはミミから正式に許可を得て、乗馬の準備を整えていた。


騎乗服に袖を通したその姿に、厩舎で待っていたイーライが駆け寄る。


「私も、ご一緒いたします」


「ああ。別に構わんが」

サムは少し眉を上げた。


普段なら冷静に距離を保つイーライが、進んで同行を願い出るなど珍しい。


――やはり、キヨ様から命じられているのか。


馬場に出ると、朝の光が眩しく降り注いでいた。


その時ーー


視線の先から、軽やかな足取りで近づいてくる姿に、

イーライの瞳が大きく見開かれる。


「……!」


そこにいたのは、飾り気のない紺の乗馬服を身に纏ったユウだった。


すらりとした体躯に凛と映えるその姿は、まるで男装の麗人。


シュリと並び歩くその姿は、姫というより王子のようだった。


「な……男装……!」

イーライの声がわずかに上ずった。


「ふふ、そう見えるか」

サムは愉快そうに頷き、口元を緩める。


ユウは二人の前に立ち、風をはらんだ金の髪を揺らしながら笑みを浮かべた。


その青い瞳には、晴れやかな光が宿っている。


「ユウ様……本当に馬に乗れますか?」

イーライは、確かめるように質問をする。


「乗れます」


ユウは迷いなく馬に歩み寄り、しなやかな動きで鐙に足をかけた。


そして、軽やかに鞍へと腰を下ろした。


イーライは、息を呑んだ。


背筋を伸ばし、手綱を握る姿は、堂々たる騎士そのものだった。


「……なんと」

イーライは呆然と呟いた。


——その姿から、目を逸らすことができなかった。


「驚いたか」

隣で見ていたサムが口元を緩める。


「……似ておられる」


風に金の髪が舞い、ユウの青い瞳が朝の光を映して輝いた。


「行きましょう」


ユウの声と同時に馬が地を蹴り、軽やかに駆け出す。


そのすぐ後ろに、シュリが馬に跨り、影のように寄り添って走った。


主を先に立て、護るように距離を取る――それは幼い頃から染みついた習慣だった。


「……女性が……まるで騎士のように」

イーライは馬上で唖然としながら呟く。


どんなに言葉を尽くしても、足りない気がした。


サムは遠くを見つめ、懐かしげに息を吐いた。


ユウの笑みが風に乗って響く。


その背を追うシュリの瞳には、決意と静かな情熱が宿っていた。



馬場を駆け抜ける蹄の音が、春の空気を震わせていた。


「レイ、どうして一緒に乗らなかったの?」

見送りの位置に立つウイが、首をかしげながら尋ねた。


背後では、乳母たちが感嘆の声をあげている。


勇ましく馬を操る姉の姿は、誰の目にも眩しく映っていた。


「好きでしょ、乗馬?」

ウイはさらに問いかける。


レイはしばし黙り、じっと姉の背中を見つめていた。


やがて小さく息を吐き、静かに答える。


「今回はいいの」


「どうして?」


「邪魔したら、悪いでしょ」


黒い瞳は真っすぐに、遠ざかる二つの背中を追っていた。


風を切って走るユウ、その傍らに寄り添うシュリーー。


そこに割り込むべきではないと、幼いながらに悟っていた


「……?」

ウイは納得できないまま、ただ小首をかしげる。


その無邪気さが、レイの沈黙をいっそう深くさせていた。



東側の窓からは、馬場を見つめる二つの人影が見えた。


「まあ……本当に乗馬をされるのですね」

メアリーが思わず声を上げる。


「……本当に、お上手」

ミミが静かに呟いた。


長身で手綱を操るユウの姿は、もはや「姫」ではなく、頼もしい青年の騎士のように映る。


ふ、とミミの口元に笑みが浮かぶ。


「見た目は美しいのに、心は戦士……惹かれるわけね」


視線を落とすと、胸の奥にざらりとした感情が広がる。


――あの少女に、夫は夢中なのだ。


遠ざかっていくユウの背中を、瞳で追いながら、ミミの表情に影が差した。


「……止められないわね」


その横顔は、どこか寂しさを帯びていた。


メアリーは黙ってその横顔を見つめ続けていた。


灰色の瞳だけが、何も語らなかった。





次回ーー明日の20時20分


馬を走らせ、りんご並木へ。

「金色の妃様だ!」――母と見間違えられた少女は、花びらの下で決意する。

「妾にはならない。毅然としてみせる」

春の風が、彼女の運命を告げていた。


ブックマークありがとうございます。

本当に。励みになります。


◇ 登場人物


ユウ

シリの長女。気高く芯の強い少女。母に似て乗馬を得意とする。


シュリ

ユウの側仕え。主を影のように守り続ける青年。


サム

ワスト領の重臣。グユウに忠義を尽くした。穏やかで実直。


イーライ

キヨの家臣。冷静だが、ユウに複雑な感情を抱く。


ウイ

三姉妹の次女。明るく無邪気。姉を慕い、場を和ませる存在。


レイ

末の妹。静かで聡明。姉とシュリの絆を敏感に感じ取っている。


ミミ

キヨの正妻。冷静で知的だが、夫の“執着”を見抜いている。


メアリー

キヨの妾。灰色の瞳を持つ聡明な女性。沈黙の裏に複雑な思惑を秘める。


ヨシノ

ユウの乳母。母代わりとして三姉妹を支えてきた女性。


シリ

故人。かつての領主妃。母として、民として、深い愛と覚悟を遺した。

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