月下、選ばれたのは――
踊り終えたイーライは、浅く息を整え、すぐに能面のような表情を作り直した。
背中に、突き刺さるような強い視線を感じる。
――エドワード様。
さて・・・どう出る。
職務上、敵に回してはならない相手だ。
ゆっくりと振り返ると、エドワードがこちらを見据えたまま、静かに立ち上がっていた。
その背後には、にやりと口角を上げたリチャードの姿がある。
その瞬間だった。
「エドワード」
凍りつくような声が、ホールに響き渡る。
声の主は、ものすごい剣幕で歩み寄ってくる一人の女――エドワードの妻、ローラだった。
「ローラ、違うんだ!」
エドワードが思わず声を上げる。
その叫びに、観衆の視線が一斉にローラへ向いた、その刹那。
リチャードが動いた。
近くにあったテーブルクロスを、ためらいなく、強く引き抜く。
テーブルが傾き、
グラスと皿が床へと雪崩れ落ちる。
――ガシャン!
激しい音がホールを満たした。
ミミは思わず額に手を当て、
キヨは王座から立ち上がって怒鳴る。
「エドワード! 何をしておる!」
観衆の視線が、一斉にエドワードへ集中する。
その混乱の中――
シュリは、ユウの手を強く掴んだ。
「こちらへ」
有無を言わせぬ力で引き寄せる。
二人は誰にも気づかれぬよう、静かにホールを抜け出し、城の廊下を走った
◇
ユウの手を掴んだまま、シュリは走った。
二人は息もつかぬ勢いで城を抜け、東側の庭園へ向かう。
庭へ一歩踏み出そうとした、その時だった。
シュリは、はっと足を止める。
ユウは、片手に靴を持ち、裸足のまま走っていた。
息を切らしながら立つその姿を見て、胸の奥が冷えた。
――とんでもないことをしてしまった。
「・・・申し訳ありません」
思わず、深く頭を下げる。
姫をホールから連れ出したこと。
そして、裸足で走らせてしまったこと。
――俺は、何をやっているんだ。
「・・・ホールへ戻りましょう」
そう口にしたが、ユウは首を横に振った。
顔を顰めながら靴を履き直し、ふと、空気を吸い込む。
「薔薇の香りが、かすかにするわ」
そう言って、庭へ足を踏み入れる。
「ユウ様・・・?」
振り返ったユウは、少し困ったように笑った。
「夜の散歩、面白そう」
そう言って、ユウはドレス姿のまま庭へ降りる。
「行きましょう」
差し出された手を、シュリは黙って取った。
庭に出ると、夜気が頬を打った。
月明かりの下、ユウは振り返る。
「ここにいる方が、楽しいわ」
薔薇のアーチの下には、小さなベンチがある。
――あそこで、リチャードは。
一瞬よぎった想像を、シュリはすぐに振り払った。
「・・・座りましょうか」
ハンカチを取り出し、ベンチに敷いてユウを座らせる。
「足は・・・大丈夫ですか」
「とても痛いわ」
そう言って、ユウは無造作に靴を脱いだ。
踵は赤く腫れている。
「後で、母さんに軟膏を塗ってもらいましょう」
シュリは、意識して視線を逸らした。
月光の下で見るユウの足が、あまりにも目を引いたからだ。
静かな風が吹き抜け、遠くから音楽が流れてくる。
「・・・ダンスが再開されたようですね」
「エドワードは、奥様に叱られているはずよ」
ユウは、くすりと笑う。
「そうですね」
シュリも、思わず口元を緩めた。
「・・・この曲」
ユウは、耳を澄ませる。
「子供の頃、この曲で踊るの、憧れだったの」
ステップは少なく、踊り手との距離が近い曲。
「大人の淑女になったら、踊るものだと思っていたわ」
少し間を置いて、ぽつりと呟く。
「・・・私、いつの間にか大人になってしまったのね」
優しい風が、二人の間をすり抜ける。
「シュリ」
ユウは、そっと手を差し伸べた。
「私と、踊ってくれない?」
「今日は・・・二曲まで、と聞いております」
動揺を隠すように、シュリが答える。
「ええ。義務は果たしたわ」
ユウは、はっきりと言った。
「この曲は、あなたと踊りたいの。この場所で」
差し出された手を、シュリは震えながら受け取る。
ユウは静かに立ち上がり、自然にシュリの胸元へ身を寄せた。
「踊りましょう」
耳元で囁かれた声は、甘く、抗いがたい。
シュリはユウの背に手を添える。
二人は、薔薇の花が点在する庭で、身体を寄せ合い、静かに踊った。
短い曲が終わっても、すぐには離れられず、ただその場に立ち尽くす。
月光の下、
ユウの白い背と首筋が、静かに銀色に輝いていた。
シュリは、わずかに距離を取り、ユウの顔を見つめた。
金色の髪が月光を受けて淡く反射し、
青い瞳は、昔と変わらず人を惹きつける光を湛えている。
髪に挿した白いバラが、今にも落ちそうだった。
無言のまま、シュリはそっと手を伸ばし、それを整える。
――これが終わったら、ホールへ戻ろう。
そう思ったはずなのに、手は正直だった。
離れがたいとでも言うように、必要以上に時間をかけて、髪に触れ続けてしまう。
――『攻めろ』
リチャードの声が、脳裏に鮮明に蘇った。
気持ちを落ち着かせようとして、シュリは視線を上げる。
そして、気づいた。
ユウが、まっすぐに――逃げも隠れもせず、シュリを見つめていることに。
「あ・・・」
息を呑んだ、その瞬間だった。
シュリは、衝動のままユウの顎に手を添え、
自分から――唇を重ねていた。
ユウは一瞬だけ目を見開き、
次の瞬間、強くシュリの袖を掴む。
初めて唇を重ねたあの時よりも、
何度も触れ合ってきたはずなのに――
シュリの方から口づけたのは、これが初めてだった。
唇が離れ、また重なり、
二人は言葉を持たないまま、何度も確かめ合う。
それは、衝動であり、覚悟であり、
そして――
シュリが初めて、自ら選び、踏み出した、大きな一歩だった。
次回ーー本日の20時20分
夜会は崩れ、
姫は庭へと連れ出される。
月明かりの下、
ついに踏み出される“選択”。
けれど――
甘い夜は、見逃されなかった。




