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見事な腕前――だが、一生出世できない青年

彼は戦士か、それとも乳母子か。剣が答えを示す、朝の稽古


翌朝。


薄明の空の下、シュリはヨシノと共に姫たちの朝の支度をしていた。


「朝食は、姫様方がお目覚めになってからでよろしいですか?」

ウイ付きの乳母モナカがヨシノに確認をする。


「そうね。ユウ様は・・・目覚めが遅いはずだから」

ヨシノは逡巡しつつも、静かに返事をした。


そのとき――。

西の館の廊下に、硬い靴音が響く。


振り向いたシュリの前に現れたのは、木剣を手にしたサムだった。


「・・・シュリ、早朝稽古をしないか」


無骨な声音。

冗談の色はひと欠片もない。


その瞳には、確かめたいという強い意志が宿っていた。


「私と、ですか」

思わず問い返すシュリ。


「ユウ様を守るのがお前の役目だろう。その腕前・・・この目で見ておきたい」

サムの声は淡々としているが、言葉の一つひとつが重い。


断る余地はなかった。


シュリは無言で腰の剣を外し、差し出された木剣を受け取る。


まだ冷たい木肌が掌に馴染むまで、ほんの一瞬。


二人は歩き出した。


東の空が白み始め、城壁の影が長く伸びていく。


吐く息は白く、空気は冷たい。


やがて辿り着いたのは、城の馬場。


木剣がぶつかり合い、乾いた音が朝の冷気を裂いた。


既に数名の兵が鍛錬を始めており、サムとシュリの姿を認めてざわめきが広がった。


「誰だ、あいつ?」

「セン家の姫の・・・使用人、と聞いたが」

「使用人? しかも男だと?」


兵たちは眉を寄せ、好奇と警戒を入り混ぜた視線を送っていた。


その中で木剣を振るっていたイーライが手を止め、細めた目でじっとこちらを見た。


サムは丘の上に立つ男へ顎をしゃくる。


「稽古を取り仕切るのは、あの方――キヨ様の実弟、エル様だ」


シュリは短く返事をし、サムと共に丘を登った。


「エル様、おはようございます」

サムが深く頭を下げる。


「サムか。良い朝だな」

エルは人の良さそうな笑顔を浮かべ、朗らかに応じた。


その視線が、サムの背後にいる青年へと移る。


「お前は・・・」

つい、先日謁見の間にいた青年だ。



「はっ。ユウ様の乳母子のシュリでございます」

サムの声は落ち着いていた。


「レーク城が落ちた折に一度共におりましたが、それ以来、顔を合わせるのは久方ぶり。

どれほどの腕となったのか、この場で拝見させていただきたく存じます」


「姫に男の乳母子・・・か」

エルの目がわずかに細められる。


兵たちのざわめきが背後で広がった。


「よろしくお願いいたします」

シュリは深々と頭を下げ、視線を床に落とした。


――この年頃で姫に仕える男。


奇異の目で見られることには、もう慣れている。


「構わん。シュリ・・・と言ったな」


エルは微笑んだ。


その表情には、兄キヨに似ぬ温かさがあった。


「城を守るために立つ者に、身分も出自も関わりはせぬ」

言葉は穏やかだが、重みがあった。


――彼自身も、領民の出から取り立てられた身だからだ。


まっすぐに差し伸べられた視線に、シュリは胸の奥で安堵を覚えた。


「共にこの城を守ろう」


穏やかな笑みを向けられ、シュリは短く「はっ」と答えた。


稽古場に向かう道で、シュリがぽつりとつぶやく。


「・・・随分と兵がたくさんいるのですね」


幼い頃からユウと共に歩んできた城々――レーク、シュドリー、ノルド。


それらを見てきた彼の目にも、このロク城は異様に映った。


「これでも半数だ」

サムの答えに、思わず顔を上げる。


「残りは、新城とシズル領に残っている」


「新城・・・?」


「あぁ。キヨ様は今、新しい城を築いておられる。その普請にも兵が割かれている」


「・・・キヨ様は、そこまで・・・すごい領主なのでしょうか」

無意識に漏れた問い。


サムの足が止まる。


「そう思うか」


「はい・・・領主という雰囲気が、まるでないのです」


シュリの脳裏には、過去に仕えた領主の姿が浮かぶ。


戦場を駆け抜けたグユウ。

圧倒的な武力でねじ伏せたゼンシ。

寡黙に背中で語ったゴロク。


それに比べて、キヨは――領主の影もなく、飄々とし、ただ獲物を狙う下心ばかりが透けて見える。


サムは静かに首を振った。


「・・・あのお方のすごさは、武力ではない。

巧みな話術、人の心に入り込む術、知恵と機敏さ、人を惹きつける愛嬌、そして粘り強さと気配りだ」

サムの声は淡々としていたが、その奥底には冷えた畏怖が潜んでいた。


「・・・それで、領主になれるのですか」

思わずこぼれる疑念。


「・・・グユウ様やシリ様のような気高さはない。

だが、恐ろしいほどに――思い描いたものを現実に変えてしまう」


「でも・・・武力面は・・・」


「それは、エル様が受け持っている」


兵が集う方へ歩みを進めると、賑やかな声が響いた。


「シュリ! 久しぶりだな!」

チャーリーが手を振りながら近づいてくる。


「・・・大きくなったな」

ロイも懐かしそうに目を細める。


二人はかつてレーク城で共に過ごした古参の兵。


だが二人の声には、まだ確信がなかった。


最後に見たのは、レーク城が落ちる直前――まだ四歳の幼子だったのだ。


今こうして立つ背の高い青年を前に、面影を探しながらも「本当にあの子か」と半信半疑の色を隠せない。


「お久しぶりでございます」

深く頭を下げるシュリ。


その仕草に幼き日の面影が重なる。


「ロイ。シュリと手合わせをしてくれ」

サムが短く命じる。


「承知」

ロイが木剣を手に取る。


次の瞬間、周囲の兵たちの視線が二人に集まった。


ロイは確かな腕を持つ熟練の兵。


対するは背の高いとはいえ、あくまで姫付きの使用人。


周囲の兵たちはなおさらだ。


「・・・使用人だろう?」

「木剣を振れるのか?」


訝しげな視線が一斉に集まり、場には妙な緊張が漂った。


エルもその様子を遠くから、じっと見つめていた。


木剣を握り合うシュリとロイ。


最初に踏み込んだのはロイだった。


正確な剣筋が横薙ぎに迫る。


「・・・っ」

シュリは即座に下がらず、身をひねって木剣を滑らせ、反撃に転じた。


最前列の兵が鼻で笑ったが、その笑みはすぐに固まった。


「おぉ・・・!」

周囲の兵から小さな声が漏れる。


最初こそ探るように打ち合っていたが、三合、四合と続くうちにロイの表情が変わった。


懐かしい子どもの姿はどこにもない。


目の前の青年は、堂々と剣を握る戦士そのものだった。


「・・・なるほど。確かに成長したな」

ロイが呟き、次の瞬間、木剣を本気で振り下ろした。


二人の間にわずかな隙が生まれる。


踏み込めば決着がつく――互いの呼吸が荒く、汗が土に滴った。


冷やかしていた兵がいつの間にか拳を握り締め、目を凝らしていた。


木剣が交わる甲高い音が馬場に響き渡る。


押し返されたシュリは一歩下がり、しかしすぐに踏み込んで打ち返す。


「すごいな」

「使えるじゃないか!」

半信半疑だった兵たちの視線が一気に熱を帯びる。


額に汗を浮かべながら、ロイは本気の笑みを浮かべた。


「シュリ・・・あの時の幼子が、こんな腕を持つとはな」


シュリは答えず、ただ静かに木剣を構え直した。


その姿は、確かに「守るべき姫に仕える者」としての覚悟を映していた。


最後の一撃が響き渡り、馬場に乾いた余韻が残った。


ロイの木剣が手から離れた。


誰一人声を上げず、息を呑む音だけが馬場に残った。


「シュリ、見事だ」

ロイは微笑みながら、地面に落ちた木剣を拾った。


「うまい」

遠くで見ていたエルは思わずつぶやいた。


ーー力はない。だが素早さと、相手を射抜くような目がある。


あの青年は乳母子ではなく、戦士と呼ぶ方が相応しい。


戦場に出れば、必ず功績を上げられるだろう。


だが同時に、兄の言葉がよみがえる。


――『お前は、一生乳母子だ』


出世の道は閉ざされている。


領民出身の兄、出世に対する想いは誰よりも強かったはずなのに。


未来ある青年が歩む道に蓋をした。


あの青年を見たときの、兄の嫉妬めいた目線を思い出す。


俊敏に剣を捌く姿を見て、エルは低くつぶやいた。


「・・・残念だ」


だが、戦場に立たせるわけにはいかない。


姫を守る乳母子――それが、この少年に与えられた唯一の役目なのだから。


間合いを終え、近く見ていたサムは静かに口を開いた。


「・・・シュリ、見事な腕前だ」


「ありがとうございます」

深く頭を下げるシュリ。


「少し・・・話がある」

サムは湖岸の方へと歩き出し、手でシュリを招いた。


湖面に光が揺れていた。――その先に告げられる言葉を、シュリはまだ知らない。


お読みいただきありがとうございます。

本日は特別に【2話更新】です。

続きは20:20に投稿予定。

夜の時間にゆっくりお楽しみいただけたら嬉しいです。


感想やブックマーク、とても励みになっています。

次回もどうぞよろしくお願いいたします。


次回ーー


湖岸で明かされた衝撃の真実。


キヨの名を口にしたサムの声音は、冷たく澱んでいた。

怒りと絶望に震えるシュリの胸に、初めて芽生える禁断の願い。


「・・・死んでほしい」


その呟きが、血と涙の運命を呼ぶことも知らずに。


◇ 登場人物


シュリ

ユウ付きの乳母子。幼少より姫に仕え、剣を学ぶ。静かながら芯の強い青年。


サム

ワスト領出身の古参兵。グユウ、シリ夫妻に仕え、現在はロク城で兵をまとめる。


エル

キヨの実弟。温厚で人望が厚い。出自は領民だが、努力で地位を得た。


ロイ

かつてシリに仕えた家臣のひとり。実直な性格で、剣の腕は確か。


チャーリー

同じく元シリ家臣。冗談好きだが、仲間思い。シュリに親しみを持つ。


キヨ

ロク城の領主。狡猾で人心掌握に長ける。亡きシリの面影を残すユウに執着を抱く。

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