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その身を開くまで

その日の午後は、信じられないほど穏やかな時間が過ぎていた。


夕焼けが湖を赤く染めるころ。


窓辺に立つユウは、輝く湖面を見つめながら胸を押さえた。


レイはそっと胸元から紐を引き出す。


ピンク色の小袋――落城寸前、母から託されたもの。


中には、家族の形見が入っている。


「……母上」

思わず呟いたとき、隣のウイの頬に涙が伝っていた。


静かな時間の中で、母を失った実感がひしひしと胸に迫る。


「母上は……無念の死ではないのよ」

ユウの声が震える。


「自ら前を向いて、死に向かったの。……後悔はしてないはずよ」


そう言い切った唇から、涙がひと粒こぼれ落ちた。


三人は、同時に胸元へ手をやった。


その姿を見て、シュリも自分の胸元に触れた。


それは姫たちと同じ小袋ーー亡き妃が自ら手渡してくれたもの。


――『私の、もう一人の息子』。


ーー守る。このお方を。


肩を震わせるユウを見つめ、誓いを新たにした。



◇ 同じ頃ーー城の本館 執務室


「……あの眼差しは、誠に良かった」

キヨは恍惚とした声でつぶやき、窓の外に目を向けた。


視線の先は、外の景色ではない。


昨夜、自分を射抜いた、ユウの瞳。


虫けらを見るように冷たく、それでいて美しい光。


母のシリよりも、なお苛烈な眼差しだった。


「……誠に。誠に、良い」

頬を緩ませ、惚けたように笑う。


背後でイーライは俯きがちに座り、サムは隣で背筋を伸ばしたまま唇を噛み締めていた。


二人とも、主の様子に言葉を失っている。


そこへ、鋭い声が飛ぶ。


「兄者!いつまでも惚けている場合ではない」


エルは拳を机に叩きつけた。


重い音が執務室に響き、鎧の金具がかすかに鳴る。


血を分けた弟だからこそ、他の誰よりも強く叱責できる。


その苛烈な動きに、サムとイーライも思わず背筋を伸ばした。


「そうだの……どうやってミミを説得するか、考えなければならぬ」

キヨは困惑したように眉を顰め、杯を揺らした。


「何がですか?」

エルは質問をした。


「ユウ様を手に入れるには……ミミの許可が必要じゃ」

キヨは口元を緩めながら話した。


領主とはいえ、好き勝手に妾を増やせるわけではない。


共に城で暮らすのなら、正妻の許しが必要だ。


これまでミミは寛大であったが――ユウに関しては、そうはいかぬだろう。


「兄者!」

エルは苛立ちを隠さず声を荒げる。


「三日後にはモザ家との争いが迫っているのです!

 そんな時に、領主たる兄の関心が、少女だと? 指揮を取る我らにとって、これ以上の不安はない!」


「モザ家……シュドリー城か」

キヨはのんびりと構えていた。そこはシリの生家でもある。


「城主マサシは大丈夫だ。この戦、余裕で勝てる」

手を振りながら呟く声には、不思議な確信があった。


「そうは言っても……争いは何があるかわからぬものです」

エルの声はわずかに上擦る。


だが兄の行方を見抜く眼差しは恐ろしく鋭い。


「わしはモザ家など相手にしとらん。勝てる」

キヨはワインをゆっくり飲み干すと、目を細めた。


「それよりも、西領のジュンが問題よ。あいつだけはわしの元に降らぬ」


忌々しげに舌打ちをする。


「ジュンを倒さぬ限り、国王にはなれん」


「……そのとおりです」

エルは真面目に頷く。


その横で、サムとイーライは息を殺していた。


「まぁ、あんなたぬき顔を思い出すよりも……ユウ様の美しい顔を思い出す方が良い」

キヨの表情は途端に惚ける。


「シリ様は……ミミに何と書状を残したのだろうか。誠に気になる」


「ユウ様はまだ十四歳。兄者、三十二も歳が離れているのです」

エルは呆れを隠さず口を開いた。


「想いに年齢の差などない」

キヨは夢見るように目を閉じる。


「……父親以上に離れているのですよ」


「だから良い。若ければ元気な子を産む。跡取りの、男をな」


その言葉に、イーライは息を呑み、サムは目を閉じた。


「兄者……」

エルの声には諦めが滲む。


「わしは諦めん」


キヨは熱を帯びた声で話す。


「いつかユウ様が、自ら身体を開くようになるまで」


キヨの濁った茶色の瞳は爛々と燃えた。


サムは視線を床に落とした。


二度と主と目を合わせられなかった。


忠義を誓ったはずの胸に、嫌悪が黒い影のように広がっていく



「兄者……」

エルの声は力がなく崩れていく。


「女も争いと同じよ。難しい城ほど……手に入れたときの喜びは大きいのだ」


キヨは、ゆっくりと微笑んだ。


誰も口を開けなかった。



――恐れていたことが、ついに形をとった。


傍らに控えていたサムは、ごくりと唾を飲み込む。


前から予感していた懸念が、キヨの口からはっきりと聞かされた。


ーーキヨ様は……ユウ様を妾にしようとしている。


外からは、鎧の打ち合う音や、兵の怒声、廊下を駆ける足音が絶え間なく響いていた。


出陣を控えた城内は熱を帯びているのに、

この部屋だけ、何かが狂っていた。


次回ーー

守ると誓ったその朝、告げられるのはあまりにも残酷な真実

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