表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/14

屈しない娘と、決められた未来

イーライを先頭に、ユウ、ウイ、レイはキヨの待つ部屋へと進む。

その後ろをウイとレイの乳母、最後尾にヨシノとシュリが並んでいた。


ヨシノは、ユウの必要以上に伸びた背筋を見つめる。


精一杯、背伸びをしているその姿。


――この様子では、夕方には感情が乱れるだろう。


「シュリ・・・」

小さな声でつぶやく。


「おそらく・・・夕方には・・・ユウ様は・・・」


隣を歩くシュリは、小さく頷いた。


「わかっている、母さん」


癇癪が起きるとき、いつでも自分が対応する――その覚悟が言葉に含まれていた。


「ええ・・・」

ヨシノは短く返し、喉をゴクリと鳴らす。


「シュリ・・・わかっているわね。乳母子として・・・」


そこから先は言えなかった。


娘のように大切に育てた姫、そして息子。


二人の間に芽生えた特別な感情を、ヨシノは気づいていた。


けれど――どんなに想い合っても、二人は結ばれない。


姫と乳母子。あまりに遠い身分。


ユウ様はいずれ領主のもとに嫁ぐ身。


想いを伝えることも、一線を越えることも、決して許されはしない。


硬い表情のまま歩く母を、シュリは横目で見た。


「・・・わかっています」

静かに口を開く。


――言われなくても、わかっている。


シュリはただ、無言で足を運んだ。




謁見の間の空気は、薄い緊張――と、下卑た笑いで満ちていた。


キヨが椅子にふんぞり返る。


ミミはその横で静かに座す。


控えめに並ぶエル、サム。


イーライが恭しく一礼する。


「セン家の姫様方をお連れしました」


三人は連れ立って前に進む。


観客席のような視線が一斉に向けられる中、キヨは満面の笑みで手を広げた。


「おお、来たか。待ち侘びておったぞ!」


ユウは俯いたまま、ほんの少しだけ視線を上げる。


椅子の上の男を見て、胸の中で何かが冷たく沈む。


靴底のきしむ音が遠ざかるように、世界が一拍遅れて反応する。


痩せた身体。


皺の刻んだ貧相な顔。


頭は薄く、濁った茶色の目だけが不釣り合いに大きく光る。


その目つきは怯えでも畏れでもなく、粘着質な所有欲に満ちている。


ーー父上も母上も、こんな男に敗れたのか。


記憶の中、父は立派な体格をしていたのに。


どうして、この薄汚い小男が奪い去ったのか――理解はできなかった。


理解すれば、憎しみがただ深まるだけだ。


ウイが震える声で名を告げると、キヨは無邪気な調子で呼び捨てる。


ユウの胸に黒い波が立ち上がる。


両親以外の者に名前を奪われる屈辱が、肉を抉るように痛む。


レイは黙ってキヨを見据える。


――その視線は、キヨに過去の影を見せた。


顔がわずかに強張る。


レイの顔に宿る、グユウの面影。


かつて自分が踏みつけたはずの男の面影。


妹たちは形通りの挨拶をした。


いつまでも、顔を上げない長女のユウに乳母をはじめ、イーライ、サムは不安げな顔をする。


ーー大人にならなくてはいけない。


ユウは必死に自分に言い聞かせる。


今は、父も叔父も母もいない。


生き延びるために、自分達はこの男に縋らねばならないのだ。


「さて、さて、ユウ様」

キヨは転がすように名を呼んだ。


その声音は、背筋に粘りつくような湿り気を帯び、シュリの背中に悪寒が走る。


「顔を上げてくだされ」

その場にいる者すべての視線が、ユウに注がれた。


後方で控えるヨシノは、胸の奥で必死に祈る。


――ユウ様、どうか・・・ここは堪えてください。


やがて、ユウがゆっくりと前へ進み出る。


ドレスの裾がわずかに揺れる。


だが、頭を深く下げたまま、何も言わない。


沈黙を破ったのは、キヨの甲高い声だった。


「どうされましたか」


その瞬間、ユウが顔を上げた。


青の瞳が、鋭い炎を宿す。


だが口は開かない。

声が出ないのではない。吐き出すべき言葉を選んでいる。


長い、長い沈黙。

場の空気がひりつき、誰も息をしなかった。

ヨシノは祈るように目を閉じ、シュリは今にも踏み出しそうに身を乗り出す。


やがて――ユウの唇が動いた。


唇をきつく結び、声を絞り出すように。


「セン家の長女、ユウと申します」

ユウは一歩踏み出し、声を張った。


張り詰めた声が響いた瞬間、ヨシノは思わず口を開けた。

その強さを信じたいのに、信じきれずに。


隣のシュリは固唾をのみ、彼女の一挙手一投足を見守っていた。


今、ただ刃を抜いたのはユウ自身なのだ。


「この度は・・・ありがとうございました」


言葉だけを聞けば、礼の響き。


だが、その青い瞳には、炎が宿っていた。


――感謝ではない。


憎悪と誇りを込めた刃。


その視線に射抜かれ、場の空気が凍りついた。


そのユウを、キヨは惚けた顔で見つめていた。


ーーまるで、シリ様のようだ。


長年憧れていたシリ様が、再び自分の前に現れたかのように。


隣に座っていたミミは、ユウの眼差しにかつての主君を思い出していた。


揺るぎなく射抜くようなその光。


人の心を抉る、容赦のない鋭さ。


ーーあれは、ゼンシ様の目。


見目は確かにシリ様に似ている。


けれど・・・本質はゼンシ様にそっくりだ。


呆然とする領主夫婦に、エルがわざとらしく咳払いをした。


我に返ったキヨは、穏やかな顔を作った。


だが濁った茶色の瞳には、獲物を狙う獣の欲望が滲んでいた。


「ユウ様・・・これからは、わしのもとで安らかに暮らすがよい」

和らげた声色の奥に、抗えぬ支配の響きが潜んでいる。


ユウは黙したまま、ただその目を見据えた。


――安らかに?


母を死に追いやった男に、何を言うのか。


胸の奥に押し殺した慟哭が、光となって瞳に宿る。


憎しみと軽蔑を込めた視線。


その刃は、キヨの笑みをほんの一瞬だけ凍りつかせた。


「・・・強い目をしておる」

愉快そうに呟く声は、空虚な響きを残す。


その口元は、わずかに引きつっていた。


ほんの刹那、笑みが凍りついたのを誰もが見た。


次の瞬間には、いつもの下卑た笑みを無理やり浮かべていたが、

その隙を見逃す者はいなかった。


広間の空気がざわついた。


誰一人口を開かぬまま、肩がわずかに震え、衣擦れの音が重なった。


静かな波紋が、謁見の間をゆっくりと広がっていった。


ユウは唇を固く結び、決して瞳を逸らさなかった。


その眼差しは、誰にも奪わせぬ誇りの証のように揺るぎなかった。


その視線を浴びた者は皆、心の奥に刻まれた。


ーーセン家の娘ユウは、決して屈しない、と。


だが、謁見はまだ終わらない。


キヨの濁った瞳が、次にゆっくりとシュリをとらえる。


「さて・・・乳母子の行末を、ここで決めねばなるまいのう」


その言葉に、ユウの心臓が激しく打ち鳴った。


会見の本当の目的が、今まさに突きつけられようとしていた。


ーー矛先は、ユウではなく、シュリに向けられたのだ。

次回ーー明日の20時20分

(明日から一日一話になります)


「・・・乳母子の行末を、ここで決めねばなるまいのう」

姫と従者の距離を裂こうとする領主の一言が、静寂を裂く。

禁断の絆に火がついたその瞬間、誰も気づかぬうちに――城は、ゆっくりと崩れ始めていた。


◇ 登場人物


ユウ

セン家の長女。十四歳。

両親を殺した男――ワスト領主キヨの庇護を受ける身。

誇り高く、青い瞳に燃えるような静かな怒りを宿す。


シュリ

ユウに仕える乳母子の青年。ヨシノの息子。

幼い頃から彼女を守り続け、誰にも言えぬ想いを胸に秘めている。


ヨシノ

ユウの乳母であり、シュリの母。

二人の“許されぬ絆”を知りながらも、ただ見守ることしかできない。


キヨ

ワスト領の領主。

かつてセン家を滅ぼし、シリの面影を追いながらユウを見つめる。

その瞳には、支配と歪んだ執着が光る。


ミミ

キヨの正妃。冷静に夫を見つめながら、ユウの中に“ゼンシの影”を見る。


エル

ワスト領の重臣。キヨの弟。冷徹な戦略家で、兄の暴走を恐れている。


サム 

ワスト領の重臣。シリに仕えた身であるので、三姉妹を守ろうとする。


イーライ

ワスト領の家来。三姉妹を案内する役目を担う。ユウの強さに心を揺らす。


ウイ・レイ

ユウの妹たち。まだ幼く、姉の背にすがるように新しい地へ入る。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ