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つい先週のこと  作者: 雪森十三夜
第七巻 補綴・新月「中学校・高等学校・浪人編」
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予備校編 パリは燃えているか(三)



 自身に対する駿河の態度に戸惑いと疑問を感じる箏詩は、毎日のようにその原因を探るべく思考しているが、中々解決を見ることが出来ない。駿河が一高先輩の久我に学習法の指南を受ける場にも同席した箏詩は、久我からも多少なりとも駿河に関する情報を得る。

「いやあ、すっかりご馳走になってしまった。」


 三人分では余るほどの軍資金をテーブルに残し、大学へと戻っていった久我の後ろ姿を窓から眺めながら、箏詩は呟いた。


()うする? かなり余っちゃってるけど。後日用に埋蔵金にでもする?」

「ああ、こういうお金は、出来るだけ当日、しかも早いうちに使わないと駄目って言われた。」

「じゃあ、此処でデザートでも追加注文する? それとも、お店を変える?」

「今日は蒸すなあ、ここで追加しようか。」


 箏詩は駿河の決断に乗り、メニューを手に取った。


「ギエンは、久我さんと()うして仲が良いの?」

「部活の先輩。」

(いや)、それだけでは、ここまでして呉れないでしょ。」

「そうか? それ以外はあまり考えたこともないけれどなあ。」

「何か、二人だけの特別な出逢いとか。」

「出逢い?」


 箏詩は質問を投げ掛けてみてから、一瞬、躊躇したものの、

(そういえば、この男に彼女が居るのか否かの調査は、まだ済んでいなかったわ。)

 ということを思い出した。


 当の駿河は、この短時間で既に幾つかの思考を繰り返している箏詩をよそに、口をへの字に曲げたまま、目は天井を睨んでいる。


(どこかで、こういう像を見たわよね・・何だったか知ら)


 何かを思い出そうとしているのか、それとも、先刻久我の話を上の空で聞いていなかったように思考が止まっているのか。久我直伝の実証方法を試してみようにも、駿河の目は上を睨んだままだ。


「・・何してるの?」

「ひっ・・・あ、否、へへへ。」


 箏詩は中腰になって、天井を睨んでいる駿河の視線の前に指先を出してみた。

 ひょいひょいと左右に動かしたところで、天井を睨んでいた眼がギロリと眼前の指先、そして箏詩を下目遣いに睨み、その後に駿河の顔が正面を向いて箏詩に問い掛けた。


 一瞬にして、挙動が不審である者が入れ替わったことで、箏詩は照れ笑いを隠さずに指を引っ込め、席に戻った。


「否ね、ちゃんと考えてるのかな、それとも意識が飛んでるのかな、と思って。」

「ん? 確かめるときに、トンボを捕まえるような真似をするの?」

「ほら、久我さんも言っていたし。」

「ああ・・それか、大丈夫、考えてた。」


 一体全体、この男はどこまで意識があって、どこまで判っているのだろうか。妙に研ぎ澄まされたような対応をするかと思えば、人を喰ったような肩透かしの対応のときもある。

 どちらかと言えば、「打てば響く」なかでも「響きすぎる=過剰反応」をする熊沢のようなタイプが多かった一高の男達の中では、箏詩の関わったことのない代物だった。


「で?」

「ない。」

「あら。」

「本当に?」

「強いて言えば。」

「なんだ、あるんじゃない。」


 随分勿体ぶった言い方をする奴だと思いつつも、箏詩は少し身を乗り出した。


「人喰い扉に喰われた時に、助けてもらった。」

「あん? ああ、講堂の前方扉ね。」

「そうそう。」

「それじゃあ、あんまりピンと来ないわねえ…。何か、ドラマティックな登場とか、献身的な介抱とか?」

「否、ただ、すっ飛んできて開けて呉れた。」

「なんだ。」

「その後、ぺしゃんと床に倒れた俺を起こして呉れたけど。」

「まあ、それにしても、ドラマティックじゃあないわね。」

「そこにドラマティックなものがあるとすれば、Sonneさんの容姿くらいだろ。」

「ああ・・まあ、そうね。」


 言われてみれば、どんなに平凡な状況設定でも、久我との初対面であれば、およそ殆どの人間はドラマティックと感じるだろう。


「それで、ビビビっと来たとか?」

「は?」

「ほら、久我さんに一目惚れ、とか。」

「ん?」


 箏詩の質問に、駿河の眉間に深い皺が寄った。眉間の皺だけではなく、その眼を奥深くに押し込めるほど、駿河は顔面の筋肉を歪ませた。


(あれ、こんな像も見たことあるわね・・)


 駿河はその人相のままで箏詩を凝視していたかと思うと、一瞬にして表情を戻し、


「ないな。」


 と答えるや、ソファにどかりと背を預けた。


「嘘ぉ?」

「嘘じゃない。」

「嘘だぁ。」

「何うして、ここで俺が嘘を()く必要があるんだ?」

「だって、久我さんだよぉ?」

「だから何うした?」

「否・・だって、クレオパトラか楊貴妃かと言われるほどの美人だよ?」

「そのどちらも、俺は素顔を知らないし。」

「・・まあ、そうだろうけど。じゃあ、ギエンは久我さんを美人だと思わない?」

「思う。可成り綺麗だと思う。」

「でしょう? じゃあ、なぜ一目惚れしない?」


 今度は腕組みをしたまま俯き、ぐいんぐいんと頭を左右に振り子のように揺らせている駿河に、


(考え事をするときに、一々、忙しい男ね。)


 と呆気にとられた。


(もしかして、試験の時とかも、こんなに忙しいのかしら。)


 試験中にクルクルと鉛筆を回している人間や、貧乏揺すりをしている人間を見たことはあるが、もし、深い思考の度にこんな風に身体を動かす人間が近くに居たならば、とてもではないが、試験どころではないと箏詩は思った。


「一目惚れ・・・ねぇ。」

「そうよ、ドキンとしたりしない?」

「ドキン?」

「そうそう、一目会った時に、あ、何だろう、何だか判らないけれど惹かれるな、って。」


 独り言のように呟いてから箏詩の言葉に一旦は正面を向いた駿河だが、補足した箏詩の言を最後まで待たずに、今度は天井を仰いで口をぱくぱくし始めた。


(嫌だ・・酸素欠乏?)


 凡そいい年の高校生が大真面目でそんなことをしている。金魚鉢の様子でも眺めているかのような状況に、箏詩は苦笑いして、兎に角、収拾せねばと考えた。


「ほら、兎に角、そういう、何だか気になるっていうこと、ないの?」

「・・ある。」

「ね、あるでしょ?」

「でも、Sonneさんじゃあない。」

「ん? 誰? 教えてご覧よ。」


 久我でなければないで、何か駿河の興味なり、今現在の彼女の有無なり、百歩譲ってもこの場の雑談のネタくらいは引き出せるだろうと思い、箏詩は回答を促した。


「はぁ?」


 駿河は上を向いているが、テーブルの上にあった筈の彼の手は、箏詩を指している。


「・・何? その手?」


 気付いた箏詩の言葉に、駿河は正面を向き直ると、表情も変えずに言い切った。


「『兎に角、何だか気になる』っていう人。」

「はあ?」


 駿河の答も答だが、自分の素っ頓狂な間の抜けた返事も返事だと、声を漏らしてから自己嫌悪になる。


「ソーシ…、顔が般若になってるぞ・・。」

「え?」


 駿河から指摘されて、眉間に寄せていた皺をわざわざ指で解した箏詩は、咳払いをしながらソファに身を預けた。


 両者共に声を発しないまま、駿河はチョコレートパフェをこじこじと掘り起こし、箏詩は、その様子が目に入るようで入らぬようで、ぼーっとしながらチーズケーキを切り分けていた。


「黄色い眼鏡とか、スーパーショートカットとか、気になったんだな、きっと。」

「?」


 特に意図して黙っていたわけでもない、と言わんばかりの唐突な駿河の言葉に、箏詩は首を傾げた。


(何だか、雲行きが違うじゃないの。)


「自分の行動範囲の中に、そういう女子は初めてだったから。」


 言い訳めいた口調でもなく、取って付けた言いぶりでもなく、長い匙でパフェを突き刺しながら語る駿河の表情は、先程までと、特に変わるところはないようだった。


「それって・・ただ単純に珍しかったってこと?」

「まあ、・・そう・・かな。」


 箏詩は背中から肩、そして後頭部に掛けて板でもはめ込まれたようにガチガチに強ばっていた筋肉が、一瞬にして崩壊していくような感覚に襲われた。


「お、何うした? 眠いか? Sonneさんのご高説は難しいからなあ、確かに眠くなる。」


 瞬時に脱力してソファに横倒しになった箏詩を、駿河は中腰になって覗き込みながら、声を掛けてきた。


 ソウシさん、相変わらずの駿河君を前に、ゾンネさんからの「駿河との接し方」を学んだことで、「何だ此奴」とは思いながらも、吃驚することはなくなってきたようです。

 それでも、言動の「外面」に驚くことはなくなっても、その「内面」すなわち「中身」には、驚かされるようです。更に、それが、自らが想像したものからズレているものであるとなおさらのこと。

 しかし、ソウシさんの考えていることと、駿河君の考えていることは、本当にズレているのか、その辺りが判然としてくるまでにはもう少し時間がかかりそうです。

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