屋上の風
「それで、僕に頼みたいことはなに?」
理央が照れたように僕から離れて聞く。
僕はノートを閉じながら「うん」と部屋に誰も入ってこないのを確認してから、小さな声で頼んだ。
「小都子と隣町の大きな図書館に行って欲しい」
「図書館?」
「あそこに、僕らがいた国の資料がある。今はない小さな国々を扱ってて、書いてあるのは歴代の国王の名前と君の功績。不祥事なんてものは書いてないから安心して。ただ、小都子たちにあの時代は終わったのだと理解して欲しいんだ」
僕の言葉に、理央は首を傾げた。
「たち?」
「うん。小都子たち」
僕は理央に、佐伯樹里と啓人の二人が現れたことを彼の負担にならぬように軽く話した。
彼は動揺せず落ち着いて聞いていたし、僕が前世を覚えていることを小都子たちにあかしたくないこともまた、よくわかってくれた。聡明な目をした理央の中にある消えない記憶と経験は、きっと軽いものではなかったのだろう。それでもこの現実で今まで誰にも言えずとも、八歳の「東雲理央」として生き生きと過ごしていた彼は、きっとしなやかに強いのだ。
そうして、理央は翌日の朝には家族に秘密でクリスマスプレゼントを買いに行くという名目で小都子と二人で出かける約束を取り付けることに成功する。
僕の弟は中々優秀だ。
「や、啓人」
「……朝」
なぜか僕を見て耳を赤くした啓人にわざと話しかけると、啓人は気まずそうに僕を呼んだ。
若干目が泳いでいる。
「ええと、鹿山さんは」
「今日は友達とご飯の日」
「いつも一緒じゃないのか」
びっくりしたように言うので、僕らがどれだけいつも一緒にいるのかを噂か何かで知っているのだろう。
僕は手抜きの昼ご飯、菓子パンを振った。
「よかったら一緒にどう?」
「……いいのか」
「屋上でよければだけど」
「寒くない?」
と言いながらも僕の隣に立ってくれるので「行ってみればわかるよ」と僕は適当に答える。
啓人は目を伏せ、なにも言わずに笑った。
昔もそうやって「やってみればわかる」と言っては困らせていたことを思い出して、僕は窓を眺めるふりをして懐かしさに顔が緩むのを隠す。
偽らずにこうして二人で歩くことが、ずいぶん遠い記憶の中にあった気がして、妙に嬉しかった。
「……さむっ」
屋上のドアを開け、びゅうっと風を受けた啓人が呟く。
「だよねー、寒い」
「ちょ、どっか風避けられるとこない?」
「こっち」
風ないが日差しの当たる場所に啓人を連れて行き、そろって座る。
地面はあたたかく、二人してほっと息をついた。
僕が粒あんパンを頬張っていると、啓人が弁当箱を取り出す。覗いてみれば、彩りの良い野菜中心のおかずと、五穀米のおにぎりが入っていた。これはなんというか。
「美味しそうだね」
「ありがと」
「もしかして、啓人が作ってるの」
「そ。ほっとくとなんにも食べないし」
「佐伯先生?」
「もー本当に困ったもんだよ。一人だと食べない上に、口にするのはよくて果物、面倒なときはジュースって生活平気でするから」
「へえ、意外」
「外から見ると完璧に見えるのがおかしいだろ」
啓人は笑う。
屈託なく。
姉を語る顔ではないそれを見ていると、ふと焦れったくなった。
誰のために作っているのか一目でわかるというのに、彼はまだ観念しないのだ。
「喜んでいるだろうね」
僕が言うと、照れくさそうに頷く。
「んー、まあ」
「素敵な人だし、君がお姉さんを大切にするのもわかるよ」
啓人はぴたりと箸を止めた。
「す、すてき?」
「うん」
「どこが? 子供っぽい人だよ、わりと自由人だし、人の話半分しか聞かないし、ずぼらでほっとけないし」
「純粋で、のびのびしてて、自分の意志をきちんと思ってて、けど抜けてるところがあるから目が離せない?」
「ポジティブだな……」
「違うって言わないところに愛があるよね」
「あい」
絶句する啓人は、僕の言葉を繰り返した。
だから僕も繰り返す。
「そう、愛」
「朝は」
「なに?」
「鹿山さんと付き合ってるんだよな?」
「そうだね。ついこの間プロポーズも成功したところ」
「プ」
プロポーズ、とむせた啓人に、ああ、聞いてないんだな、と僕は内心苦笑する。
粒あんパンを食べ終えて、僕は袋をくしゃりとつぶした。
「だから大丈夫。僕は君の大切な人に横から手を出したりしないよ」
「手を出すって……」
「なんかね、小都子が君のお姉さんとくっつけたがってたんだ。理由は知らないけど」
ぐっと口ごもる啓人は恐る恐るというように僕を見た。
にこっと笑いかけると、気まずそうに目を逸らす。
「気分の良い話じゃないよね、ごめん。小都子としっかり話して、誤解は解けたから」
「……誤解?」
「僕があの人といると幸せになれるって言う、誤解」
穏やかに言う僕を、啓人は知らない人を見るような目で見ているが、僕はいつもの知らないふりで続けた。
「僕の幸せは僕が決めるし、同じようにあの人の幸せだって、啓人の幸せだって、自分で決めていいんだよ。周りの目なんて関係ないし、タブーもない」
きっと、僕は勝手なことを言っているのだろう。
けど、啓人の顔はふっと力が抜けた。
子供のような顔になった啓人は「そうかな」と呟きながら箸を動かしはじめる。
「本当にそうだろうか」
「少なくとも僕はそう行動して、自分勝手に小都子を困らせてるよ」
僕がけろりと言えば、啓人は拍子抜けしたように笑った。
「そもそも自分の気持ちが向く方向って力業で変えられるものじゃないよ。どうやったって嫌いなものは嫌いだし、好きなものは理由がなくったって好きでしょ。それはもう、仕方ないよね」
仕方ない。
同じ相手に恋に落ちているのだから、
僕らは観念するしかないのだ。




