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第7章「小さな宿は優しく温かく」

 

 慌ただしく肝を冷やした楽しい時間はあっという間に過ぎ、俺は無事に宿屋での暮らしの1日目をやり過ごした。

 神器のこともまだバレてはいないし、ひとまず及第点といったところだろう。

 しかし、いくら先延ばしにしたって根本的な解決になってないのはオルガニアの言う通りだ。


「俺、本当に手伝っていいのかな」


 作業着から私服に着替えるために部屋に戻った俺は、誰へともなくポツリとこぼした。


『それは小娘の仕事か? それとも我が課した使命か』


「まあ……どっちなのかな」


 いまいち煮え切らない言動が多いのは俺のダメなところだと自覚している。

 自覚しているが、中々直せないのが人の性だ。

 断言するのはなんだか怖いが、恐らく今回は……


「両方かな」


 オルガニアの力を取り戻させるために、これから先もきっと沢山の人に迷惑をかけるはずだ。なぜならオルガニアからすれば他人の道具に対する思い入れなど知ったこっちゃないから。それは今回の件でよくよく分かった。

 俺は脅されて無理やりやらされているに等しいわけだから、「しょうがない」と自己完結させることもできる。それは容易だ。

 だが、それで納得できない自分がいる。胸の奥が傷ついて痛い。

 自分の置かれている現状を改めて考えれば考えるほど苦しい。


 冷静に考え直すとエミィと一緒に働くことが正解だったのかすらもはや分からなくなってしまった。

 それなりに考えあっての妙案だったが、自信のなさは否めない。


「……お前に相談してもしょうがないよな。悪い、忘れて――」


『我がお前に何かを言うことはない』


 遮るようにオルガニアが被せる。

 そりゃあそうだろうよ。藁にもならないやつにすがってもしょうがなかったか。


『だが……そういうことは同じ人間の小娘に相談してみたらどうだ』


「は? エミィに……お前のことを? 言ってもいいのかよ」


『お前の自由だ。全く、憑依先の人間の精神面を気にかけてやるとは……我の善意に感謝するのだぞ』


「んー……」


 予想外の助言だったが、後頭部をガシガシとかきむしってその事を想像する。

 正直、考えたこともなかった。オルガニアのことをエミィに相談するなんて、って、実際年下の女の子に人生相談まがいのことをするのってどうなんだ? 有り無し依然に困惑させることは取りあえず間違いない。


 どうしよう。


「……いや、ないな」


『なぜだ』


「……あの子は、何も知らない普通の女の子だぞ。お前みたいなのに巻き込むわけにいくか」


 俺がそういうと、オルガニアは面食らったように息を吐いて、そしてすぐにコロコロと笑い始めた。


『ククク、勇者らしいいっぱしの口を利くではないか』


「俺はもう勇者じゃない。そうしたのはお前だろ」


『この世界では道具が力を失うと勇者ではなくなるのか? ん?』


「……俺、お前キライ」


『フフ、好かれる魔王など、あってなるものか』




 ◆




「いる……よな、そりゃ」


 覗き見るようにカウンター奥の部屋を覗く。

 給湯室を兼ねたその部屋には小さくはあるがキッチンがついている。エミィの宿屋の料理はここで作られ、食堂の各テーブルに運び込まれるシステムだ。個人経営の民宿なわけだから、それほど豪華なものは出てこないけれど、真心篭った優しい味で今ではすっかり俺の好物である。


「~♪~♪」


 あの後なんとなくエミィの様子が気になってここまで来たが、弾むような鼻歌を軽やかに響かせて鍋を見守るエミィは大層上機嫌だ。ともすれば花でも咲きそうである。


『気持ち悪い、用があるなら早く話しかけろ』


「んあっっ! ~~ッ!」


 唐突に胸の奥が焼けるような熱に襲われ、反射的に悲鳴が飛びでかける。なんとか声を押し殺したが少し遅かったようで、エミィがぱっと鍋から顔を上げてこちらに振り向く。そして直前の俺の奇声を気にするでもなく姿を見るや否や、ふっと顔を綻ばせて


「ふふっ、お夕飯もう少し待っててくださいね」


 優しくはにかんで人差し指をピンと立てた。エミィの良妻ぶりは留まることを知らない。見ると、長い髪も料理することに合わせてポニーテールにしている。髪をひとつにまとめているのにくせっ毛が立つのは何故なのだろうか。


「それにしても、今日はお疲れ様でした。私もついつい色々喋っちゃって……」


「あー、はは。知らないこと沢山知れて楽しかった。ありがとな」


「っはい!」


 元気一杯に返事をして、ニコニコと笑いながらなおも上機嫌そうに鍋に目を向けるエミィを見る。

 俺は心から穏やかな気持ちになった。


 やっぱり、こんな良い子にオルガニアの存在を悟られるわけにはいかない。


「じゃ、じゃあ、食堂で待ってるよ」


「分かりました。また後で」


 エミィに見送られながらラウンジの横の道を抜け、縦長の食堂へ繋がる扉を開く。

 そして椅子に座ってぼーっと時計の秒針を眺めることしばし。針が何週もしないうちにエミィはワゴンに料理を載せて食堂までやってきた。

 髪型は元の自然な形に戻っている。今度それとなくポニーテールを褒めてみようかな。


「お待たせしましたっ。今日のは自信作なんです」


「そうなのか。それは楽しみだな」


 食堂のテーブルを挟んで、向かい合うようにして座る。

 ゆらゆらと優しい湯気を昇らせるスープをひとすくい。赤々としたスープは酸味と甘みが効いていて、食欲が掻き立てられる見事な味だ。主食のパンと一緒に食べると、こんがり焼かれたパンの小麦の味と相まって更に美味い。流石に自信作と言わしめるだけはある。

 俺は舌鼓を打ちながら暫くもくもくと食べ進め、一息ついてから感想をこぼす。


「……うまい。すごいうまいよ、エミィ!」


「ふふっありがとうございます。いっぱい食べてくださいね?」


 二人だけのやり取りが暫く続き、穏やかな食卓の時間は流れる。

 すると、食事を始めて程なく、エミィが話を切り出した。


「あの、アルスさん」


 おずおずという風に話しかけてくる。俺はスープを飲む手を休めてエミィの目を見た。


「……その、元気がないように見えて」


「え……」


「あ、えと、勘違いだったらごめんなさい!」


 エミィはそう言うが、その目つきや語調は限りなく確信に近い何かを持っているようだった。

 やはり分かる、のだろうか。俺はポーカーフェイスはそこそこ巧い方だと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。


 どうしよう。


 俺の頭に再び同じ問いが過ぎる。


 今の現状を一人で抱えきることができないのは事実だ。このまま悩み続ければ俺はいずれ自暴自棄になりかねない。俺に残されている道は良心の呵責に耐え切れずオルガニアに殺されるか、心を無にして誰かの神器を奪い続けることだけなのだから。

 誰の手元にもない神器を見つければそれでいい? 何を甘いことを言っているのか。そんな都合よく転がっているわけがないのだ。


 では、神器を探す旅に出るか? まともに町の外を歩いたこともない俺が?

 怖い。怖過ぎる。死の可能性を考えれば考えるだけ外に出るという考えが霞の中に消えてなくなる。


 あれもダメ、これも無理。そんなことをグルグルと考えていると本当に気がどうにかなりそうだ。

 オルガニアの手前で気丈に振舞っているのは、せめてもの防衛本能なのかもしれない。

 本当の俺はもっと気がちっちゃくて、弱くて細いんだよ。分かってくれよ。


「……」


 息を吐く。俺の口から言葉はでない。けれど深刻そうに影を帯びる。

 エミィは俺を心配そうに眺めて、何かを言おうとして……口を噤んだ。


「エミィ」


 最近知った、少女の名前を呼ぶ。

 考えてみれば俺と彼女の関係は宿屋の主人とアルバイト。ちょっと前までは話もしない客と店主だったわけで、そんなに気を使うこともないのではないか。見てみぬ振りをしても怒られないんじゃないか。

 そう、心から思うが――


「ごめんな」


 それでも俺は、迷いを断ち切るように首を横に振った。

 最初に言った通り、今俺がやっていることはただの自己満足に過ぎない。

 だから、誰かを巻き込むわけにはいかない。どうしようもなくキツイ状況に置かれていたとしても、俺はまだ勇者(・・)でいたかったのかもしれない。

 今はただ、それだけの思いを抱えて口を固く引き結ぶ。


「……分かりました」


 少し間をおいて、エミィは柔らかな笑みを浮かべて頷いた。そして、言葉を続ける。


「アルスさん。私、ここの宿屋をずっと守っていきます」


「……?」


「あなたみたいに、何かを悩んでいる人が、少し休める場所であってほしいから」


 じわり、と言葉が胸にしみこんでいく。

 どこまでも優しい言葉に涙が出そうになるが、まだ温かい料理を噛み締めて誤魔化した。


「ありがとな、エミィ」


「ふふ、こちらこそ。毎度ごひいきにしていただいていますもの」


 軽口や冗談も交えながら穏やかにソルディースの夜は過ぎていく。

 その日は自分でも驚くほどに寝つきが良かった。



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