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第6章「職人少女」

 

 エミィ=レンティア。

 王都の小さな宿屋で働く少女の名だ。

 性格は素朴で、純粋。平均と比べて多少小柄な背も相まって周囲の人には可愛がられるタイプだろう。現にその後姿はとても愛くるしく、抱き心地は非常に良さそうだ。

 そして歳若くも年頃の女性。育ち盛りの身体は男の本能を燻らせる魅力的なメリハリがついてきていて、そういう意味でも抱き心地は完璧だと思う。……おっと、少しお下品だっただろうか。


「ソルデでは……あーいや、王都では、かな。女の人が働くってのはあんまりないらしくてさ。エミィは自分から労働の世界に身を投じたわけだろ? 凄い覚悟だよな、それって」


 宿屋は王都の大通りから外れた道の端に構えているため、客足は遠い。遠いが、一応断続的に客が訪れる程度には認知されているようで、もしかしたら俺の知らないところでさりげなく宣伝がされているのかもしれない。

 客室は2階に5つあり、繁盛期には全て埋まるという。いくら客が少ないとは言えども従業員は1人のみ。それを顔色一つ変えずにさばけるのだから、エミィはお世辞抜きで、本当に優秀な少女だと思う。俺とは大違いだ。


「ちっさい村とかじゃ不自然じゃないけど……現に俺の母さんとかはバリバリ畑仕事してたわけだしな。なんつーかこう、他のお客さんには驚かれるんだと」


 曲げていた腰をしゃんと直し、そのまま更に反対側まで逸らす。ぽきぽきと骨がなるのが心地良い。

 ひと悶着あった後、俺は彼女の思い入れ深いこの宿屋で働くことを許可されたわけだが……今まさに窮地に陥っていた。


『我も共に聞いていたのだから知っている。ほれ手を休めるな。日が暮れるぞ』


「やめろー急かすなー。俺は誰かに頑張れとかやれるとか言われるとやる気なくすタイプなんだ」


『「やれる」とも「頑張れ」とも言っていない。「やれ」と言っているが』


「それが一番きちいわ……」


 俺は右手に箒を、左手にちりとりを握りながら、廊下を見て途方にくれていた。そんなに広くないから簡単だろうとたかを括っていたが、掃除がこれほどまで大変だとは全く知らなかった。


『そんなに面倒ならば小娘に掃除を任せればよかったものを。他にも仕事はあるようだったぞ?』


「いやいや無理無理。あんな笑顔が一瞬で曇るさまを俺は見たくない」


 というのも、全く事情をしらないエミィが神器から何の変哲も無い道具に成り果てた箒とちりとりを持って、満面の笑みで。


 それじゃあわたし、お掃除してきますね! アルスさんにも掃除の仕方をご説明しますから、一緒にやりましょうっ!


 などと言うのだからつい反射的に止めてしまったのだ。掃除くらいなら家でよくやっていたから、俺一人に任せて欲しい、と。よほど掃除は自分がしたかったのか、消沈してしまったエミィが俺に箒とちりとりを手渡し、今に至る。何故か少し元気を奪ってしまったようだが、神器のことがばれるよりマシだ。その後「一緒にやりたかったのに……」と聞こえたのは気のせいだと言い聞かせる。後ろ髪を引かれるのも気まずいので早々に仕事に取り掛かった次第だ。


『遅かれ早かれ気付くことだ。延命しても意味はないだろうに』


「分かってるよ、分かってるけどさぁ……! っていうかそれをお前が言うのかよ」


 さもあらんと心の中で心の奥まで正論を突き刺してくる魔王に呪詛を吐き捨てて俺は掃除を再開する。箒とちりとりにはひと掃きで埃をかき集める機能があったらしいが、当然今はない。

 手動で掃除すること事自体は、まあ腰を犠牲にすることでできなくはないが、問題は時間がかかりすぎてしまうことだ。神器本来の力を使えば、掃除にかかる時間など長く見積もっても半刻ほどで済むはず。不慣れだからという言い訳も使えるが、それでもエミィに不審に思われるのも時間の問題だ。

 と、問題は分かっているわけだが……


「こればっかりは小細工できないだろうし、不出来でエミィが代わりにやることになってもダメだよなー……あああ、ほんと勘弁してくれよオルガニアぁ……魔力戻せないのか……?」


『なさけない。もう決意が鈍ったのか?』


 正直に言うとかなり鈍ってる。負け犬根性拗らせたロクデナシ引きこもりの熱しやすさ冷めやすさを侮ってはいけない。

 今すぐ全てを放り投げて好き勝手にしたいという欲望を僅かに残った善良な俺が必死に食い止めている、という状態だ。頑張れ天使の俺。負けるな。負けたら失うものだらけだぞ。


「――スさん」


「いける。あと数メートルだ。たったそれだけのことだ。おお、もうゴールだよ。早いもんだね。ハハハハハ」


 心の扉を閉じて、目の前の壁に向かってひたすら箒を掃きつづける。乾いた笑いで自身を鼓舞して、いつか終わる苦痛を夢見る。そうだ、物事には必ず終わりが来るのだ。喉もと過ぎればなんとやら。


「あ、アルスさんっ」


「ハハハ……あ、はい。なんでしょう」


 可愛らしい声の聞こえた方向に無警戒で振り返る。そこには些か困惑した顔のエミィが立っていた。

 ……しまった、まずい。どこから聞かれていた? オルガニアとの会話を聞かれていたらなにかと面倒なことになるぞ。主に俺が変人として見られる。


「大丈夫ですか? ……その、気になって、きちゃったんです、けど、その」


 しどろもどろに指をつつき合わせるエミィを眺めることしばし。俺はやっと言葉の意味を理解した。ああなんだ、心配で様子を見に来てくれたのか。

 どうやら会話は聞かれていないようだ。それなら一安心、と俺は笑いながら大丈夫だと受け答える。


「時間かかってごめんな。実はまだ終わってないんだ」


 下手に言い訳をして不信感を持たれることも嫌なので、真摯に謝罪の意を示す。


「そんな、手伝ってくれるだけでとても助かってます。えっと、もしよかったらお部屋の整頓の仕方をお教えしようかなぁ、なんて」


「そっ、か……分かった。じゃあお願いするよ」


「っはい! 任せてください!」


 にこやかに頷くと、エミィの顔がぱっと明るくなった。

 掃除のゴールはすぐそこだったが、エミィが暇を見つけて仕事を教えにきてくれたのであれば、俺としても是非はない。なにより美少女と一緒に仕事ができるならやる気もかなり増す。


 あくまで掃除以外の話だが。




 ◆




「よいしょっ、こうやって整えれば、ベッドメイクは終了です」


「ほえー……これを毎日、か」


『この小娘は変人だな』


 お前それ絶対本人に聞こえるように言うなよ。

 不躾極まりないことをのたまうオルガニアに心の中で強く強く断りをいれてから改めて整えられた空室を見渡す。

 今回は部屋の備品などをチェックする方法と、実際の整え方をレクチャーしてもらったわけだが、一度では覚え切れそうになかったのでメモを取った。掌サイズのメモ用紙を丸々2枚使う程度には工程が細かい。今は俺に合わせてゆっくりやってくれているのだろうが、エミィはこれを流れるようにこなすのだろう。


「なんつーか、職人みたいだな」


「えへへ……ありがとうございます」


 顔をふにゃりと崩して赤面するエミィは本当に目の保養になる。これからも積極的に褒めていくとしよう。


「にしても、繁盛期の時とかどうするんだ? カウンター空けることになっちゃいそうだけど……」


「そういう時は、表にしばらくお待ちくださいっていう看板を立てます。……でも、実はお教えした工程の幾つかを省いて、チェックに問題がなければそれで良しにしちゃうこともあるんです」


「こっそりズルしてます」とバツが悪そうに舌先を出すエミィに、俺はある意味安堵の息を漏らした。ちょっとくらい手を抜いていてくれて安心した。これで全部1人で完璧にやってますなんて言われたらいよいよエミィを見る目は完全に匠を見るそれに変わっていたと思う。


「よし、んじゃ俺もいっちょやってみますかね」


 俺は肩を回して気合をいれ、言われた通りに部屋のチェックを始める。そして慣れない手つきでベッドメイクをしていると、早速先生からご指摘が入った。


「最初は一度で綺麗に整えるのが難しいと思いますから……こんな感じに片っぽずつ引っ張っていくとやりやすいですよ」


 俺の視界のすぐ隣にエミィの横顔が入り込んでくる。その距離実に拳一つ分。突然接近した端麗な横顔を見て、心臓が分かり易く高鳴った。

 エミィはもう一度シーツのつけ方を近くでゆっくりと教えてくれるが、その姿に意識が向いたせいで話が全く入ってこない。動きに合わせて右へ左へと動く艶のある髪の毛からは、ふわりと甘い香りがして。

 眺めていると安心する優しい顔つきは慈母のよう。この子を今胸の中に強く抱くことができたならば、どれほど心地良いものだろうかという考えが止まらない。


 そんな彼女が出す魔性の魅力に心を奪われることしばし――


『あまり無遠慮に女の顔を見るべきではないと思うが』


というオルガニアの注意で我に返る。


「あっ、おう、そうだな」


「へ?」


 いかん、不意の注意にいつもの調子で返事をしてしまった。頼むから急に話しかけないでくれとオルガニアを睨みつけて悪態の一つでもついてやりたいところだが、実際オルガニアの言う事には一理ある。俺は口を引き結んで文句を飲み込んだ。それよりも脈絡のない言葉に目を丸くしてしまっているエミィに弁解をしなければ。


「あ、えーと。よ、良く分かったよ」


「良かったです! ……私、人にこういうことを教えたことなんてなかったから、ちょっと不安でした」


 取り敢えず理解した旨を伝えるとエミィはほっと胸を撫でおろした。なんとかごまかせたと、俺も冷や汗を拭う。

 俺が心の中で何を思ってもオルガニアには聞こえないようだし、頼むから急に話しかけないでほしい。


『クックック……』


 コイツわざとか。さては今わざと急に話しかけやがったのか。


「暇だからって人を遊び道具にしないでくれ……」


 今度はエミィには聞こえないように今度こそ小声でオルガニアに文句を垂れてやる。

 しかし聞く耳は持ってくれないようで、帰ってきたのは悪戯っぽい笑い声だけだった。……ちくしょう。


「じゃあ、お部屋のことはこれくらいですね。また分からなかったらいつでも聞いてくださいね!」


「あ、ああ。サンキュー」


 終始元気良く、ともすればスキップでもしそうなほどにニコニコのエミィを見送って、俺は整えられたばかりの部屋に一人残る。


「掃除の続き、しなきゃなぁ」


 箒とちりとりを持ち直して、改めて口にする。

 決して、俺がやったわけではない。俺がやったわけではない、が。

 ただの道具である(・・・・・・・・)箒とちりとりをぎゅっと握り締めて、綺麗な床に影を落とした。

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