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第5章「働く勇者様!」

 静まり返った宿屋のカウンターの奥で。俺は店主の少女の目をただ真っ直ぐに見つめていた。

 時計の秒針がやけにデカく聴こえる。時間帯が時間帯だからか、宿屋の1階には俺と少女しかいない。


 俺の目はどこまでも真剣だ。ただひた向きに少女の目を、意識を、思考を貫き見通すかのように見つめる。

 そこに当然邪魔者はなく、俺の目に映るのは少女のみ。そして少女の目に映るのもまた、俺だけである。


 ごくり、と。生唾を飲み込む艶かしい音が耳に響いた。

 少女の表情は固く、緊張からか額や首筋に汗の玉が滲んでいるのが色っぽい。


 少女は顔を紅潮させ、耐えられないというように目を逸らしながらも、緊張と不安で震える口をなんとか開いた。


「その……わたし、そういうのは初めて、で……」


 俺の申し出に首を小さく振って、拒絶とも受諾とも取れる曖昧な答えを出す。少女の声はか細く、ともすれば消えてしまいそうな程に弱弱しい。

 だが、俺の目は少女を逃がさない。真っ直ぐに向けられた耳はしっかりとその一言一句を漏らす事なく聴き取る。


「大丈夫だ。俺は必ず満足させてみせる。君はただ、俺に全て任せてくれるだけでいいんだ」


「……っ」


 行き場を失った少女の目が泳ぐ。

 俺もまた、慣れないことをしているものだから、さっきから心臓の音がうるさい。

 だが、ここで慌ててしまったら全ては水泡に帰す。俺は、自分に落ち着けと言い聞かせるように唇を舐めて湿らせた。


 ……何故こんな事になってしまったのか。何故こんな事をしなければならないのか。

 俺は内心悲しみと羞恥で涙目になりながら、尚も真剣な面持ちで彼女を見続けている。



 ――俺の脳裏には、つい1時間前の記憶がフラッシュバックしていた。




 ◆




「さて……あの子は」


 なんだかんだ我侭尽くしのオルガニアをなんとか説得した俺は、とにかくまずは少女に神器のことを聞こうと思い立ち、1階の受付までやってきていた。

 掃除が終わった後だろうから、その後彼女は少し休憩をとって洗濯や夕飯の準備に取り掛かる筈だ。

 1ヶ月という長い時間滞在し続けているおかげで店主の少女の時間割をなんとなく把握してしまったのだが、それがまさかこんな形で役に立てられるとは思わなかった。

 ともかく、あの子とコンタクトを取るなら、休憩時間である今が絶好のチャンス。折角の休息に邪魔をいれてしまうのは些か忍ばれるが、仕方の無いことと諦める。


「……いた」


 ターゲット、補足。

 店主は受付のカウンター前に腰掛け、宿帳になにやら文字を書いている。

 この宿屋は破格の値段で泊まれるというのに、それほど客の出入りが激しくないのが不思議だ。建っている場所が大通りから少し離れているのが原因なのだろうか。逆に穴場としてもっと注目を浴びて良いと思うのだが。


 何はともあれ、作戦決行。

 作戦名は「取り敢えず仲良くなってから取り入る作戦」だ。内容はその名の通り。時間はかかるが確実性はある……はず。


 人とのコミュニケーションが苦手というわけではないが、得意でもない俺にとっては難易度の高い作戦ではありそうだが、生憎それ以外の良策は思いつかない。


「こ……っんにちは」


「……? あっ、こんにちは!」


 第一声からどもりそうになるのを慌てて訂正する。俺が声をかけると、少女は心なしかいつもより明るさ割り増しの笑顔で応じてくれた。

 さて、俺のコミュニケーション能力でどこまで仲良くなれるものか。


 ……と、不安に思っていたのだが。

 俺が暇で少しぶらぶらしてたと言うと、予想外なことに少女の方から話を色々と振ってくれた。

 元々挨拶を交わす事はしていたし、人懐っこい子だな、と思っていたが予想以上に友好的だ。


 宿屋の少女の名は、エミィ=レンティアと言った。俺は1ヶ月宿屋にいたが店主の少女の名前を聞いたのはこれが初めてだ。

 そして更に驚くべきことに、少女エミィの歳は15歳だと言う。15歳にしては女性特有の部位の発育が進みすぎているような気もするが、彼女は特別発育がいいのだろう。深くは考えないようにする。


 余談だがソルデにおける成人は18歳だ。まだ成人すらしていないエミィが1人で宿屋を切り盛りしているというのは純粋に驚くと同時に疑問を覚える。そのことを愚直に尋ねると、エミィの両親は既に亡くなっていて、今は叔父の家にお世話になっているんです、と教えてくれた。


 が……その場合、エミィの父と母が経営していたと言うこの宿屋は普通店じまいして領地を売り払ったりするが普通だ。しかしそれはエミィたっての希望により阻止される。


「ここは……わたしが育った家なんです。お父さんとお母さんが居て……お客さんがいて。ここで働いてると、私はまだここで育ってもいいんだって……そう思えるんです」


 過去を懐かしむように目をつむるエミィは、俺が思っていた以上に大人だった。エミィの言葉からは過去に縛られている、というよりも受け入れた上で尚も父と母の形見を継ぎたいという彼女なりの決意が感じられる。

 なんと純粋で健気な少女だろうか。誰にでも真似できる事ではない。物語にして出版したら誰もが少女の姿に号泣する事だろう。現に俺はその話を聞いて大いに感動した。


「本当は1人で休憩してる時とかすっごく退屈で……寂しくて。アルスさんが話しかけてくれて嬉しかったんですよ!」


 エミィは心底嬉しそうな笑顔を俺に向けてくれる。

 驚くべき事に彼女には所謂、媚びるだとか偽るという営業用の気というのが全く感じられないのだ。エミィの笑顔は文字通り純度100%。爪の垢を煎じてオルガニアに飲ませてやりたい気分だ。


 そんなエミィには天真爛漫という言葉がよく似合う。彼女が普段にこやかな顔で客を送り出したり、出迎えたりする行為には、もしかしたらいつでも話しかけて欲しいという意味が込められていたのかもしれない。そんなに純粋で商売ができるのかと不安にも思うが、まあその辺りは叔父さんに世話になっているという話もあったし、それなりに手助けはされているのだろう。


 全く、この太陽を直視し続けていると俺の邪な企みなどまとめて浄化されてしまいそうになる。


「えへへ……アルスさんは長い期間ここに居てくれてますし、わたしから話しかければ良かったんですけどね。えっと……これからも、ここに泊まっている間で良いので、お話し相手になってくださいませんか……?」


 エミィは俺を見上げながら恐る恐るといった風にお願いをしてきた。

 向かい合ってカウンターに座っていても尚、小柄なエミィの座高は俺と比べて頭一つ程度違う。その身長差のおかげでエミィの視線は強制的に上目遣いになっている。うら若き少女の天然上目遣いという技が俺の心をガッツリ揺さ振る程度の破壊力を持っているのは言わずもがなだ。


 世界中のどんな男であろうとも、この仕草には庇護欲を掻き立てずにはいられない事だろう。

 繰り返すが彼女には一切の企みも計算もない。ただただ自然体のままに天下一品の可愛い仕草をやってのけるのである。


 げに恐ろしきは天然妹キャラ。本題に入る前に俺がやられそうだ。


 とは言ったものの、ここで俺がノックアウトされてしまっては泣いてしまうのはエミィの方だ。

 俺はオルガニアの魔の手からどうにかしてこの子の純真無垢な心を守ってやらなければならない。


「あの、さ。エミィがいつも持ってるあの箒とちりとり。あれって、何か不思議なものだったりする?」


 意を決してエミィに神器……箒とちりとりの話を振る。

 こんな訊き方では少し怪しまれるか、と思ったがエミィは俺の言葉の裏に潜む意味などまるで気づきもしていないようで、正直に元気いっぱいにこくりと頷いてくれた。


 そしてすぐ側にあったロッカーから実物を取り出して見せてくれる。

 エミィが自信満々に見せてくるそれは、見てくれはなんの変哲も無い箒に、ちりとりだ。ところどころ汚れてはいるものの、箒の穂先は全く癖がついていないし、ちりとりも綺麗に洗われている。それだけで彼女がどれほどこの道具を大事に使っているのかが分かった。


「これ、亡くなったお父さんが使ってた物です。 ……凄いんですよ! パッてはくと、スパパパパーンッて辺りのゴミとか埃が集まってくるんですっ!」


 瞬間、俺の表情は凍りついた。


「……お父さんの」


「はい、お父さんが私に遺してくれた物です」


「……お父さんの遺品」


「だから、私にとっては、宝物です。ふふっアルスさん、お目が高いですねっ」


 突如、エミィは飛び切りの冷や汗モノな話を放り込んできた。


 あの箒とちりとりは父親の遺品。

 父親の遺品である。

 父親の遺品を俺はポンコツに変えようとしているのである。

 具体的にはオルガニアが、だが。


 もういっそこのままオルガニアに全て吸い取ってもらって、何も見なかったし聞かなかった振りをして黙って帰ってしまおうか。

 そんな思考停止を乗り越えて廃人にでもなったような血迷った思考が俺の頭をよぎった。当然却下である。


 俺は勇者の責務を放棄するヘタレだが、一般的な良識と常識は持ち合わせているつもりだ。ここで退いては男が廃る。


「…………」


 しかしすぐに打開策は出ない。どうしたものかと、一旦言葉を噤んで俯向く。


 一度はけば辺りの埃やゴミをかき集める箒。そしてそれを受け止めるちりとり。なるほど、確かに神器と呼ぶに相応しい。是非とも一家に一本欲しい代物だ。

 ただ、それだけならば良かった。


 だがエミィの持つそれは、父の形見。

 それを何かと交換してくれというのは土台無理な話だろう。というかそもそも交換を切り出す事すら憚られる。


 にこにこ顔のエミィには気づかれないように歯噛みしていると、痺れを切らした俺の中の魔王様がいよいよ動き出してしまった。


『埒があかんな。もう実物はそこにある。いただくぞ』


「ちょっ、ちょいちょい待ち……! お前に慈悲はないのか……!」


 小声でオルガニアを制しつつ、とにかく俺は思考を巡らせる。

 どうすればいい。これ以上オルガニアを説得するにはどうすればいい……!

 このままだとまた犠牲者が出る。


『お前も我には早く魔力を取り戻してほしいだろう』


「あと少しだけ……頼む、5分くれ……!」


『……うん?』


 もう限界だ。


 そう思った時には、俺の口は動いていた。

 俺の泣きの一回ならぬ、泣きの5分の願いは、オルガニアをギリギリ踏みとどまらせる事に成功した。


『……良かろう。5分でお前が何をするのか。見届けてやる』


 残された時間はもう無い。

 これは最終手段だ。


 俺は、下に向けていた目線を上げてエミィを、見る。

 真っ直ぐに、見る。


「……?」


 エミィは小動物のようにちょこんと首を傾げて様子のおかしくなった俺を見ている。頭が傾けられ、癖っ毛が揺れた。


 それをなんとなく眺めて……心の中で台詞をまとめてから、意を決した。


「エミィ。これから俺がするのは、凄く、大事な話なんだ」


「えっ……?」


 静かに、言い聞かせるように喋る。その雰囲気を汲んでくれたのか、エミィの顔から笑顔が消え、代わりに困惑と緊張の色が見え始めた。


 なりふり構っていられんのだ。

 俺の突然の切り替えに困惑するエミィをしっかりと見つめ、俺は声高々に懇願する。


「俺を、ここで働かせてくれ!!」


 それは、渾身の脱引きこもり(ジョブチェンジ)宣言であり、俺が考えた最後の手段だった。




 ◆




 出会って1ヶ月経ったとは言ってもまともに話したのは今日が初めて。だというのに突如としてこんな暴挙に出たわけだから、にべもなく断られて気まずくなるのは覚悟の上。そうなったらそうなっただ。多少の軋轢は生むだろうが、俺は全力でこの場から逃げ出してオルガニアからエミィを守る。


 確かに今までずっと1人で切り盛りしてきて、人を雇うのは初めての事だろう。


 だが安心して欲しい。俺は非力だが不器用ではない。家事はやり方さえ覚えればある程度こなせることだろう。掃除洗濯料理皿洗い。すなわち()()()()()()()()()()()()の働きをしてみせよう。


 たかが少女1人のために何をそこまでと嘲るならばそうするがいい。神器が力を無くした事によるショックからエミィが立ち直るまでの間は俺が代わりに働くのだ。というか神器の力無くして、この広い宿屋の掃除はエミィ1人では絶対にできない。

 そんなエミィを黙って見ていられる奴は人間じゃない。鬼か悪魔か魔王だ。


 まあ、言うなればただの自己満足だが、そうする事で救われる何かがそこにある。働くのは少しだけ面倒だが、それでも俺にできるのはこれくらいだろう。

 これこそが俺の勇者としての初めての仕事……だという事にしておこうかな。


 もちろん、俺のこの行動が完全に善意のみによるものか、と聞かれたらそれは違う。一応言い訳程度の打算があったりもする。

 街の中、それも宿屋で働けば外に出なくて済むし、国の支援金以外の収入も期待できるかもしれない。俺にとってのメリットも十分にある。特に街の外に出なくて済むというのが素晴らしい響きだ。実に良い。


 俺の不退転の意思を感じてくれたのか、エミィは顔を真っ赤にさせながらも、折れかかってくれていた。


「その……わたし、そういうのは初めて、で……」


「大丈夫だ。俺は必ず満足させてみせる。君はただ、俺に全て任せてくれるだけでいいんだ」


「……っ」


 全てというのは少し壮語かもしれないが、せめて掃除は俺に任せて欲しい。

 俺は今だけは女神様に祈りを捧げてエミィの返事を待つ。


「あの……わたしと、一緒に、働いてくれるんですか……?」


「勿論だ。なんなら一生! その覚悟が俺にはある!」


「そ、そそそ、そんなにですか!? は、はわわわ……!」


 馬車馬の如くとまでは無理かもしれないが朝から晩まで働く覚悟はできている。外に行かされなければいいだけで、元々退屈なニート生活にはそれほど固執してはいないのだ。休憩時間は欲しいけれど。


 俺の決意表明を聞いたエミィはいよいよ折れて、熟れたトマトのような顔を縦に振ってくれた。


『……5分だ。なんというか……お前がそれでいいなら、いいだろう』


 と、そこで丁度タイムアップ。戸惑った様子のオルガニアが神器から魔力を吸い取る。

 けれども俺は、謎の達成感で満たされていた。


「す、末長く……宜しくお願いします……」


 頭から煙でも吐きそうな程赤くなったエミィが、何かを呟いた気がするが、その言葉は俺の耳には殆ど届かなかった。


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