第19章「日常は――」
「…………」
「…………っ」
どれぐらい時が止まってだろう。誰も何も言葉を発さない、今はもう静かになった風が吹き抜けるだけ。
俺は黒の剣をシルクの喉元に突きつけたまま動かない。
「……なんで、止めるのよ」
「…………」
「あんたの剣なら、振ればあたしを殺せるんでしょ。……なんでやらないのよ」
真っ直ぐに俺を見つめ続けるシルクもまた、動かない。
波動の魔法を纏った剣は、確かに触れたものを皆無へと帰す。
だが、今の俺にシルクを殺す気など欠片もなかった。
「……とある魔法教授が監修した教科書――導入部分にはこう書かれてる」
「……え?」
「障壁魔法は、凡ゆる障害に対し壁を以ってして拒絶する力であり、戦うための力ではない。戦火の中、尊い命を護るための力である。力を手に入れる前に、心優しい精霊がこの魔法を作り出した意味を、考えてみて欲しい――」
「それって……」
「読んだことあるだろ。……その本の著者は、シルク=シュレイク。……有名な、障壁魔法専門の非常勤講師だった。……シルク。いや、シルベル。君の、お母さんが書いた本じゃないか?」
「……」
《障壁魔法基礎》。というなんの変哲もない名前の教科書がある。
障壁魔法は攻撃の力にできると考える学者は多い。というか、障壁魔法が初めて使われた戦争時代では攻撃魔法として扱われていたくらいだ。
そんな中、道徳的な意見を推して負のイメージを払拭し、今の守る力としての障壁魔法の意識を作り出した教科書が《障壁魔法基礎》だ。
俺はなんとなくその本の端書きに書いてあった言葉が好きで、穴が開くほど読んだ覚えがある。
……当然、中に書かれている簡単な障壁魔法は一つも習得できなかったわけだが。
「お前はきっと、障壁魔法しか使えないんじゃない。無意識に障壁魔法しか使わなかったし、覚えようとしなかったんだ。魔物として生きるために、魔物だった母親の影を背負おうとして」
一度あふれ出すと言葉がボロボロと溢れてくるものだ。
でも、これだけは真実を聞いておきたくて、そして、これだけは言っておきたかった。
「俺は、障壁魔法を人を傷つける為に使うべきじゃないと思う。……そう、思わない、かな……?」
尻すぼみになったが、言い切った自分を褒めてあげたい。人を諭すような放し方というのはどうにも苦手だ。俺の真摯な思いはどうやら少しは伝わったようで、シルクの態度が少しだけ軟化する。
「……あんたは、嫌じゃなかったの」
「……何が?」
「……人の倍以上に不完全だったことよ。あんたも、あたしと同じって言ったじゃない」
そう尋ねられて、少しだけ言葉を考える。
嫌かと問われればもちろん嫌だった。嫌じゃなければ俺は村を飛び出して不貞腐れていなかっただろうし、もう少し勇ましかったはずだ。
俺は、シルクの問いに真摯に答えなくてはならない。
それだけを決めて、口を開く。
「超嫌だったよ。何年やっても魔法の一つも覚えないし、やっとこさ覚えた魔法は馬鹿の証明みたいなひっどい魔法だったしな。おまけに勇者になっても力の一つも使えなくて……いやほんと、俺何やってたんだろうな」
昔の愚痴ならばいくらでも出てくるってくらい努力した。
俺は実らない努力ほど虚しいものはないと思う。
「あっそ」
「…………」
「そう思ってもあんたは……恨まなかったのね」
「恨んださ。俺はそこまで聖人じゃないからな」
まあつまり、中途半端に逃げても俺のやりたい事は結局のところ変わらなかったのだ。
即ち俺が恨んだのは自分。シルクが恨んだのは世界といったところだろう。違ったのはたったそれだけの事だ。
「……アルス」
「あ……ガスト。怪我、大丈夫か?」
「一応、な。治したがおかげで魔力はすっからかんだわ」
首を回しながらガストが歩いてくる。
血は止まっているようだがその顔色は青くなっている。魔法の使いすぎだろう。
「……で、こいつどうすんだ?」
「ああ、それなんだけどさ……逃がそうと思うんだ」
「は、はぁ? そりゃどういう……」
納得いかない、とでも言いたげなガストの態度は最もだ。殺す殺さないは別として、せめて拘束して騎士団に身柄を預けるべきだろう。それぐらいのことをシルクはしたし、王都襲撃の一軒を許してうやむやにする気も無い。だが……。
「次は、俺とサシで戦う。それが条件」
その提案にシルクは心底驚いたような顔をして、すぐに調子に乗ったような、不適で小憎たらしい笑顔を浮かべた。
「……後悔するわよ?」
「後悔だらけの人生だし、今更一個増えても大して変わんないと思う」
「あはっそれもそうね。……ねえ」
ローブの埃を払って、背を向けたシルクが肩越しに話しかけてくる。
「……次は絶対勝つから。覚悟してなさいよね」
「お手柔らかに頼む」
「ふん」
なんとも言いがたい雰囲気を残して、シルクは空へと飛び上がり、彼方へ消えていく。
俺の手には、取り戻したオルガニアの杖が握られていた。
◆
「なんつーかよ。お前、頼もしくなったな」
夕日が眩しく照りつける頃。街では怪我人の救助や民間人への対応など、騎士団による事件の後始末が始まっていた。
避難用シェルターへと向かう道中、ガストが脈絡も無くそんなことを言う。
はて、と心当たりが無い俺は首を傾げることしかできない。
「最初に会った時はコイツ本当に勇者かって思ったモンだけどな。そんな奴が次はサシで戦え、なんて啖呵きりやがったんだ。認めるしかねえって話だぜ」
「あー、はは。あれは勢いというか、なんというか……どうしよ」
あの言葉は自分でもどうかと思った。打算は特になかったが、正直に言うと俺はオルガニアの力を借りてたわけなので、実質二対一である。多分次もしれっとそうするから、心が少し痛まないわけでもない。
勝てばよかろうなのだとは、どこの名言だったろうか。
「まーそう謙遜すんなって! ……お疲れさんだったな勇者サマ。助かったぜ。ゼロ・フォースなんて隠し玉持ってるたぁ恐れ入ったわ」
「ひょっとして馬鹿にしてる?」
戯けた言葉遣いのガストに俺は詰るような視線を向ける。
しかしガストは言葉の雰囲気とは裏腹に、激しく首と手を横に振った。
「バッカ、褒めてんだよ。ゼロ・フォースが馬鹿にしか習得できない魔法っつってもなんの努力もなしに使える魔法じゃねぇってことは誰でも知ってる」
「……ガスト」
「……へっ。まぁ今日くらいきっちり休んどきゃいいんじゃねぇか」
「ん……そうだな。ありがとうなガスト」
一瞬ガストの言い方に疑問を感じたが、気のせいだろう。
言われるまでもなく、俺は暫く勇者として働く事はしないつもりだ。のんびりとまた平和な生活を送らせてもらう。
シェルターに着く手前で、力仕事を手伝ってくるというガストとは別れ、エミィを迎えに行く。
祈るように手を組んだ少女は人ごみに紛れてぽつんと立っていた。
良かった、怪我はなさそうだ。ただそれだけで胸がすくようで俺のしたことが間違いではなかったと思わせてくれる。
俺は、俺の帰りを待っていてくれた少女のために、精一杯の心をこめて、呼びかける。
「エミィ! ただいまー!」
「っ……! アルスさん!」
我慢していたのであろう涙をまた沢山こぼして、安心と喜びの混じった顔でエミィが俺の元に走ってくる。痛んでくたくたの足を引きずって、それでもゆっくりと近づこうとする歩みは止まらない。
「おかえりなさいっ!!」
生きて帰ってこれた。その感動に感謝しながら、俺は飛びついてくる小さな体を受け止めたのだった。




