第16章「誇るべき強さ」
「なぁ……っ! 道合ってるか!?」
『問題ない。さっきから魔物の魔力が同じ場所に集うように移動していたからな』
「ひぃ……ったく、最近走り通しすぎる!」
オルガニアの言う通り、俺は間も無くして森を抜けた。先程の超光る魔法はグランウルフを予想外な程怯ませたようで、追っ手はなさそうだ。
「はぁ……はっ、はっ。ガスト! おーい、ガスト! いるか!?」
俺は森を出て道に出るなり味方を求めて声を張り上げた。
けれど、ガストの姿は周囲にない。
あるのはやけに規律正しく一直線に伸びるグランウルフの物と思われる足跡と、踏み倒された草木だけだ。
「なんだこりゃ。こいつらレールの上でも走ってたのか……?」
『敵が王都に向かうよう仕向けたのだろう。考えられる方法は、まさか……』
「って、考えてる場合じゃないな……!」
ガストがいないという事も気がかりだが、あいつは自分で戦うことができる。余程のことがなければ生きているだろう。
シルクもガスト程ではないが、そこまで案じてはいない。障壁魔法に長けているし、きっと上手く敵を躱して逃げ延びているはずだ。
でも――エミィは違うんだ。
宿屋を一人で切り盛りしているあの儚い少女は、魔物は愚か、命の脅威にさらされたことなどない一般人。狙われれば逃げることだってままならない。
エミィは無事に避難できているだろうか。
知り合いの安否を確かめる手段がない以上、俺は王都に戻ってそれを確認しなければ気が済まない。
「っ……」
だけど、怖い。
事態を飲み込んで、理解して、現実を目の当たりにする。
何十体もの強大な魔物の足跡を見て、身体が震えて足が竦む。
また弱音が出そうになったところで……。
『行け、アルス』
オルガニアの声が聞こえた。
『勝てる戦いだ』
魔王の発する、短い鼓舞。
こいつの事だから、どうせ神器がどうのとか言い出すのだろう。
だけどその言葉は、俺に一歩踏み出させるには十分過ぎる物だった。
◆
端的に言えば、王都では既に戦闘が始まっていた。
引っ切り無しに街に警報が鳴り、切羽詰まったようなギルド職員の声が現状を説明する放送を流す。
舗装された道は荒々しく踏み抜かれ、家や出店は無残に荒らされているところもあった。激しい戦いがあったのは言うまでもない。宿屋のある通りの建物も一部はもうボロボロだ。
街の門近くの衛兵の姿は見受けられなかった。血痕はないところを見ると、街に退いて戦っているのか。
不安感に押しつぶされそうになりながらも俺は宿屋のある道まで辿り着いた。
「エミィ!」
痛々しく荒れ果てた景色の中、風になびく長い髪を携えた少女の姿が見える。俺は必死に声を上げて駆け寄った。
「あ……あるす、さん」
エミィは力なく俺の方を向く。その顔は涙で濡れていて、手は泥だらけで黒ずんでいた。
なにがあったのかと肝を冷やしたが、どうやら外傷はないようである。良かった……。
「にしても避難もしないでなんでこんな、ところ、に……」
ふと。エミィがさっきまで見ていたものに俺の目線が行く。
横に居るエミィがひときわ大きな涙をこぼし、俺にぶつかるように抱きついてきた気がした。
それを優しく受け止める事も忘れて、ただ目の前の物を傍観する。
俺の目から、光が消えた。
「うっそだろ」
運が悪かった、らしい。
恐ろしい獣の雄たけびが聞こえてからすぐに王都には警報が響き渡った。
そして、運悪く、そのうちの一匹が人気の少ないこの道にやってきたのだ。何かの気配を察したのか、何かの匂いを嗅いだのかは分からないが、一匹だけ。
かくしてその場に居合わせた騎士とグランウルフの戦闘が始まった。逃げ遅れたエミィは震えながらも必死に身を隠し、嵐が過ぎ去るのを待っていたようだ。
そして音がやみ、全てが終わった後。
外に出てみると、変わり果てた自分の家があったというのだ。
火事にならないように最大限の配慮があったのだろう。焦げたり燃えたりといった損害はない。
しかし。へこみ、欠けた屋根は今にも崩れ落ちてきそうなほど傷ついていて、窓は悉く割れている。損害がない場所を探す方が大変だ。そしてダメ押しと言わんばかりに扉の上半分が吹っ飛んでいる。
中がどうなっているのかは分からないが、端的に言って、営業を続けることは不可能なほどに破壊されていたのだ。
「エミィ……」
俺は、泣きつく少女になんと言葉をかければいいのか分からない。優しく励ましの言葉をかけるべきか? それとも今はそれどころではないと叱咤するべきか?
戸惑い、迷う俺の口は、結局なにかを語る事はなく。
その眼下でエミィは弱弱しく嗚咽をもらしながら、なにかを呟いているようだった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
漏らしていた言葉は、謝罪だ。……誰に対するものだろうか。今はもういない両親へ向けてか。それか自分の身を預かってくれた叔父に向けてか。そう思ったが、俺の考えは全くの見当違いで
「私、アルスさんの帰ってくる場所を、守れませんでした……っ!」
「あ……」
俺に対する謝罪、だった。
まだ記憶に新しい、エミィの言葉を思い出す。
――アルスさん。私、ここの宿屋をずっと守っていきます。
――あなたみたいに、何かを悩んでいる人が、少し休める場所であってほしいから。
優しくて、尊い少女の願いと、夢。
エミィは何も悪くない。こんな理不尽極まりないこと、怒り狂ってもいいというのに、この子は自分の不甲斐なさを恥じて、悔しくて涙をながしているのだ。
「なんでだよ……謝らないでくれよ……」
だから、俺のような人間にその言葉は余りにも勿体なさ過ぎる。
なおも涙を流し続けるエミィをどうすればいいのか分からず、俺はたじろぐことしかできない。
誰が悪いとかそういう話ではない。強いて言うならばこんな事件を引き起こした奴が全部悪い。
「エミィは悪くないだろ……! だって……!」
『アルス、前だ』
そう言おうとしたが、オルガニアが割って入ってきた。
ふざけんなこれ以上エミィに何が起こるっていうんだと心底現実を恨む。俺はエミィから目を離して前を睨みつけた。
「うっっ……げ!」
「アルス、さん……?」
突然出した悲鳴のような唸り声を不審に思ったエミィが涙ではれた目で見上げてくる。
震える手を気合で押さえ、無意識にゆっくりとエミィを自分の背中に隠した。
「やっべ……」
「え……あっ」
エミィも俺の眼の先にいる仇敵を見て息を呑む。
……グランウルフ。
もう何度も見た殺戮者に俺は今度こそ臆することなく貫くように睨み付けた。
殺される。そう恐怖するのもそっちのけで、俺の頭は全く別のことを考えていた。
コンマ数秒の内に蘇るのは、だいたい10年前の記憶。
まだ背も小さく、やんちゃ盛りなクソガキだった頃。
無邪気な顔をして、宙を見ながら誰へともなく夢を呟く。
――俺も、勇者になれるかなぁ。
剣は持っていなかったから、アホみたいに勉強をして、アホみたいな絵空事ばかり考えて、アホみたいなほど魔法の練習をしていて、そんでアホかってくらい身体を鍛えようと頑張った。
いつか、勇者になる日を夢見て。
「スー……ハー……」
でも、俺には才能が無くて。
俺は、その殆どができるようにはならなくて。
ある日ぽきりと、心が折れる音がしたんだ。
「スーー……」
けれど何もかもやる気を無くしていたある日、俺の元に、一本の剣が現れた。
俺はいよいよ現実を呪った。
もっと早く来いよ、空気読めよ女神。俺には何もできないって俺が気づいてしまう前にそれが欲しかったよ、と。
それでも機会が与えられたのだからと、もう一度だけ頑張ってみても、やっぱりダメで。
良かったね、夢が叶ったね、と涙を流す親の顔を見るのも辛くて、悔しくて、苦しくて、何が何だか分からなくなって。
俺は、勇者にはなれないんだよ。無理なんだよ。
そう、心の底から叫びたかった。
「ふぅっ!!」
俺の意識は急速に浮上し、過去の世界から現実に帰還する。死への恐怖は依然無くならない。圧倒的な嫌悪感と気持ち悪さを感じて胸が煮え繰り返りそうになる。
だが。それすらも跳ね返して。
一歩を、踏み出す。
「いい、加減にしろよ……」
腰につけてあった剣を引き抜く。また一歩踏み込む。砂利を踏む乾いた音が、響く。
「エミィが、一体……なにしたってんだ……ッ!!」
一歩、一歩。また一歩。
「ふっっざっけんなお前えええええええ!!!」
気がついたら俺は、爆ぜる激情のままひ跳びかかりグランウルフに剣を叩きつけていた。
怒号と剣幕に気おされたか、避けることすらしなかったグランウルフの皮膚を切り裂き、肉を断つ嫌な感触と共に、地に鮮血が飛び散る。
窮鼠ねこを噛む。突然の痛打にグランウルフは溜まらず後ずさって俺から距離をとった。
「はっ……はっ……はぁっ。クソ……ああ、もう、気持ち悪い!」
俺は喉から絞り出すように悪態を吐く。腕に残る生き物を切った感触、滴る血。五感を閉ざしてしまいたいくらいだ。
そして続けるのはいつもの弱音ではない、本音からくる自分自身への愚痴。
「何もしないで逃げられないって、見捨てられないって中途半端さがあるから本当に最悪だよなぁ……!? へっぴり腰でなんもできないくせにさ!」
俺はただただ空へ向かって吠える。
染み付いた負け犬根性は相変わらず、俺が何もかも諦めたのは具体的にいつ頃だったか、もう思い出せない。
「でもさ、へっぴり腰も頑張ったんだよ! ダメでダメダメでも頑張ったんだよ! ……頑張った奴の努力を……簡単にぶっ壊すんじゃねぇよ! 畜生! 仕事しろ女神ぃ!」
怒りから目が覚め、我に帰ってようやく自身のやった事を実感する。
いよいよやってしまった。やってしまったのだ。
こうなったらもう、逃げられない。
でも、後悔はしていない。
「エミィ! そこにいてくれ!」
「はっ、はい……!」
俺は今、最高に勇者をしているのだから。
『ふふふふ……あっはははは!』
「な、何を笑ってんだよオルガニア……」
目の前のグランウルフは俺をじっと見て狩るべき相手かどうかと力量差を確かめている。
そんな切羽詰った状況で何故か笑い転げているオルガニアの神経はどうにかしている。
『けほっ……フフッいや何、やはり中々面白い事をする奴だな。存外、お前には勇者の才能があるではないか』
「才能はないだろ。俺に勇者の才能があるなら今頃滅茶苦茶強くなってたっての……」
『まあ、聞け』
俺の文句など御構い無しにオルガニアは気分良く言葉を続ける。
なんだろう。オルガニアは一体何を言おうとしているのだろうか。
『我は万年、様々な勇者と出会い、戦ってきた』
依然表情の見えない魔王は、不敵な笑みを浮かべているような気がした。
『――真に才能のある勇者とは、人のために立ち上がれる者の事を指す』
「え……」
――言葉を、失った。
こいつは今、なんて言った?
魔王の癖に……否、これは魔王だからこそ言える言葉なのだろうか。
嫌に説得力のある言葉が、俺の胸に突き刺さる。
『お前は弱い。お前は脆い。そうだ、お前は恵まれなかった』
「オルガニア……?」
その言葉にはいつものような棘は無く、オルガニアの声のトーンは未だかつてないほどに優しく、強い。
『だがお前は勇者の才に溢れている……とまでは言わんが、確かにそれを持ち合わせている。誇れ。その力は、誰もが持つ物ではない』
「っ……!」
『アルス、前を向け。……今度こそやれるな?」
オルガニアの言葉に、胸が熱くなる。湧き上がるとうしようもない感情は、なんだろうか。
誰からであろうとも関係ない。認められたという事実が、俺の心を強く揺るがせた。
これも魔王のカリスマ性なのか、自然と視線は前を向き、震えさえ感じなくなる。
オルガニアの言うそれが、本当に勇者としての才能なのかは分からない。というより、それもう完全に根性論の話じゃないかとツッコミさえしたい。
しかし、目の前の脅威に対して、負ける気がしないのは確かだ。
「……多分な!」
『……いい顔だ。では行くぞ。敵は一匹。取るに足らん』
目尻にたまった涙を拭い、剣を構え直して、グランウルフと対峙する。
戦う決心をしたのが伝わったのか、グランウルフも同じく姿勢をより低くして襲いかかる準備を整えた。
『今から我の言葉を復唱しろアルス』
「え? 復唱?」
『一から生まれ、一へと消える元素の神』
「え、あちょ……イチから生まれ、イチへと変える元素の神……?」
唐突にオルガニアが詠唱を始め、俺は言われた通りに復唱する。
しかしそんなことはお構いなし。グランウルフはいよいよ俺に飛びかかってきた。
「アルスさんッ!!」
「どわぁああああ!!」
石壁に向かって身を投げ出し、豪快にかぶりついてくる牙からなんとか脱する。
『零を滅ぼし、零を蘇らせる原初の神』
「っ……ゼロを滅ぼし、ゼロを蘇らせる原初の神!」
グランウルフは腕を薙ぎ、牙を剥いて突進する。それを間一髪で伏せて避け、砕けた建築物の残骸の中を無様に逃げ惑いながらも、生き延びる。そんな状況でもオルガニアは言葉を止めず、俺は慌ててそれを繰り返す。
『火炎、電撃、冷気、時間、空間、円環は均衡を保ち、世界を維持し続ける』
待て待て待て、多いぞ! というかいつにもまして長くないか!
「火炎、電撃……冷気、時間、空間、えんかんは均衡を保ち、世界を維持し続ける!」
『されど我、円環の理から抜け、無を求めん』
「されど我、円環の理から抜け、無を求めん!」
瓦礫をなぎ倒し俺が身を隠している物陰に巨体が迫る。いよいよまずくなってきた。
が……長い長い台詞も、次でようやく終わりを迎えた。
『壊せ、壊せ、無の力よ。無くせ、無くせ、黒の世界よ。あらゆる理を無へと壊せ』
「壊せ、壊せ、無の力よ。無くせ、無くせ、黒の世界よ。あらゆる理を……無へと壊せ!」
三十秒を超える長い詠唱ののち、俺の持つ剣に異変が起きる。
「は……? ううわあああ!?」
剣から黒い何かが迸り、巻きついていく。
グランウルフも謎の物体に驚き、咄嗟に俺から距離を取った。
奔流はしばらくたつと落ち着き、静かに剣に密着した。
改めて、真っ黒になった刃を見る。
黒い。本当に黒い。そこになにもないように思えてしまうほど、恐怖を感じてしまうほど、黒い。
『――波動の魔法』
「……は?」
『元素も原初も取り払い、そこには何も残らない。我が生み出した我だけの無を操る魔法だ』
「ぜんっぜん波動っぽくないんだけど。てか、は? 無を操る? 無って無いから無なんじゃないの?」
『それはこの魔法の真の力を使った時に分かるだろう……ほれ、来るぞ』
説明も何も殆ど無しのままグランウルフが痺れを切らして突撃してきた。
迷っている時間はない。俺はオルガニアの力を信じて剣を袈裟掛けの方向に振るった。
なりふり構わず噛み砕こうと迫るグランウルフ。
それを迎え撃つ俺の黒塗りの剣。
彼我の距離が迫るのが殊更ゆっくりに見えて、そして――。
「うおお……おりゃあ!!」
全力で振り抜かれる、黒刃が一閃。
黒の剣はグランウルフの皮膚を塗りつぶすように吹き飛ばし、肉や骨を消滅させた。
そして音も立てず描かれた無の軌跡はその場にある全てを飲み込んでいく。
突発的過ぎる現象に俺は慌てて剣を引き戻したが時すでに遅い。
頭から半分ほど黒に染められたグランウルフは痙攣する余暇もないまま既に息絶えていた。
――やがて辺りを沈黙が支配する。
「うっわ……グロ……」
血すらも消滅し、グランウルフの横たわるそこには何も散らかっていない。文字通り頭と身体が半分ない死体だけがそこにあるという怪現象だ。
『ふむ……まぁ上出来だ。人の身でここまでちゃんとした形にできるとは驚きだな』
「おまっ……え、嘘だろコレなに? 消し飛んだぞ?」
『それが無というものだ。万物は必ずこの世の中で循環し、本当の意味での消滅などはありえない。……だが波動の魔法はその理を壊し、真の消滅をもたらす力。文字通り触れたものは消えるのだ』
俺はその説明にただならぬ恐怖を感じ、危うく剣を落としそうになるも慌てて握り直した。
今の話が本当なら、この刃に触れた物は全て消える。地面に落とした日が最後、容赦なくこの大陸を分断し、無へと帰すことだろう。
途轍もなく強力なだけに、たった今この剣は世界をぶち壊しうる神器と化した。
……恐ろしいが、今に限ってはこれ以上に頼もしい武器はない。
「やっべぇけど……これなら、一応なんとかなる、のか!」
剣による危機が増えたが、魔物による危機はこれでだいぶ薄れた。これがあれば、本当に全てを守る事ができるかもしれない。
俺は決意を新たにして、エミィのほうに向き直って、力強く笑う。
ガストにシルクは今何処にいるのだろうか。分からないが、この一件は俺が食い止める。勇者として、食い止めなければならない。
『さぁ殺れアルス。今のお前は――この世界で、誰よりも強い!』




