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第15章「全ては起こり始めた」

『霹靂の魔法。蒼の槍、紫の鎧。白の裁きを与えるは審判者。次ぐ降雪の魔法により、降り積もる恵みは時を止め、踏みしめる地は凍りつく――』


 しんと静まり返った森に、唄のような詠唱が染み渡る。

 魔法の力を宿した唄は、オルガニアの凛とした声に乗って世界に語りかけている。

 ……オルガニアの魔法で精霊は集まらない。

 草木に、生物に、大地に、空に。この世界の全ての存在に語りかけ、事象を変える神秘の術。

 それはこの世界の人間には決して理解できない理の外の力なのだ。


 詠唱は止まらずに、続く。

 オルガニアの世界の魔法の詠唱は兎角、長い。

 俺たちの使う魔法のように詠唱を短縮することができないのだろうが、これではオルガニアが魔法を打つ前に極限まで切り詰めた詠唱を五、六回は唱えられそうだ。


『雑ぜる盾嵐の魔法により――巡れ、咆哮』


 長かった詠唱も終わりを迎え、最後の呪文を紡ぎ終わるや否や、早速変化が現れた。


 初めはのどかなそよ風が。

 次に、髪が煽られる強風が。

 やがて、木々全体をかき乱す突風へと進化していった。

 その勢いたるや正に台風。俺は目を瞑り、飛ばされないように腰を落とした。

 声を出そうとするも、風に掻き消されてそれすら叶わない。


『落ち着け。お前に害はない』


「……?」


 暫く目をぎゅっと閉じ、踏ん張ってみるも、確かにオルガニアの言う通り特に風が吹いている感じがしない。というより、最初はかなりの風を感じたが途端にやんだ、という感じだ。

 今では声や音こそ風に掻き消されるが、俺の行動は驚く程に制限されていない。

 突然の強風にすわ何事かと慌てる動物や、木の葉を巻き込んで立ち上る砂埃。そんな目の前の光景からは想像もできない程に俺の周囲だけは無風。まるで世界の一切合切が遮断されてしまったかのようだ。


『盾嵐の魔法はお前の身体から円状に風の空間を作る魔法だ。大抵の物は弾きかえす風の壁。これが周りの音を消すのに一役買うというわけだ』


「なるほど……音を消す、というか轟音で誤魔化してるわけだ」


『そう。音が消せないのならば、音を全て同じにしてしまえばいい。盾嵐の魔法はこの森の半分以上を呑み込んでいる』


 胸を張ったようにドヤ顔ならぬドヤ声なオルガニアの説明に俺は吹き出す。


「森半分って……何してんのお前!?」


『そういうものだ。さぁ、この森の木の葉全てが散る前に片付けに行くぞ』


「俺に森の命運託すのやめてくんない!?」


 森の命は今オルガニアが握っていると言っても過言ではない。

 まだこれから豊かな緑が元気に光合成をする時期だというのに、冬を告げる精霊もびっくりなほど森を丸裸にされたのではいたずら通り越してもはや犯罪だ。四季をなんだと思ってるんだと怒鳴りたくなるがオルガニアは文字通りどこ吹く風である。


「く……わかった、わかったよ。やってやる!」


 俺は半ば自棄気味に森を疾駆した。グランウルフに遭遇する可能性もあるが、この豪風だ。グランウルフ達も俺に迂闊に近づけないし、不意を突かれる事はないだろう。

 しかし森に入ってすぐに、俺ははたと立ち止まる。


「……魔物がいない?」


 しばらく走ってみたが、依然として魔物の一匹もいなかった。それどころか、グランウルフすら鳴りを潜めてしまっている。

 不信感が強く胸に根掛かりし、当てもなく辺りを見渡してみる。


森は平穏だ。

……不気味なほどに。


『……どうした』


「なぁオルガニア。空間って切り替わったか?」


『――いや。魔力の流れは変化しなかった。確かに、さっきから魔物に遭遇しなさすぎるな』


 俺が目で周囲を見ながら。オルガニアは魔力で辺りを探知しながらの二段構えで索敵していたのだが、ここまで全く何の気配もない。

 まるで、今度は避けられているかのような気持ちになる。


『一応、魔力はあちこちにある。ただ、全く動きがないな……』


「動きがないって、魔物は本能的に動いて獲物を探す動物だぞ? その場にじっと留まってるなんて寝てるぐらいしかあり得ないぞ」


 ちょっとした魔物の豆知識なのだが、肉食系の魔物は特にそういう傾向がある。

 生命活動のために常に動き続ける体力を持ち合わせる魔物は、むしろ体力が有り余りすぎて動いていないとストレスが溜まり、やがて衰弱していく。

 朝から晩まで動き回り、体力を使い切った夜に眠り、また朝から動く。そういうルーチンワークで魔物は生きているということだ。

 知性を持った魔物や独自の進化をした魔物はその限りではないものの、獣から進化した魔物の基本の生態である。


『ならば生息する魔物が変わった……ということか?』


「生息する魔物……って、いやいや。グランウルフも元々ここには居ない魔物だし、魔物を呼んでるのは召喚魔法ってやつのはずだ。召喚する魔物を変えたか……いやでも、うーん、何がしたいんだよマジで!」


『アルス』


「え、な、なに? 今度はどうした?」


『近いぞ』


「へぁ?」


 突然オルガニアの声のトーンが一つ下がり、俺は驚きと不安が混じったかのような奇声をあげる。

 大きいとは、何のことだろうか。魔物の大きさか、はたまた森の広さのことか。


『以前にも一度感じたが、かなり巨大な魔力をまた感じた。そう遠くはないぞ』


「……は? え、え? マジで?」


 ようやくか、と思うよりも先にさっと血の気が引いていくのを感じる。


 オルガニアに巨大な魔力と言わせるほどの存在とは、果たしてどれ程の化け物なのか。

 やはり本当にオルガニアの世界の住民か、はたまた魔王の一団の幹部か。


「確認だけ取れたら、帰ってギルドに報告。そうしよう。それが一番真っ当で確実だ」


 巨大な敵に単身突っ込むのは勇者か愚者のどちらかだ。俺は勇者だが勇者でない。故に、こんなところで特攻かける事はしないのだ。


『お前はここまで来てまだへたれるのか』


「うっせぇよ! じゃあお前マジで俺と代われ! こええもんはこえーし! ヘタレ舐めんな!」


『挙句逆ギレとは恐れ入った。まぁいい。元より無理やり戦わせる気だ』


「うっ……また熱攻めか!? 暴力反対! 無理やりダメ、絶対! いやちょっとホント落ち着いてくださヌワーーーーー!!!」


 止める言葉もむなしく、俺の身体は内側から燃やされるかのように熱くなりかける。

 死んだら来世は普通の人間に生まれたい……と思い始めたところで、俺の周りに吹いていた風が止み、オルガニアの出す熱も止まる。


「……あれ」


『悪いが前言は撤回だ。すぐに引き返せ』


「けほっ……出た出た出た。もう慣れてきたわ。次はなんだー?」


 喉奥から煙のような黒いなにかが吐かれたが、俺は努めて気にしないようにしながら訝しげな態度のオルガニアに尋ねる。

 オルガニアは焦っているのか、何処となく早口で語調が強くなっている。


『空間が次々と切り替わっているようだ。術師はこの術を理解し始めている。つまりだな……ええい、ともかく戻れ』


「わ、分かった。分かったよ。戻りゃいいんだ……っとぉ!?」


 相当切羽詰まった状況なのか、オルガニアに尻を叩かれるようにして動き出したが、俺は足元にいきなり現れた影に躓きそうになり、足を止めた。


「……あれ? お前、確か……」


「ヒッ……! あ、貴方は……」


 そこに蹲っていたのは最初にガストと出会ったときに一緒に会った少年だった。

 相も変わらずガタガタと震えて顔面は蒼白だ。

 元々色白の少年ということもあるのだろうが、控えめに言って病院を薦めたくなるほどの真っ青である。


『おい、そいつに訊け。召喚士はお前だな? と』


「はいはい。召喚士はお前だな? ……って、は?」


「ひぃぃ……そうです、ごめんなさい……だからお願い殺さないで……」


「は? はぁあ!? お前が召喚士ィ!? ひょっとしてグランウルフって、お前が呼んだのか! いや、なんでこんなところにそんな黒幕の一部分みたいな奴がいるんだよ!」


 俺が怒鳴ると少年は更に叫びにならない叫び声をあげて縮こまってしまった。これでは満足に話もできない。


「こ、ここここんなことになるなんて思ってなくて、ただ、簡単に魔法が使えるようになるって言われて……ごめんなさい……ごめんなさい……」


「簡単に魔法が使える……? どういうことだ……?」


「ひっく、うう……」


 泣きたいのはこっちなんだけどな!

 と今すぐ怒鳴り散らして泣き叫びたいのを我慢する。

 今この瞬間、こいつに何か魔物を呼ばれたらおしまいだ……が、俺に力がないってことが気づかれることはこいつの怯えっぷりから察するになさそうだ。


「なのに、なのに、力が止まらなくて……精霊は勝手に集まってきて……あああああ」


「なんじゃそりゃ……これじゃ訳わかんないな」


『こいつはただ利用されただけか……』


 どうやら頼れる魔王様は何かに気づいているらしい。説明されても多分分からないからあえて聞かないが。


『敵の狙いはやはり陽動に幽閉……。それは合っていたがもう一つあったようだ。――奇襲。転向の魔法により、今、それが実行されたのだ。そうなるとこいつは用済みだろうからな』


「へぇ……奇襲って、へ? それってさ、近場が森から放たれたグランウルフの群れに襲われてる……ってこと?」


『そういう事だ』


「……ッ!? マジか!!」


 だとしたら一大事なんてどころの騒ぎではない。

 ここは南の森。王都の森と呼ばれるほどに王都に近い。人の多く集まる王都などグランウルフにとって食料庫のようなもので、襲われるとしたらほぼ間違いなく王都だ。


 閉鎖されてからしばらく、まだ調査の手の回っていないこんなところから奇襲なんかされでもしたら……。


「迎撃の体制は整ってない……! 活動期と言ってもちょっと人数増えた門前の衛兵が精々だよな。おまけに王都は依頼だらけで優秀な冒険者が少ない……! 最悪王国の騎士団もそこそこ出払ってる! グランウルフに勝てる奴はそう居ないぞ!」


 俺の頭の中で連想ゲームが巻き起こる。

 起こりうる最悪の事態と奇襲の凶悪さが徐々に理解できてきた。


「そうなると、被害はゼロってわけにはいかないじゃないか!」


『だろうな。だがそんな事より、巨大な魔力は森の外に出た。恐らく王都だろう』


「そんでもって親玉も王都に突貫かよ! おいおいおい、どうするんだよ、どうする俺!?」


 今から帰ったとして、時間的にはグランウルフとの交戦は既に始まっている事だろう。よしんば混乱やギルドの事を考えてあまり強く報告していなかったのがこれでは完全に裏目である。

 その戦闘の中を切り抜けて逃げられるわけがないし、このまま森の中に居てもそれもまた危険だ。他の魔物がいないとも限らない。


「エミィは……! エミィは大丈夫か!?」


 真っ先に思い浮かぶのは小さな宿屋の女の子。なにかあったらと考えると背中から汗が吹き出した。


『さぁな。……まああの小娘の宿は王都の大通りからは外れた場所にある。すぐに襲われることはないとは思うが』


「あ、そうか……? いや、そうであってくれ……! ……あ、そうだガスト! あいつはどうしたんだ……?」


 唯一知るグランウルフに安定して勝利できる冒険者の安否を案ずるも、それを確かめる手段はない。

 森の入り口付近に居たとしたら恐らく大量のグランウルフと戦いながらも王都に引いたか、そのままやられてしまったか……ガストに至って後者はないはずだが、心配は拭えない。


『アルス。早く王都に戻れ。これ以上森にいても意味がない』


「う……わ、分かったよ。なぁ、ここは危ないからお前も一緒に……」


 蹲る少年に手を差し伸べて王都に連れて行こうと目を向けると、少年はぎょっとするほど青ざめた顔を手で覆い、尋常ならざる汗を流していた。

 少年は呪詛を唱えるかのように低く、小さな声で何かを呟き続けている。


「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……お願いしますころころころころ殺さないで、いやだいやだいやだいやだ……」


「お、おい! 大丈夫か?」


「はぁっ……はっ、はっ、はっ……たす、たすたす……助けてぇええええええええ!!!」


 そして、何かが爆発するような金切り声で少年は助けを乞う。


 するとその声に呼応するかのように空間は歪み、世界に亀裂が入り、そこから全く別の場所の景色が覗いたかと思うと中からは……何度か見た奴の姿がのっそりと現れた。


「グランウルフ……! こいつ、詠唱無しで召喚できるのかよ……!?」


『恐らく小僧に即座に魔法を起動できる魔法陣か構造が埋め込まれているのだろう。この世界の魔法はよく分かっていないが、あってるか?』


「分かりませんっ! 逃げられるかこれ!?」


『いいや逃す。――極光の魔法。日出る空よ、無に光を』


 召喚されたばかりのグランウルフが俺に気づくが、それよりも前にオルガニアが先手を打つ。

 何度か静電気のような音と光が周りで散ったかと思うと、俺の身体は眩い太陽の如く一瞬光った。


「うおっ!?」


 それにより俺の動きも止まったが……目の前で光を直に見たグランウルフは苦しそうに半歩下がって目を強く閉じる。これ以上無いほど強力な目潰しだ。虚を突いたことも相まって効果は絶大のようである。


『さぁ走れ。道は我がなんとか探ろう』


「分かった……! クソ、ガストもシルクもエミィも無事でいてくれよ!」


 何が起こっているのかまだ不鮮明なまま、俺は王都に向かって森を再三駆ける。


 王都に辿り着けば全てが分かる。

 俺は不安を振り払うように首を強く横に振り、全力で走った。


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