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転ぶ三日月  作者: 瀬野とうこ
第五章 : 四分の一程度はきっと大団円
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第十話

体育館に戻るのは一瞬のことだった。

荒れ果てた体育館のステージに、五人そろって転移した。

すぐに気づいた十夜が駆けつけるのと同時に、大音声が体育館を包んだ。

それが教員の斉藤の仕業だとわかったのは、体育館の結界が破れ、すべてがあるべき空間へと立ち戻ってからのことだ。


屋外の軟体生物を駆除した教員が体育館に戻ろうとして、九十九の張り巡らせた結界に阻まれていることに気づいた斉藤が、気迫でそれを吹き飛ばしたのだという。

斉藤は入道だ。入道は、体格だけではなく、すべてのスケールが大きい。

教師がなだれこんでくるのと共に、床にあふれていた死骸は消え失せた。

気絶していた生徒も目を覚まし、三日は胸をなでおろした。


耳を覆うほどの大声で怒鳴りつけられた九十九は、笑ってその場をあとにした。

「結局何がしたかったのです」

怪訝な面持ちの十夜に、九十九は満ち足りた笑顔を向けた。

「いや、まいりました。有意義で実に楽しかった。やぶをつついたら蛇が出たんですよ」

京堂は大きなため息をついて列に戻り、秋は十夜に何事かを耳打ちした。


九十九が立ち去ると、ざわめく体育館のステージに、体操部主将の五島があがった。

「歌を歌おう! 聴いてくれるか」

目覚めたばかりで混乱している生徒たちが、あっけにとられてステージに目を向ける。

涼一と一緒に千佳に寄り添った三日は、以前の京堂の言葉を思い起こしていた。


(そういえば、風の妖精は歌が上手いのだっけ)

「南風の妖精の歌声には、浄化作用があるんだよ」

涼一が告げた。

五島が大きく息を吸い込む。

「……うわあ」

三日も千佳も、それから見渡すかぎりのどの顔にも、驚きと喜びの表情が浮かんでいた。


身体のどこを響かせればこんな声が出せるのだろう。

五島の歌声は、空気を澄み渡らせ、人の身体ばかりか心の澱を溶かしてふるわせる、吹き渡る風そのものであった。

身体の中に風を感じる。山奥でしか感じることのできない、晴れた日の春の風だ。

人の手の入らない、大地と空の間を行く風だった。


「すごい」

我知らず、感嘆の声がもれる。

生まれ変わるようだった。

洗い流されるようだった。

(上手いなんてものじゃない)

歌に、三日は感謝した。


拍手と歓声に包まれ、終業式は終了した。

どの顔も落ち着きを取り戻し、晴れ晴れとしている。

有意義な夏休みが迎えられそうな、いい顔を誰もがしていた。






「で、これ。受け取ってもらえる?」

帰り道、秋に手渡されたのは、花びらの形のチケットだった。


「なんですか、これ」

「生徒会主催の花見があるんだ。三日ちゃんもおいでよ。あの金髪の男の子も連れてさ」

「夏にお花見ですか」

「打ち上げと言い換えてもいいかな。毎年やるんだ、慰労会のようなものだよ」


聞けば、このために春先から細々と準備を重ねていたのだという。

「大変だったんだよ、一人で準備しないといけないし。木を植えたり、キノコを集めて香を作ってもらったり、飲み物を熟成させたり、果物を実らせたりとか、さ」

「はあ」


「キノコを集めたのはオレだろ」

秋に腕を引かれていた奏が、顔をしかめて吐き捨てた。

「奏だっていい思いしたでしょう」

「いい思い! オレがいい思いだって?」

歯をむく奏を軽くいなし、秋が念をおした。


「今晩、眠りにおちると同時に、そのチケットが道をひらいてくれるから」

つまり、通常の花見とは異なるわけだ。

「わかりました」

「え、望月さん来るの?」

奏が若干意外そうな目を向ける。


「花見とは名ばかりで、実質はサバトなんだよ」

「そうなの? うん、でもせっかくだから」

「そうこなくちゃね」

秋が二人の背中をぱんとたたいた。

眼鏡を外して見る秋は、夜空の色の瞳をしていたけれど、それが不穏なことだとは三日はもう思わなかった。


「おじいちゃんも来るからね」

「え。ええと、はい」

当たりまえのように秋は口にするが、そこはまだ三日には受け止めきれずにいる。


「誰のこと?」

奏が不思議そうに訊ねる。

「誰だろうねえ。まあ、後で会えるさ、奏もね」

そう言うと、秋は奏の腕を引き、残りのチケットを渡す面子を指折り数えて去って行った。






「うっわ、桜だ!」

皐月が驚きの声をあげた。

その晩共に眠りについた、夢路の先でのことである。

秋が手をかけたという、そこはまさしく花見の会場そのものだった。


「きれいだね」

三日の顔も自然とほころぶ。

紫の宵の空に、薄紅色の桜が満開だった。

そよぐ風もどことなく甘い。

嗅ぎ慣れない香の匂いだ。


芝の生えた足元から上空まで、橙色の灯りをともした提灯が点在していて、夢の世界のようだ。

「これって夢なのかな。いや、身体ごと移動してきてるのかって意味でさ」

あたりをきょろきょろ見回して、皐月が首をひねる。

「どうなんだろうね。身体ごとだろうと魂だけだろうと、どっちも同じじゃない?」

「まあな」


人が集っているあたりには、食べ物や飲み物が並べられているらしい。

香ばしい匂いにつられて、二人は近づいた。

気ままにテーブルが配置され、スープの入った大鍋や、見たことのないフルーツが山となって並べられているのが目に入る。

見覚えのある同じ学園の生徒の他に、見知らぬ人も大勢いた。

各自、好きなものを手に取り楽しんでいるようだ。


「あ!」

皐月が声を上げて指さす先に、涼一の姿があった。

「しずくさんだ」

破顔して手を振ったのは、涼一ではなく、彼につきそう優美な女性に向けてのようだったが。

「皐月くん、こんばんは」

やわらかな長い髪が桜の木に溶けてしまいそうな、きれいな人だ。

「ここで会えるとは思わなかったな」

幾分締まりのない顔をして、皐月が駆け寄る。


あれが噂の年上美女かと、見送る三日の元に、互いにパートナーを奪われた涼一がゆったりとした足取りでやってきた。

「桜の精のような人だね」

「いや、彼女は海の者だよ。あぶくの妖精なんだ」

皐月の彼女と涼一がなぜ一緒にいるのかと不思議に思って問いかけると、彼は答えた。


「もうずいぶん昔の話だけれど、僕が海を去るときに、哀れんで一緒に来てくれたんだよね。海を感じるよすがになるようにって。それからずっと一緒にいる。世話焼きの姉のようだ」

「へええ」

やはり、海が恋しいのだろうか。

帰りたくないはずがない。後悔していないのかと、訊ねることはできなかった。

そのような不躾な質問はできないけれど、地上でもいいことがあればいいとは思う。

涼一は、少なくとも今は穏やかなほほえみを浮かべている。


「涼一さん」

「なんだい」

思えば、初対面のときから不思議と慕わしさを感じる人だった。

彼をとりまく空気が清廉なものだった理由も、今は彼の血によるものなのだとわかる。

浄化の力をもつ血のおかげで、彼の周囲にはキノコも繁殖しないし、人の心をたぶらかす香水だって効力を失うのだ。


「まだ、涼一さんがお祖父ちゃんだなんて思えないけど、……あのね、私、明日から実家に戻るの。夏休みは、家で過ごすの」

「うん。三日が八百坂神社にいると、僕も安心できるよ」

「よかったら、涼一さんも一緒に来ない? きっと、お母さんも喜ぶよ。涼一さんの描いた絵、見せてあげようよ」


涼一はふわりと相好を崩した。

「いいよ。三日が望むなら。久しぶりに、会いに行こうか」

「よかった」

きっとこの先も、なかなか祖父だとは認められないかもしれないが、少しずつ仲良くなっていけばいいのだと思う。


「不思議だね」

三日はつぶやいた。

「私、人魚と蛇神と、鬼と人の血が四分の一ずつ混じっているでしょう。ずっと中途半端で、どうやって人の世に馴染んでいけばいいのかわからなかったの」

涼一の視線が、やさしく揺れて続きをうながす。

「人間じゃないって意識が強くて、でもじゃあ何なんだと言われても答えられなくて、小さい頃はずっとイライラしてた。けどまあ、それも最近、なんとも思わなくなってきたんだよ。だってまわりに、おかしな人ばかりいるんだもの。誰が何者だろうと、けっこうどうでもいいものなんだね」


「そうだね。三日はちょっと不器用なだけの子だよ」

「要領が悪いって、皐月にもよく言われる」

「ああ、あの少年はいい子だね」

「うん。皐月は大事な家族だもの」


そして、涼一が自分に向ける眼差しも、孫を見守るあたたかなものなのだと、ようやく気づいた。

「お祖父ちゃん……なんだね」

「そうだよ。かわいいひとりきりの孫娘だ」

三日はふきだした。

「へんなの」

学校の外でこんなことを言っても、誰も信じてくれないだろう。


「そういえば、涼一さんは人魚なんだよね」

「もちろん。落ちこぼれだけれども」

「私のクラスの委員長が、人魚の涙を探していたの」

そう告げると、どうやら涼一は知っていたらしく、ああとうなずいた。

「三日のクラスの吸血鬼にまとわりつかれている子でしょう」


「人魚の涙があれば解放されるって本当?」

「だろうね。三日はたすけてあげたいの? 三日が望むならかまわないけど、……でもまだやめておいたほうがいいな」

「なぜ?」

「効き目が強すぎるんだ。成長途中の人の身には毒になる。たとえ涙であろうともね。成人してからのほうが無難だと思うよ」

「そうなんだ」


成人まで、まだあと五年もある。

けれど、救済の可能性があるだけでも当人は喜ぶだろうか。

三日は奏の姿をきょろきょろ探した。

しかし優等生じみたいつもの顔は見当たらず、代わりに秋と十夜が並んでこちらへやってきた。


「やあ、三日ちゃん。それにお祖父さんも」

「よく来たな。胡散臭いと思わなかったか」

十夜が、ドリンクをふたつ、三日と涼一に手渡した。

「ありがとうございます。何ですか?」

「さあ」

十夜はわずかに眉根をよせて首を振った。


「僕が丹精込めて育てたフルーツのミックスジュースだよ」

「おいしいよ」

物怖じしない涼一が、ごくりと飲んで三日にもすすめる。

「いただきます」

甘さの中に酸味が効いた、桃のような香りが鼻に抜ける。

「ほんと、おいしい」

「でしょう!」

秋が自慢げにテーブルの方を示した。


「好きに飲み食いしていってね。疲れたら個室もあるよ。そのへんの木の幹に手を触れたら、木の中が休憩室になってて休めるようになってるから」

「え、そうなんですか」

「そうなんだよ。内装もこだわってるから、ぜひ見ていって」

「はい」

「あと、もう少ししたら飲み比べとか食べ比べとか、脱ぎ出したり踊り出したり空を飛び出したり唐突に溶け出したりするヤツも出てくるからね。眺めるなり参加するなり、好きにするといいよ」


「……はい。ところであの、三鷹くんは?」

「ああ」

十夜は目をそらし、秋は意地が悪そうに唇をゆがめた。

「奏はね、席をはずしてる。さっきまでいたんだけど、ほら、彼女に絡まれちゃって」

指し示す先には、百々と歓談する茜の姿があった。


「ストレス発散しにいってる。そのうち戻るよ。そうしたら、僕の妹も紹介するね」

「一之瀬さんの妹さんですか」

「そう。三日ちゃんよりひとつ年下なんだ。そのうち奏を引きずって来ると思うから、待っててあげて」

「わかりました」


「今日は疲れたな」

しみじみと十夜が言った。

「三日ちゃんのお祖父さんがコレクターを追い払ってくれたんだよ」

「そうらしいな。二人ともありがとう。まったくあの人は、中でも特に手に負えないんだ」

「まあ、あっさり引き下がったほうだよね。帰り際も機嫌がよかったし、収穫もあったんだろうから、当分の間は大人しくしていてほしいかなあ」


「よくあることなんですか? 生徒会の皆さんはたいへんそうですね」

三日が問うと、十夜はため息まじりに述べた。

「何か行事のあるたびにこうだ。まだ先は長いぞ、覚悟しておいたほうがいい」


「十夜は真面目だからさ、余計にしょいこんじゃうんだよね。かわいそうだなと思ったら、三日ちゃんいつでも手伝ってあげてよ。歓迎するから」

「あ、はい」

「雑用も奏だけだとかわいそうだしね」

「必要以上にこき使ってるのはお前だろう」

「奏は少しくらい忙しくしていたほうがいいんだよ。あいつに余暇なんていらないのさ」


「生徒会、か」

つぶやいて、三日は決めた。

「私、やります。お手伝い」

「え、ほんと?」

「はい。できることは少ないかもしれないけど、学校のこととかもっとよく知りたいから」

「おやまあ。まさか自分から加わってくれるとはね。いい心がけだ。素直な子は大好きだよ」

勧誘する手間がはぶけたと喜ぶ秋と、握手を交わす。


「お祖父さんも入る?」

冗談めかして問いかける秋に、涼一は静かに首を振る。

「僕には美術部があるから」

「やっぱり?」

「まあ、本人がやりたいというならいいんじゃないかな。がんばって」

励ますように、三日の肩に手をおいた。

「ありがとう。がんばる」


「ではよろしく頼む。そうだな、今からだと始業式前の見回りからか。当分先だが、連絡先を交換しておこう」

十夜とも握手を交わし、何気なく左手に目を向けた。

シルバーのリングが光る手は、今日も変わらず血まみれだ。

三日の視線に気づいた十夜が苦笑をもらす。


「気になるか」

「いえ。ええと、少し。痛くはないんですよね?」

「ただの痕跡だからな。吸い込みそこねた恨みの結晶というだけで、本物の血液ではないんだ」

「そうなんですか。あの、実は以前から気になってはいたんですけど、……触ってみてもいいですか」

「これに? かまわないが、酔狂なことだな」


差し出された左手に、指先で触れてみた。

「あれ?」

ドライな手触りに驚いて、三日は幾度もなでさする。

「本当に濡れているわけじゃないんですね」

どうりでどこにも血痕が残らないわけだ。

「私、したたる血液がどこへ消えているのか、ずっと不思議に思っていたんです。でもこれって幻のようなものだったんですね、すっきりしました。もっと早くに触らせてもらえばよかった」


結局何でもやってみなければわからないものなのだと、目の覚めるような心地で十夜の手を握りしめた。

ふっと呼気のこぼれる音がして、見ると十夜が笑っていた。

「それはよかった」

間近で目にする笑顔はあたたかで、いつものしかめっ面が嘘のように軽やかだ。

なにやら得をした気分になって、三日もにこりと笑顔を返した。


明るい声のさざめく中で見上げる桜は染み入るほどに美しく、風は芳醇な香りを運ぶ。

「せっかくだから乾杯をしよう」

十夜も秋にグラスを渡されて、四人そろってグラスを重ねた。

「乾杯!」

そろって、とろみのある果汁を飲み干した。

きっとこれからも、いろんな発見があるんだろう。

入学して四ヶ月。ようやく、学校に馴染めた気がした。




END


完結しました。

最後までお付き合いありがとうございました!

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