第04話 旅の始まり
「う~~~……。」
遠くから聞こえてくる癇に障る喧騒に寝ぼけ眼を擦りながら上半身をベッドから起こす。
だが、首を左右に振り向けて、喧騒が聞こえる方向はどちらかと言ったら城下町側。そちらの窓は木が打ち付けられて開けられない以上、その理由は確かめられない。
山側の窓を閉めているカーテンの隙間から光は漏れていない。
時刻はまだ真夜中と判断して、再び寝ようとベッドに上半身を沈めるが、喧騒は絶え間ない。
せっかく爺のご機嫌を稼ぐ為、日頃より多めに注文した寝酒が上手く効いたのにと皺を眉間に刻み、掛け布団を頭まで被ろうとしたその時だった。
「お嬢様! アメリアお嬢様!」
「キャっ、キャっ、キャーーーっ!?」
ドアが乱暴に開け放たれて、ランプの明かりを左手に持つ爺が登場。
真夜中の突然の訪問もさることながら、暗闇の中で下から照らされたの爺の強面は恐怖以外の何物でもない。寝そべったままベッドの上を二度、三度と跳ねて、悲鳴をあげる。
「無礼は承知! 今すぐ、着替えて……。
いや、そのままで構いません! 儂に付いて来て下さい!」
「えっ!? で、でも……。」
「さあさあ、ぐずぐずしている暇は有りませんぞ!」
しかし、爺はお構いなし。
意味不明に起床を強い、それを私が戸惑う暇も無く歩み寄ると、掛け布団を引き剥がそうと右手を伸ばしてきた。
「ちょっ!? 何、何っ!? 何なのっ!? 待って、待ってっ!?」
「ええい! 時間が有りません! さあ、行きますよ!」
爺に限って夜這いの心配は要らないが、こんな非常識は女として受け入れられない。
目をギョギョッと見開き、慌てて掛け布団の肩口を両手で力強くギュッと掴んで抵抗する。
「キャっ!?」
だが、私は引き籠もりのニート。
朝晩に提供される食事は栄養バランスが考えられており、太らずにスタイルが保てているのをこれ幸いと運動らしい運動は行っておらず、六十代になっても軍人であり続けている爺の力に両手で抵抗したところで最初から勝てる筈もなかった。
******
「えっ!? こんなところに階段がっ!?」
「驚いている暇は有りません! 急ぎますぞ!」
ここでの暮らしが始まって、三年間。毎日、必ず一度は訪れているバスルーム。
一階と二階を繋ぐ階段の石壁に見知らぬ出入口が有り、足早に先行する爺に続くと、階段がランプの明かりが届かないほどに下へ伸びていた。
「ねえ、いい加減に教えてよ? 何が起こっているの?」
今まで一度も無かった爺の深夜の訪問。
目を醒ました時よりも確実に大きくなって近づいている尖塔外の喧騒。
寝間着のままに急かされて、バスルームまで下りてくれば、地下へと伸びる秘密の階段。
条件がここまで揃えば、私でも解る。
今正に緊急事態が迫っており、それから私を逃そうと爺が切羽詰まっているのを。
不安に苛まれて問いかけると、爺が部屋を出て以来、初めて立ち止まり、こちらへ振り向いた。
「王が乱心なされました」
「えっ!? 王って……。まさか、ルパート様が?」
そして、明かされる衝撃の事実。
思わず立ち止まって、再確認を訪ねると、爺は頷いて再び階段を足早に下り始める。
アメリアの元婚約者、ルパート・テ・アトキン・ミットフィート・ラバマ。
前王は八年前に病没しており、王太子だった彼は乙女ゲームの舞台になった学園を卒業すると共にヒロインとめでたく結婚。王位に就いている。
但し、これは乙女ゲームのエンディングで語られていた情報。
爺は私を気遣い、彼に関する話題を出したのはこれが初めて。正直なところ、信じられなかった。
乙女ゲーム内で描かれていた彼の姿は正に理想の王子様。
物腰が柔らかで公明正大。平民のヒロインを正妃に選ぶ度量を持つので解る通り、身分に分け隔てを持たず、誰もから慕われていた。
ちなみに、私は彼に対する未練はおろか、特別な感情すら持っていない。
頬を打たれたのが初対面で以後は会っていないのだから持ちようがない。強いて言うなら、芸能人を間近で見たような思い出を持っているだけ。
「王となって以来、その兆候は度々有りましたが……。
ここ、一年は酷く。王都では粛清が相次ぎ、パトリック様も二週間前に……。」
「お父様がっ!?」
間一髪を入れず、爺が衝撃の事実を追加。
爺の後を追おうとしていた足が再び止まる。
今生の父とは思い出は婚約破棄から王都を発つまでの五日間しかない。
だが、今生の父に関しても乙女ゲームの知識でどんな人物かは知っている。
侯爵位と広大な領地を持ち、前国王の親友でアメリアの元婚約者の後見人。
アメリアの婚約が破棄されるまで臣としての最高位『宰相』を務めていた国家の重鎮中の重鎮。
宰相の地位から退いたとはいえ、大きな影響力を持つ今生の父を粛清したら国が乱れるのは必然なのは政治に疎い私ですら解る。
本当にアメリアの元婚約者は乱心してしまったのか。
たった五日間の思い出と言えども、アメリアを決して責めず、仕事の忙しさで異変に気付けなかった自身を責めて詫び、ここでの暮らしを用意してくれて、季節の変わり目に手紙を必ず送ってきた今生の父に私は好印象を持っていただけにショックが大きい。
しかし、立ち止まって呆けている暇は無かった。
爺が持つランプの明かりが私まで届かなくなり、慌てて我に帰って追いかける。
「そして、お嬢様がここに居るのが明るみとなりました。
それで慌てて帰ってきたのですが……。
よもやよもや、こうも早く兵を挙げて、詰問も無しに攻めてくるとは……。」
「じゃあ……。やっぱり、外の騒ぎは?」
「今、息子が戦っています。
しかし、斥候の報告によれば、兵力差はこちらの三倍強。
既に街を守る城門は破られてしまい、この城へ押し寄せてくるのも時間の問題です」
最早、絶句するしか無かった。
階段を三階分くらい下りただろうか。いつしか、喧騒は聞こえなくなり、その代わりに水流の音が聞こえ、永い時が造り出したと思われる天井の低い小さな洞窟へと出た。
「さあ、着きました。その船に乗って下さい」
「うん、解った」
ここまで至り、躊躇いは無かった。
言われるがままに小川に縄で係留されている小舟へおっかなびっくりに跳び乗る。
「キャっ!?」
その勢いに小舟が揺れる。
すぐさまバランスを懸命に取るが、爺がバスルームで片肩に背負った大袋を投下。
小舟はより大きく揺れて、たまらず身を伏せるように屈めて、広げた両手で小舟の縁を掴む。
「その背負い袋には金と食料が入っています。
まあ、急ぎだった為、多くを用意する事は出来ませんでしたが……。
ただ、この明かりは渡せません。我慢して下さい。
この水路は城の西に広がる森の川に繋がっていて、昼間なら見つかる事はまず有りませんが、今は夜で目立ちますからな」
「ま、待ってっ!? じ、爺はっ!? じ、爺も一緒に行くんだよねっ!?」
その直後、爺の言葉に嫌な予感を覚える。
慌てて顔だけを上げて振り向くと、爺が小舟を係留する縄を外すのが見えた。
「申し訳御座いません。
儂は残り、この脱出路を隠す大事な役目が有ります。お供は出来ません」
水流に乗って走り出す小舟。
薄暗闇で気付けなかったが、その流れは早い。
ランプの明かりはあっという間に小さくなって消え、暗闇が私を包む。
「や、ヤダ、ヤダ、ヤダぁぁぁぁぁーーーーーーっ!?」
「大丈夫! お嬢様なら大丈夫です!
そして、幸せにおなりなさい!
いつの日か、いつの日か! お嬢様が子を連れて、墓参りに来てくれたら儂は満足です!」
木霊して聞こえてきた爺の叫びに堪えきれない涙が溢れてくる。
だが、この水路がいつ外へ出るかが解らず、泣き喚いていたら私を追う者達に自分がここに居ると教えているようなもの。爺の好意を無駄に出来ず、嗚咽を必死に噛み殺した。
――第一部、完。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




