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「人生、やり直しできます。ただし“選択のログ”は消えません」  作者: kaiくん
第1部 やり直しの快感編

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第7話 正解を知る男

正解を知っている。


 その感覚は、思っていたよりも甘かった。


 翌日の朝、会社へ向かう電車の中で、俺はそのことをずっと考えていた。


 窓に映る自分の顔は、昨日までよりも少しだけ引き締まって見える。

 もちろん、本当に何かが変わったわけじゃない。

 スーツも同じ。鞄も同じ。周囲の通勤客たちも、何一つ変わらない。


 変わったのは、自分の内側だけだ。


 前回の人生で見た失敗。

 飲み込んだ言葉。

 逃げた仕事。

 その結果を、俺は知っている。


 だから今なら避けられる。

 今なら選び直せる。


 それは、想像していた以上に強い力だった。


 会社へ着くとすぐに、課長から共有された提案同行の資料を開く。


 新規クライアント向けのプレゼン資料。

 競合比較、市場分析、初回提案の導線。

 前の人生では、自分はこの場にいなかったから細部までは知らない。

 けれど、似た案件でどこが詰まりやすいか、どんな質問が飛んできやすいかは、仕事の記憶として残っている。


 ページをめくるたびに、自然と目が止まる箇所があった。


「……ここだな」


 競合の価格比較が、少し曖昧だ。

 表としては整っているが、見る側からすれば「で、うちの優位は何か」が一目でわかりにくい。


 さらに次のページ。

 導入後の運用イメージが抽象的すぎる。

 このままでは、先方に「結局、導入すると何が変わるのか」が伝わらない。


 前の人生で何度も見た失敗だ。

 情報を並べただけで、相手の判断材料になっていない資料。


 視界の端で、ログが淡く光る。


【参照補正】

対象:提案資料

リスク箇所:2

改善推奨:あり


「参照補正って……」


 小さく呟く。


 もはやログは、記録だけじゃない。

 過去の経験と結びついて、今の判断を補強してくる。


 便利だ。

 間違いなく。


 そして、便利すぎる。


「村上さん、朝からすごい顔してますね」


 横から声がして、顔を上げる。

 高橋がコーヒー片手にこちらを見ていた。


「どんな顔だよ」


「正解見ながら問題解いてる人の顔です」


 一瞬、心臓が跳ねた。


「……そんなふうに見えるか?」


「見えますよ。迷いがないというか」


 高橋は画面をちらりと見て、首を傾げた。


「提案同行の件ですか?」


「もう広まってるのか」


「課長と話してたの、近くで見えてましたし」


 まあそうか、と内心で息をつく。


「不安じゃないですか?」


 高橋が、今度は少し真面目な声で聞いてくる。


「不安だよ」


 それは本音だった。


 前より一歩踏み出せているからといって、怖くなくなったわけじゃない。


「でも、前よりは何を怖がるべきかがわかる」


「何を怖がるべきか?」


「漠然と失敗が怖いんじゃなくて、どこで詰まるかが見える感じだな」


 言いながら、自分でも少し驚く。


 今の言葉は、かなり本質に近かった。


 前の俺は“失敗そのもの”を恐れていた。

 だから輪郭のない不安に飲まれて、何も選べなかった。


 でも今は違う。

 少なくとも、自分がどんなところでつまずきやすいかを知っている。


 それだけで、怖さの質が変わる。


「なるほど……それ、強いですね」


 高橋は感心したように言ってから、自分の席へ戻っていった。


 強い。


 そうなのかもしれない。


 過去を知っているというのは、未来を完全に知ることじゃない。

 でも、自分の失敗パターンを知っているだけでも、十分武器になる。


 午前中のうちに、俺は提案資料の修正案をメモにまとめた。

 自分の担当部分じゃなくても、気づいたことをそのままにしておく気にはなれなかった。


 しばらくして、野上主任がフロアへやって来る。


「村上、昨日の件、少し話せるか」


「はい」


 小さな打ち合わせスペースに移動すると、野上主任は手元の資料を机に置いた。


「正式にはまだだが、例の案件、たぶん動く。で、その前に一つ確認したい」


「はい」


「お前、昨日から妙に先回りが利くな」


 その言葉に、喉がわずかに詰まる。


「資料の直し方もそうだし、今朝の修正メモも見た。悪くない」


 もう課長経由で見られていたらしい。


「……ありがとうございます」


「褒めてる半分、気になってる半分だ」


 野上主任はまっすぐこちらを見る。


「何か掴んだのか? それとも、単に今まで出してなかっただけか?」


 痛いところを突かれた気がした。


 掴んだ、という表現は正しい。

 ただしそれは、三年分の後悔と失敗の記憶だ。


「前より、少し考えるようにはなりました」


 嘘ではない言い方を選ぶ。


 野上主任は数秒黙ってから、小さく息を吐いた。


「まあいい。結果が出るなら理由は後でいい」


 そう言って資料の一枚をこちらへ滑らせる。


「なら、これも見てみろ」


 営業案件の初期設計メモだった。

 昨日受けた打診の続きらしい。


 ページに目を落とした瞬間、俺はまた妙な感覚を覚える。

 前の人生で、似た流れをどこかで見たことがある。


 すぐに思い出した。

 このタイプの案件は、導入フローの説明が甘いと途中で止まる。


 先方は最初こそ興味を示すが、実務の負担感が見えた瞬間に腰が引けるのだ。


「……運用の入り口、もう少し具体化したほうがいいかもしれません」


 気づけば、口にしていた。


「ほう」


「導入後の初週だけでも、相手側の動きを見せたほうが不安を減らせると思います。たぶん、費用より先に運用負荷を気にするので」


 言ってから、自分で驚く。


 こんなに自然に出るとは思っていなかった。


 野上主任はしばらく黙って資料を見て、それから頷いた。


「……いいな」


 短い言葉だったが、重みがあった。


「そこ、俺も少し引っかかってた。言語化が早い」


 胸の奥に、じわりと熱が広がる。


 これは偶然じゃない。

 ちゃんと過去の経験が今に繋がっている。


 ただ受け身でやり直しているんじゃない。

 自分の選択が、今ここで価値になっている。


 視界の端で、ログが更新される。


【選択ログ更新】

対象:営業案件初期設計

結果:有効示唆

周囲評価:上昇


 周囲評価、上昇。


 その表示を見て、少しだけ笑いそうになる。


 数字で出されるのは相変わらず気味が悪い。

 それでも、これまで自分の中で曖昧だった変化が、形になって返ってくるのは大きかった。


「村上」


 野上主任が資料を閉じながら言う。


「お前、今のうちに覚えとけ」


「何をですか」


「先回りできるやつは強い。だが、それを“正解を知ってる顔”でやると嫌われる」


 その言葉に、はっとする。


「……正解を知ってる顔」


「自分だけ見えてるつもりのものがあると、人は態度に出る。相手より一段高い場所に立った気になるんだよ」


 鋭い言い方だった。

 だが、思い当たる節がないわけじゃない。


 今朝、高橋にも言われた。

 迷いがない、と。


 それは良いことばかりじゃないのかもしれない。

 自信と傲慢さは、案外近い。


「気をつけます」


「気をつけろ。営業も企画も、一人で正解出して終わる仕事じゃない」


 野上主任はそう言って立ち上がった。


「でも、今の意見は悪くなかった。そこは自信持て」


 残されたその一言が、妙に胸に残る。


 自信を持て。

 でも、正解を知ってる顔はするな。


 矛盾しているようで、たぶん仕事では一番難しい線引きだ。


 午後、自席に戻ってからも、その言葉が頭から離れなかった。


 正解を知っている気になるな。

 それは、ログにも通じる気がした。


 たしかに俺は、前より多くを知っている。

 失敗も、後悔も、いくつかの未来も。


 でも、全部を知っているわけじゃない。

 むしろ未来はもう、少しずつズレ始めている。


 知っているのは“前回の答え”であって、“今回の正解”じゃない。


 そこを履き違えたら、たぶん痛い目を見る。


 その日の夕方、課長に呼ばれて提案同行の事前打ち合わせがあった。


「先方、質問が細かいらしい。特に導入後の運用面は突かれると思ってくれ」


 その言葉に、背筋が少しだけ粟立つ。


 野上主任に言ったことと、ほとんど同じだ。


 自分の読みが当たっていた。

 その事実は、やっぱり少し気持ちいい。


 だが同時に、だからこそ怖かった。


 本当に当たるなら、外したときの反動も大きい。


 打ち合わせを終えて席へ戻ると、ログがまた淡く光った。


【短期予測一致】

対象:提案同行事前想定

一致率:高

注意:過信は分岐誤差を増加させます


「過信は分岐誤差を増加……」


 思わず読み上げてしまう。


 ログにまで釘を刺された気分だった。


 便利なだけじゃない。

 この力は、明らかにこちらの姿勢まで見ている。


 いや、見ているように感じるだけかもしれない。

 それでも、不思議と否定しきれなかった。


 夜、帰り道の途中でスマホが震えた。


 見慣れない番号からの着信。

 一瞬ためらってから出る。


「……はい」


『あ、突然すみません』


 その声を聞いた瞬間、足が止まった。


 朝の電車で聞いた声だ。


 柔らかくて、少しだけ慎重な話し方。

 間違えるはずがない。


『昨日、電車で助けていただいた……覚えてますか?』


 胸の奥で、何かが強く鳴った。


 接点の再来。


 ログの予告が、現実になったのだと理解するのに数秒かかった。


「……覚えてます」


 喉が少し乾く。


「どうして、この番号を?」


『昨日、降りるときに名刺落とされてて……会社の番号が載ってたので。迷ったんですけど、ちゃんとお礼を言いたくて』


 言葉を失う。


 そんなこと、前の人生にはなかった。

 そもそも話しかけていないのだから、起こりようがない。


 完全に、新しい未来だ。


『ご迷惑でしたか?』


「いえ、そんなことは」


 慌てて答える。


 歩道の真ん中で立ち止まったまま、俺はただその声に耳を澄ませていた。


 たった一言、声をかけた。

 たった一つ、選んだ。


 それだけで、世界はここまで変わるのか。


 視界の端で、ログが静かに更新される。


【選択ログ更新】

対象人物:再接続

結果:継続分岐発生

未来変動率:上昇


 正解を知っている。


 そう思っていた。


 でも違う。


 俺が知っているのは、前に進まなかったときの未来だけだ。

 選んだ先に何があるのかは、まだ何一つ知らない。


 そしてたぶん――

 それを知りたいと思い始めている自分が、もういる。

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