「叫び」
投稿主:綾
そこには、ブラウザのスクロールバーが砂粒のように小さくなるほどの、圧倒的な熱量を帯びた叫びが、何ページにもわたって分割投稿されていた。
「ねえ、流川」
それは、サクラとしての俺が手に入れた「最高の戦果」であり、一人の人間としての俺が犯した、生涯拭えない「最悪の罪」の始まりだった。
『ねえ、流川。
この二日間、私、暗い部屋でずっと流川のことだけを考えてた。
流川が書いてくれた過去のこと、何度も何度も読み返して、そのたびに胸が引きちぎられそうで、気づいたら朝になってた。
「目の前で彼女が死んだ」……。その一行を読んだとき、私、本当に心臓が止まるかと思った。指先が氷みたいに冷たくなって、しばらくキーボードも叩けなかったんだよ。
自分を責めてるんだよね。自分の夢ばっかり追いかけて、彼女の沈黙に気づけなかったって。
でもさ、流川、ちょっとだけ私の話を聞いて。
もし、私がその彼女だったなら。もし、私が流川の隣にいたその人だったとしたら。
私はきっと、流川の夢を一番近くで応援したかった。流川が何かに夢中になってる横顔を見てるだけで、それだけで「ああ、私、生きてるんだな」って思えたはずなんだよ。
彼女が残した沈黙は、流川への呪いなんかじゃないと思う。それは、言葉にできないくらい切なくて、深すぎて、出口が分からなくなっちゃった、ただの「SOS」だったんじゃないかな。
前に流川は「自分には罰が必要だ」って言ったよね。
でも、誰がそんなこと決めるの? この世界の誰に、流川を裁く権利があるっていうの?
もし神様がいて、流川の過去を許さないって言うなら、私はその神様に喧嘩を売ってでも、流川を許したい。
流川の手が汚れてるっていうなら、私はその手を、私の両手で包んで、何度でも何度でも温めてあげる。
本当のことを言うね。
私、流川が思ってるような、太陽の下を走り回る明るい女の子なんかじゃないの。
本当の私は、暗い部屋の底で、たった一人で震えてる、弱くて、醜くて、卑怯な生き物なんだよ。
掲示板でみんなに振りまいてた笑顔だって、私がどうしても手に入れたかった「偽物の光」に過ぎない。
本当の私は、誰にも言えない孤独を抱えて、毎晩、明日が来るのが怖くて震えてるだけの、ちっぽけな人間なんだ。
そんな私が、流川の孤独を救いたいなんて、笑っちゃうよね。傲慢だよね。
でも、流川。流川が「誰かに優しくされるたびに逃げ出したくなる」なら、私は、流川がどこまで逃げても、ずっとそこにある「景色」になりたい。
流川が眠れない夜、暗闇が怖くてたまらないとき、私のこのヘタクソな文字が、流川の枕元を照らす小さな、消えない明かりになればいいって、本気で思ってる。
今、私の魂の全部をこのキーボードに乗せて、流川に届けるね。
流川は「罰だ」って言ったけど、私にとっては、流川と出会えたことこそが、この空っぽで、何の意味もなかった人生で神様がくれた、最初で最後の、本物の「ご褒美」だったんだよ。
流川が今、世界のどこかで生きてる。文字を打ってる。
それだけで、もういいんだ。
流川、お願い。自分を許さないままでもいいから、どうか、消えないで。
流川が今、世界のどこかで生きてる。文字を打ってる。
ただそれだけで、私は今、この世界で、やっと呼吸ができてるんだ。
彼女の代わりに、私が流川の罪を全部背負ってあげる。
地獄に行くなら、一緒に行こう。
暗闇を歩くなら、私のこの手を、絶対に離さないで。
お願いだから、もう自分を傷つけないで。
私、流川の本当の名前も知らないし、顔も見たことないし、声だって聞いたことない。
でも、今、この世界の片隅で、流川の幸せだけを祈って、命を削って文字を打ってる私がここにいることだけは、絶対に、絶対に忘れないで。
私は、流川の書く文字の全部を信じてる。
たとえ流川がいつか私の前からいなくなっても、私はこの掲示板に、流川がここにいた証を残し続けるから。
流川の孤独も、後悔も、全部私にとっては真実なの。
だから、お願い、顔を上げて。
私は、ここにいるよ。流川のすぐ隣に、文字になって、私は生きてるから。』
「……ああ」
読み終えた瞬間、僕はモニタの前で崩れ落ちた。
僕が報酬のために捏造した、安っぽい「嘘の死」。
彼女はそれを、彼女自身の本物の「命の欠片」で、一文字ずつ埋め合わせようとしていた。
騙しているのは僕だった。
笑っているのは僕のはずだった。
それなのに、救われてしまったのも、完膚なきまでに打ちのめされてしまったのも、僕の方だった。
二日間の沈黙の果てに投下された綾の「魂の叫び」は、俺が金のために築き上げた「流川」という虚像を木端微塵に砕いた。
モニターの光を浴びながら、僕は運営から送られてきた「愛を乞え」という指示を無視した。指示された言葉ではなく、指先の震えがそのまま伝わるような、不器用な言葉をキーボードで紡ぎ出す。
「……流川としてではなく、今、この場所にいる僕として伝えたい。これが恋なのか、それとも救いなのか、僕にはまだわからない。でも、流川の隣にいてくれると言った綾と言葉を重ねるたび、僕は初めて自分が生きていていいのだと思えた。綾のことをもっと知りたい。本当の、文字の向こう側にいる綾を。……僕の隣に、いてくれないか」
エンターキーを押した瞬間、掲示板は爆発した。
「全米が泣いた」「伝説のカップル誕生!」「おめでとう、二人とも!」
野次馬たちの祝福のレスが滝のように流れ、画面は狂乱の渦に包まれた。
数分の沈黙の後、綾から一言、震えるような返信があった。
「……うん。私も、流川と一緒にいたい。この場所がなくなっても、ずっと」
運営からのメールには狂喜乱舞するメッセージが並んだ。
『最高だ!流川! 次はこの熱量をどう維持するか会議しよう』
だが僕はその画面を冷ややかに見つめ、静かに辞職の意を打ち込んだ。
「サクラはもう辞めます。これ以上、彼女に嘘を重ねることはできない。契約は今日で終了させてください」
僕は報酬の振込先さえ告げず、運営との回線を断ち切った。
掲示板に溢れる熱狂的な祝福を背に、僕は最後にもう一度だけ、綾への返信を打ち込んだ。
「ありがとう。もう僕たちはこの場所から卒業だね。これからは本当の僕と君として、もっと静かな場所で話をしよう。待っているよ」
その書き込みを最後に、無数のレスが飛び交う狂乱の海から、僕たちは静かにログアウトした。




