落穂拾いの良さを語れたらガチ勢っぽい
モナリザでさ、終わろうかと思ったんよこの絵画シリーズ。結構大変やし。
でもこれ楽しいんよね。中途半端で終わるのも気持ち悪いし。
ていうかこれめちゃくちゃ勉強なるし。
でももう眠いからちょっとやりたくないの気持ちも強くなってきてんの。
ただ、俺にはどうしても理解したい絵が一つあんのよ。
それが、まあもう言っちゃうとタイトルにしてる『落穂拾い』なんだけどさ。
あれ意味わかんなくない?なにがいいん?なんかしょっちゅう日本にきてるけどさ。
やたら暗いし、およそ華々しさの欠片もない。タダでも部屋に飾りたくないよあんなんわざわざ。
でも、そんな絵でもやっぱり、もしかしたら知れば好きになれるかもしんないじゃん。
ということでもうちょっと続けるよ。いけるとこまで。眠いけど。
モナリザの続きからね。
【マンネリのマニエリズム】
モナリザさんが生まれたルネサンス期にはさ、ミケランジェロ、ダヴィンチ、ラファエロという最強トリオがおったんやけど、問題はこいつらがあまりにも黄金世代過ぎたことだったんよ。
甲子園とかでさ、最強世代と言われて1チームから三人もプロ入りとかするとさ、次の年微妙だったりするじゃん。三年生凄いと二年生微妙で一年生また凄いじゃん。
この黄金世代の次の二年生、谷間の世代がマニエリズム。
ルネサンス先輩達の偉大さを引き継がないといけないというプレッシャーの中で彼らが考えたのが「ウケた先輩たちの真似をすればええんや!」だった。ほらもう駄目そう。
奴らは先輩が偉大過ぎたためルネサンス技法=絵画の正解と考えてしまってひたすらそれを追求した。つまり自分たちで新たな道を切り開こうとしなかった。しかもその技法に囚われて突き詰め過ぎてどんどん絵が歪んでいった。
「なあ、最近の俺らの絵、なんか技術前に出し過ぎて変になってない?あと、そろそろなんか違うことやった方がよくない?」
「なんだ貴様!偉大な先輩方を否定するのか!」
「いや、そういうことじゃなくて……まあでもこれいいのか、ルネサンスが正解なんやし……」
みたいな感じで多分本人達も薄々おかしいとは思いながらも、無理矢理進んでいった。
その結果大衆から「なんかこいつらずっと同じような絵ばっかで飽きたな」
って思われた。そんな時代だった。だから地味すぎて俺らみたいな一般人は見たことも聞いたことのない時代がこのマニエリスム。
と、思いきや実は俺達はマニエリスムから生まれた言葉を知ってんのよ。
それがマンネリ。そう。あの怖い怖いマンネリ。
「最近こいつのエッセイ、マンネリ気味だよね。もうブクマはずそ」
「コントの異世界設定が毎回同じでマンネリだわ。ブクマはずそ」
「ブクマはずそ」
のマンネリだ。死にたくなるね。
同じことばかりを繰り返して独創性や新鮮味が薄れた状態。マンネリスム。通称マンネリ。これの語源になってしまうというあまりにもクリエイターとして不名誉な時代、それがマニエリスムだった。
怖いね。死にたくなるね。異世界コント読んでね。
【マンネリ打破したやべー奴】
しかし、そんな俺みたいな時代にもやがて終わりがくる。
マンネリを打ち破るとんでもないバケモノが現れた。
それがカラバッジョという人殺しだ。
そう、こいつ人殺しなの。殺してんの。人。やべーって。怖すぎやって。どしたん急に。物騒すぎるて。話聞こか。
このカラバッジョこと人殺し、じゃなくて、人殺しことカラバッジョはルネサンスの模倣を繰り返してマンネリマンネリしてた絵画に生々しさを持ち込んだ。
あ、でも彼の名誉の為に言うと人殺したのは晩年でこの頃はまだ殺してないからね。良かったね。コンプラあんしん。
ルネサンスってね、やっぱり宗教画の頃の匂いが残ってたんよ。女神だの天使だの描いてた頃のノリで人を描いてた。だからめちゃめちゃ美しかった。リアルさより美しさが重視されていたの。モナリザだって美しいもんね。ちょい不気味だけどさ。
でもそこに「人ってもっと汚ねーだろ。皺も傷もあるし服だって汚れてるし。そこリアルに描こうぜ」って言いだしたのがカラバッジョ。流石人殺し。説得力が違うね。その傷お前が付けたんちゃうんか。
更にカラバッジョは「なんか今の絵キモくね?もっと、こう、なんか存在を描く感じじゃなくて場面を切り取る感じにしたほうがおもろいやん!」って言いだした。
これがマジ革命でさ。これで一気に絵変わってるからマニエリスムとバロック期の絵見比べてほしい。すごいからこれ。
この革命によってそれまで「これは神です」「これは人です」みたいな絵から「これは人が首切って死ぬ瞬間です」みたいになってる。凄いリアルで生々しい。人でも殺したことあんのかな?
これによりモナリザ以降100年弱続いたマンネリ期はこの破天荒男によって打破されることとなったわけだ。この時代をバロック期と言います。テストには多分出ません。
なんかさ、いつだって時代を変えるような斬新なアイデアを打ち出す奴って結局破天荒な奴なんだね。俺達みたいな模倣することしかできないマジメくんは一生マンネリスムに飲み込まれたまま抜け出せない。死にたくなるね。俺ももっと人とか殺した方がいいんかな。いややっぱやめとこう。怖いし。コンプラ不安。
【栄華と凋落のロココ】
俺さ、ベルばら好きなんよ。ベルサイユのばら。大好きなんよ。ピアノ好きだしさ。こういう時代大好きなんよ。だからいずれベルばらについても書きたいと思ってんだけどさ、ここからはそのベルばらの時代。華やかなりし中世ヨーロッパ。贅を尽くした貴族の光とパンも食べられない庶民の影の時代。いいね。やっぱいつか書きたいね。
でも今回は絵の話なので絵を主題に置いてこの時代を駆けるよ。
この時代の文化のことをロココっていうやたら可愛い名前で呼ぶんだけど、とにかく優雅で派手。まさにベルサイユ宮殿みたいな世界。ディズニーの美女と野獣でもさ、ベルに城を案内するコグスワーツが「ロココ調の様式が~」っみたいな説明してたでしょ。あの世界観よロココ。
絵も例外ではなくてさ、バロック期に発展した技術をふんだんに使いつつも反動で「バロックの生々しさとかそういう貧乏くさいのやめて優雅にド派手にいこうぜ!」ってなったのがこの時代。
調べてもらえばわかるけどロココ美術って俺らがイメージする中世ヨーロッパの絵そのものって感じよ。すっごく煌びやかで華やか。美しいよ。
ただ悲しいかな、時は18世紀の終わり。フランス革命の時代。
もうね、みんな死にました。
ルイ16世、マリーアントワネットをはじめとして王族に貴族、つまりこのロココ美術のパトロン、クライアントたちがみんな。死にました。ギロチンです。ギロチン大活躍です。ロココはもう駄目です。それで終わりです。突然こんなこと言ってごめんね。
【人間は愚か新古典主義とロマン主義】
で、今までの流れからもうわかると思うんだけど、煌びやかなロココが革命により終わったということは次に来るのはまた「派手なのやめてリアルに描こうぜ」の流れなのよ。
もうええて。なんべんやんのそれ。
人間ってホント愚か。ヤジロベーなのよ。右に寄った分だけ反動で左にいくの。んでまた右に揺れるの。政治も文化もずっとそれの繰り返し。でもまあ、右足だして左足だして前に進むからね人間ってのは。これが正しいんだろうね。
とはいえ飽きるもんは飽きるからさ、読んでても飽きると思うからここはダイジェストでいくよ。
ロココの栄華さへのカウンターとして「質素で理性的な絵」の時代が新古典主義。新古典ってなんやそれ新しいんか古いんかどっちやねんって話だけど要はリバイバルよリバイバル。10年に一回くらい「僕たち10代なのにビートルズをリスペクトしちゃってます」みたいな若手のバンド出てくるでしょ。あれよ。
今の技術を使って昔の絵(ギリシャ・ローマ時代)のタッチに回帰しようみたいな話。
見てもらったらわかるけどカチッとしてる。全然近代的で綺麗になってるけど古代エジプトのあのギャグマンガみたいな絵をちょっと思い出す感じすらある。
で、結局そのリバイバルブームが去ってやってきたのがロマン主義。
まあもうわかる通り派手になるよ。ロマンたっぷりよ。玄米ばっか食わされてた子供がはじめてケンタッキーとマック食ってドーパミンドパドパでドハマりしてるみたいな絵よ。カチッと感が見事に消えてんの。
ロマン主義で有名なのはあの女の人がフランス国旗掲げてなんか革命っぽいことしてる絵だけど、個人的におすすめは「霧海の上の旅人」って絵。
これはマジですごい。一気にモチーフが近代的になってる。神でも偉人でもなければ歴史的場面の再現でもないし、モナリザみたいなポートレートでもないのよ。完全に一人の人間主役に置いたフィクションの切り取り。去年描いたって言われても信じるレベル。
なんか感動したのがさ、この絵を見た時に突き抜けたなあってのを感じられてちょっとグッときちゃったのよ。でも昨日までの俺ならこんな絵を見たところでそんなこと思わなかったはずなんよ。古代エジプトからずーーっと歴史を見てきたからこの「霧海の上の旅人」のモチーフに感動できたんよね。絵なんて1ミリもわかんなかったのに。それだけでもこの美術の歴史の旅はやってよかったなって思う。
もう終わりでええか。寝ていいか。おやすみ。
【落穂拾いへのこだわり】
というわけにもいかないので最後に落穂拾いまでいくよ。いったら寝るよ。
タイトルにもしてるんだけどさ、なんで俺がオチボオチボってサッカー部のごとく言ってるかっつーと、冒頭にも言ったけどさ、この落穂拾いこそ俺の中でのトップクラスの意味わからん絵なのよ。
モナリザはさ、わからんけどまあなんか迫力あるやん。美人さんやしね。
ゴッホのひまわりもさ、わからんけど花やん。花の絵やん。まあリビングに飾るにふさわしいよね。永遠に枯れない花だし。
ピカソもさ、意味わかんねえけどまあ芸術と言えばあれやん。わけわかんない系芸術の極みって感じやん。The芸術じゃん。
でもさ、落穂拾いだけはマジで擁護のしようがないのよ。
マジでどこにも褒めるとこがない。
なんか三人のおばさんがどんよりした荒廃した雰囲気のなかで落穂拾ってるだけ。雰囲気悪すぎ。めっちゃ近くにいるのに全然会話なさそう。絶対仲悪い。一人がいない時は残った二人でそいつの悪口言ってそう。腰にも悪そう。ちょっと心配。
タダどころか金貰っても部屋に飾りたくないわあれ。
でもさ、だからこそあれが理解出来たら俺の中ではとんでもないことなんよ。
人生の寄り道ルートが一気に増えるよ。
というわけで、さあいこうか落穂拾い。
【かっこいいのやめようぜ】
ロマン主義はカッコよかった。
さっき書いた霧の上の旅人も超カッコいいし、他の絵も全部カッコいい。
しかしいつの時代もいるのよ同じような輩が。それが
「これリアリティなさすぎ」勢だ。
さあ、こいつらがロマンに文句をつけ始めちゃったらめんどくさいぞ。
もうさ、ほんまどうかと思うよフィクションにリアリティを求めてイチャモンつけるの。こっちはリアルがつまんないから、リアルが残酷だから、リアルが小汚いからフィクションの中に理想郷を創ってんのにさ。
別にいいだろ。おおかみこどもの雪と雨の花ちゃんが全然老けなくたって。フィクションなんだから。観る分には可愛いほうがいいだろうが。狼男の話にリアルさ求めるなよ。
とはいえ、当時はまだまだしんどい中世から近代のヨーロッパ。
庶民たちが苦しい生活をしているのに絵の中はキラキラばっかなのもおかしいやん。って気持ちもわからんでもないかな。
凱旋門とエッフェル塔をシャンゼリゼ通りから一つ外れたうんこまみれの道が支えてこそのパリやもんな。
ってことでまあリアルを描け勢の皆様の運動のおかげで、ロマン主義から徐々にリアリズムへとまた振れていったわけだ。
そして、そんな時代の移り変わりの中で「そんなならもういっそのこと今までガン無視してたガチ田舎描こうぜ」みたいな集団が現れた。
バルビゾン派と言われるそいつらは「土の上にこそリアルってあるやん」の旗印の下、ガチ田舎のガチ農民を描き始めた。
そして、その田舎描き一派の中にいたのがそう、あの名高い落穂拾いを描いたミレーさんだ。
ロマン主義という夢想の中で霧の上にまで登った絵描きたちの目線は、そこからリアリズムの名の下に、地へと降りていき、ついには土の上に転がる稲穂にまでその視線を落とした。
その象徴が「落穂拾い」だった。
という解釈でええか?ええな?
上手くまとまったな?
ちょっと苦しいか?
【んで、結局なにがすごいの落穂ひろい】
まずね。ちょっとでけえんだよ。落穂拾い。そう、でけえのあれ。ちょっとね。
縦横1メートルずつくらいある。
宗教画とか偉い奴の肖像画とか描く時のサイズ感なのよあれ。
巨大壁画ってサイズではないけど、まあまあデカい。
で、なんとなくイメージできると思うんだけど、でけえ絵って格も高いんだよ。
絵の格っていうか被写体の格が高いの。
さっきも言った宗教画とか偉い奴ってのはつまり神とか王よ。神様王様サイズなんよ落穂拾い。
俺らは美術の教科書でしか絵画なんて見ないから、絵のサイズってあんま気にしたことないじゃん?
でも、絵って全然サイズ違うのよ。絵画ごとに。
あいついるじゃん、フェルメール。
「真珠の耳飾りの少女」とか「なんにでも牛乳を注ぐ女」とか描いた奴ね。なんにでもは違うか。
あいつの絵ってば、ちっせえのよ実は。ちっちぇー絵なのにめっちゃ有名なの。コスパいいよね。
他にもさ、前話したモナリザもそんな大きくないし、ムンクの叫びも叫んでる割には小さいのよあれ。ちっちぇーとこで叫んでんのムンク。もうこりごりだーみたいになってんの。
かと思えばナポレオンが馬に乗ってる超有名な絵とかクソでかい。縦横2メートルずつくらいある。やっぱナポレオン様の絵はでっけーのよ。
なんかさ、こういうサイズ感で被写体の格の違いを感じるって意味では美術館に行く意味があるのかなって気はするよね。グーグル検索じゃサイズ感わかんないからね。
さっき言ったナポレオンの絵をウィーンで観たことあるんだけどそういや馬鹿みたいにデカかったわあれ。迫力あったよ。まあこれただの自慢なんだけど。
で、落穂拾いの話に戻すとさ、あれさ、被写体は農民のおばちゃんなんよ。時代に逆行する言い方になるけど、まあ当時の価値観で言えば格としては最底辺よ悪いけど。
いや、俺はリスペクトしてますけどね!農民のおばちゃん!あくまで当時の話だからね!俺の意見じゃないから!
んで、そんな底辺おばちゃんを被写体にしながら神様レベルのサイズ感で描いた。これがすげえんよ。
まあロックなんよねつまり。ミレーはさ、精神がロッカーなんよ。いや、どっちかっていうとパンクかな?
神だの英雄だの空想だの偉人だの描いてきたデカ絵画界に、巨大おばちゃんで殴りこんだのよ。かっけーわミレー。
というのがまず表面的な凄さ。
で、内面的な凄さで言うと、さっき言ってたみたいに暗く淀んだ雰囲気の大地の上に立ってんのよおばちゃん達。
なんつうかさ、ここまでモナリザ以降のマンネリ→ロココ→ロマンと推移を追ってきた今改めて観るとさ、なんかすげえんだよねこれが。
力強いんだよ。このおばちゃん達、遠くの山も、どんよりした空も、大地も全部。とにかく妙な力強さを感じるんよ。
これはほんと、今俺自身びっくりしてるよ。
まさかあの落穂拾いに、意味わからんランキングぶっちぎり1位だった落穂拾いこんな感情を抱いちゃうなんて思わなかったよ。擁護のしようがないとか言ってたのに。
ロココやロマンの浮かれっぷり、ファンタジーっぷりを見てきたからさ、このデカおばちゃんの重量感がすごいのよ。
インスタキラキラ女子ばかり見た後に実家帰ってオカンのご飯食べたみたいなさ。
ああこれだな。ってなるのよ。俺にとって最も必要な栄養素はこれなんだなって。
いやこれガチなんよ。ほんとごめんね。なんかみんなを置いて行ってしまって。
凡人仲間だと思ってたのに、芸術の素養無し仲間だと思ってたのに、俺ひとりだけ『上』に行っちゃって。落穂拾いを『理解』っちゃって。グッドアートと『ダンス』っちまって。
まあさ、他にも当時の時代背景とか色々解説どころはあんだろうけどさ、これやっぱ芸術の話だからさ、なんか力強いって感じたというその事実だけで十分じゃねえかな。つーかそんな考察自体が野暮だから。何回も言うけど。
あの、絵全体から発せられている仄暗い力強さを。
ミレーの「お前ら浮かれてんなよ。地に足つけろよ。本当に強い人間ってこれだろうが」みたいなメッセージ性を。
直感で感じることが多分大切なんよ。たぶん。
【まとめ】
というわけでエジプトからモナリザ、落穂拾いまでずっと調べてまとめての一番の収穫は。
「わけわかんねえものでも齧ってみればちょっとだけ好きになったりする」
ということっすかね。
だって俺マジで絵画だけは一生わかんないと思ってたもん。絶対無理だと思ってた。なんならゴッホ展とか並んじゃってる人のこと冷笑してたもん。
お前ら本当は「美術館に行ってる自分」が好きなだけでしょ?って。
マカロンなんてガチで美味いと思ってないでしょ?って。
それがどうよ。今となっては落穂拾いのおばちゃん達とハードダンスよ。まさかだよ。もしかしたら、次日本に落穂拾い来たら観に行っちゃうかもだよ。いや、行かねえか。うん。流石に。そこまではないわ。ごめん。
でも、これってさ、人生の中の楽しみが一つ増えたということだからさ、すごくいいことだと思うんよね。
草や花を知れたらさ、道を歩くだけで楽しくなるでしょ。
星座を知れたらさ、夜空を見上げるだけで楽しくなるでしょ。
絵画を知れたから人生が少しだけこれから楽しくなるよ俺は。きっと。いいでしょ。
そんなわけで、今後もさ、マジで1ミリも興味のない分野を知って人生楽しくしていけたらいいなって思うよ。そのためにこのエッセイを利用するよ俺は。一石二鳥よ。
全く興味のない物か。なんだろね。プロレスとか?虫、は普通に調べるの嫌だな。あとは車とか銃みたいな男の子の好きそうなものは俺マジで興味ない人生だったからそういうのも好きになれたらいいね。あと写真とかも。アクアリウムとか。侍とか。それこそ花や草もね。
とはいえ、現時点ですでに大好きな物についても書いていきたいから、ピアノとかクラシックとかジャズとか小説とか映画とかスポーツとかディズニーとか世界史とか日本史とか未解決事件とかさ、あと、俺が唯一昔から好きだったオフィーリアっていう絵画とか。
それで誰かが興味持ってくれてその人の人生が華やいでくれたらこんなに嬉しいこたないしね。未解決事件で華やぐ人生。いいじゃないの。
うん。そういうのもこれからちょくちょく書いていこう。
あと旅行記とかも書きたいね。好きだし旅行。
ああこれもう無敵だわ。だって好きな物と興味ない物、極論この世の全てはそのどっちかに分類できるんだから。この世の全てがエッセイになるよ。
こらもう森羅万象エッセイになるわ。やったね。
というわけで今回はここまでです。
みんな気付いてると思うけど俺クッソ眠いの今。もう無理なの。深夜なのこれ書いてるの。そら森羅万象とか言い出すよ。これ以上続けるととち狂って変なダジャレとか言いはじめるよ。
だからそんな醜態を晒す前にもう寝る。
おやすミレー。
マカロンだいすき。
ごめんうそ。マカロンほんま食えない。




