ダックマン夫人のアトリエ
ダックマン・マーギュスト夫人はマーギュストの婚約者です。灰色のシャム猫のダックマン夫人は高貴なロングドレスを着飾りその風貌は上品な貴族そのものです。ダックマンはジェロームとロレーナに会釈をします。夫人は上品な口調で話し始めます。
「初めまして、私はマーギュストの妻で画家をしておりますダックマンと申します。お2人は芸術関係のお仕事をされているお方ですか?」
「私はジェロームです。主に印象派の絵画を描いております。画家です。」
「私は、ロレーナです。ジェロームさんの友人でありまして画家でありモデル業をしているロレーナと申します。マーギュストさんが私達を彫ってくださった彫刻が素晴らしくて、大理石の彫刻なのですが、まるで彫刻が生きているように彫られたのです。旦那様の才能には、私達も関心致しました。」
「そんな褒めて頂くなんて光栄です。かくいう私もね、ロナルドの彫る彫刻のファンだったのです。ロナルドは彫刻刀を持った瞬間にただの大理石に魂を吹きかけるのです。このロッテツィオの街では採石場が近くにありましてね。よく取れるのですよ。彫刻家の主人は外ではぶつかる事も多かったですからこんなにも素敵なご知り合いに会えるなんて。」
その話を一部聞いていたのでしょうか。作業着から着替えたマーギュストが脱衣所から出て来ました。ロナルドは少し照れています。そしてニコニコと笑いながら会話に参加します。
「私との出会いのお話しかい?ダックマン。君と初めて出会った時はケントロイエル美術館であったかね。彼女は名のある貴族のお嬢様だった。ご両親と共にケントロイエル美術館に来ていた。私は展覧会を開いていて私の作品と私に出会い一目惚れだったのだろう。
「そうだったんですね。なんてロマンチックなお話なんでしょう。マーギュスト夫妻との出会いをこんな素敵な場所で聴けるなんて、それでどちらからプロポーズされたのですか?」
「私ですよ。ダックマンの美貌に一目惚れしたのです。彼女を何度もお食事に誘いました。最初の方は少し遠慮しがちだったけど、誘いに乗ってくれて結婚にまで至る事が出来た。そうだ。ダックマン、このお二人にシュニッツェルを出して差し上げなさい。」
マーギュストはダックマンに言います。ダックマンは笑いながら言います。
「まあ、是非お出ししますよ。ジェロームさん、ロレーヌさん、客室でお待ちください。ついでにクランベリーもお付けいたします。今夜はここに泊まって行ってください。」
「そんなそこまでお気遣い頂く事はありませんけど、折角の旧友とも会う事が出来たのだ。私も久しぶりに大学時代のように芸術に真剣に向き合っていた時の事を思い出した。」
ダックマンは厨房の方の冷蔵庫へと移動すると冷蔵庫からシュニッツェルの原料の豚肉を出します。まだ生肉でしっかりと焼けていません。ダックマンは肉を薄く叩いていきます。肉に衣を付けていきます。フライパンに油を注ぐと衣が付いたお肉をフライパンの中に入れます。
ジェロームとロレーナはその隣の部屋に入った瞬間に驚きました。その部屋はアトリエでした。何枚も油絵が飾ってあったのです。油絵は自然を現した作品や動物画、描画まであります。彫刻家であるロナルドと対照的にダックマンは画家として真剣に絵に向き合っているのです。するとダックマンはお料理を用意しながら言いました。
「ペルセポネの美術大学に通っていた時に書いていた習作ばかりです。そこにある花瓶や羊の風景画は美術大学の授業で描いたんです。当時私の先生をしてくださったヨハン教授に鍛えられました。さて、お待たせしました。シュニッツェルとソーセージ、ザワークラウト、シュペッツレです。」
銀色のナイフとフォークが運ばれて来て、料理がお皿に盛り付けられています。焼きソーセージは香ばしく焼かれておりブラートヴルストとヴァイスヴルストの香りが広がっていきます。
「ありがとうございます。頂きます。うわぁ、なんて素敵なのかしら。」
「奥様、すみませんね。頂きます。」
ジェロームはダックマンに対して親切そうに言います。
ロレーナは、ナイフを持つとヴァイスヴルストを細かく切っていきます。細かく切って行くと肉汁がお皿に垂れていきます。ナイフで刺したヴァイスヴルストを口の中に運んで咀嚼するとその美味しさに感動を覚えるのでした。一方ジェロームはザワークラフトを口にします。キャベツの酢漬けで肉料理の定番の付け合わせです。酸っぱい味付けになっていますが、その食感が堪らないのです。シュニッツェルを口にすると歯応えのあるカツが喉に入っていきます。
「奥さん、このザワークラフトとシュニッツェルは非常によく合いますね。これはお酒にも合いそうな予感がします。私はね、以前にもペルセポネに来た事があったのですが、その時も口にした事があるのです。だが、そこで食べたシュニッツェルは美味しくなかった。それに比較するとあなたの出す料理は格別です。」
「またジェロームったら、この人はね、過去のことを思い出し、比較する癖があるんですよ。画家のアトリエに呼ばれてそれで料理までご馳走して頂けるなんてこんな幸せな事はないわ。」
「ロレーナさんにお願いがあるんです。今度ね、ケントロイエル美術館に飾る肖像画を描きたくて、そのモデルをロレーナさんにお願いしたいんです。もちろんお金はお支払い致します。私は、あなたのその美しさを絵に現したいと思うのです。」
「あら、モデルのお仕事のご依頼ですか?喜んでお受け致します。それでいつ描かれるんですか?」
「この後って大丈夫かしら?ロレーナさんには椅子に座って頂くだけで良いの。」
翌日になり、ジェロームとロレーヌはアトリエに案内されたのです。ロレーナはアトリエの中心にある椅子に座るとダックマン夫人は画布を出し始めました。アクリルジェッソで地塗りを行っていきます。ジェッソ用のハケを使用して綺麗に塗り重ねていくのです。そして乾燥を行います。次に下塗りを行っていきます。それによりキャンバスは徐々にバーントアンバーの単色により肖像画の周りの背景色が徐々に色が付いていきます。キャンバスの明暗がはっきりとしてきます。だがここから本塗りまで2日程乾燥させなければなりません。ジェロームはその様子をじっと見つめています。
「ダックマン夫人、もし今日中に完成しないのであれば、また次回でも良いかい?ケントロイヤル美術館に行かなければならないのでね。」
「ええ、ではまた。」
ジェロームとロレーヌはダックマン夫人のアトリエを離れるとマーギュストの工房へと戻ってきました。丁度ケントロイヤル美術館の艦長がジェロームとロレーヌの彫像を展示するかしないかの評価をしに来る日なのです。馬車の音が聞こえてきます。ゆっくりと工房に近づく足音が聞こえてきます。そしてインターホンが鳴ります。
「はい。」
ダックマン夫人が行くと、外にはライオンの顔をした男が立っています。ライオンの男は静かに挨拶をします。スーツを身に纏った姿に威厳を感じます。すると男は挨拶をします。
「こんにちは、ケントロイヤル美術館の館長のバーミンガム・ハーベルトです。今日は、ロナルド・マーギュスト様の彫って頂いた彫刻の査定に参りました。」
「まあこんにちは、どうぞお入りになって。」
「お邪魔致します。」
バーミンガムはマーギュストの工房に入りました。そしてその工房に入った瞬間にバーミンガムの目にはマーギュストの作ったロレーヌとジェロームの彫像が目に入ったのです。その彫像を見たハーベルトは声を上げました。
「いかがですか?ハーベルトさん、私の作った彫像は実際にジャン・レオ・ジェロームさんとロレーヌ・ベッリーニさんをモデルにして彫ったのです。」
「ほう、なんと素晴らしい彫刻なのです。まるで生きているようだ。これほどまでに美しい彫刻は是非我が美術館に採用させて頂きます。早速ですが、本日お運び致しますよ。」
その報告を聞いたジェロームとロレーヌはお互いに喜びました。てっきり酷評されるかと思ったのですが、なんと絶賛されたのです。そして、マーギュストが作った彫像はケントロイヤル美術館に運び出されていきます。静かに破損しないように車に乗せられていくのです。こうして彫刻と肖像画という平面芸術と立体芸術が完成し、ジェロームとロレーヌにとって幸せな瞬間が訪れたのでした。




