甘い街
俺は、完全にナメてたんだ。
和菓子なんて、スーパーやコンビニの片隅で売ってる、しみったれた饅頭やら大福やら、せいぜい年寄りのお茶請けだろうと。
関東の人間なんて、大体そうだろう? だって、そういう扱いなんだもの。
パサついたドラ焼き、甘すぎる羊羹。
どれも似たような味と姿で、特別なものなんか、何もない。
ところが、京都に来て、俺はぶっ飛ばされた。
最初に食らったのは、音羽屋のよもぎあん餅だ。
見るからに素朴。スーパーで売っていても違和感なさそうな見た目だった。
でも、一口かじった瞬間、世界が変わった。
鼻に抜けるよもぎの香りが、こんなに澄んでいて深いものだなんて知らなかった。
しっとりしているのにもちっと歯切れが良くて、そこに絡むこしあんが、甘いのに軽い。
なめらかで、上品で、余韻が消えない。
うまい……うますぎる……。思わず、手が震えた。
次は山もとのいちご大福。
店先に貼ってあった張り紙を見たときは、内心ちょっとバカにしていた。
「当店大好評の一品です。白あんと苺のハーモニーが病みつきになります」
……ハーモニーって何だよ、と。
でも、口に入れた瞬間、その意味がわかった。
白あんの優しい甘みと、苺の酸味と果汁が、口の中で同時に弾ける。
あまりのインパクトに「うまっ!」って、通りがかりの人に聞こえるくらいの声が出た。
なんだよこれ。和菓子の概念を根こそぎ覆された。
その後、名月堂のニッキ餅で、完全にノックアウトされた。
ほのかに香るニッキの匂いと、優しくほどける甘さが、なぜか遠い記憶を呼び覚ますようで、胸の奥がじんとした。
頭の中で「七つの子」よろしく、カラスが山に帰っていった。
菓子が、こんなに人の心を揺らすものだったなんて、俺は全く知らなかった。
……そして、気づいてしまった。
京都には、鍵善良房や出町ふたばみたいな有名店だけじゃない。
どの通り、どの角にも、小さな老舗が息づいていて、それぞれが歴史を背負いながら、ひたすら自分たちの味を守っている。
その職人の意地と矜持が、すべてこの小さな菓子に詰まっている。
京都の和菓子文化、層が厚すぎる。これはもう、文化というより摂理だ。
なぜ、こんなにも旨いのか。
俺は仮説を妄想した。
きっと、京都の地脈そのものが、和菓子のためにあるんじゃないかしらん。
東山から流れ出る清らかな水脈、御所を中心に結界のように張り巡らされた町割り、そこで千年も続いてきた甘味の因果。
代々この土地に蓄積された「甘味のカルマ」が、職人たちの手を通じて、餅やあんこに宿る。
和菓子は京都の大地が生み出す“もののけ”だ。
だから、たまたま旅人として訪れただけの俺でも、それを口にした瞬間、魂まで震えたんだ。
俺はもう逃れられない。
次はどの店に行こうか、もうスマホのメモ帳はいっぱいだ。
店先に並ぶ色とりどりの餅、水無月、若鮎が、俺を呼んでいる気がする。
——京都は、和菓子の魔都だ。
それを今、思い知った。
そしてたぶん、ここに来るたびに、俺はまた、甘味の底なし沼に沈んでいくのだろう。
それでも、後悔なんて、するわけがない。




