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千の顔

朝の京都は水墨画のようだった。

曇天に霞む鴨川を渡り、あたしは静かに三十三間堂の門をくぐった。観光客の足音もまだまばらで、境内には鳥の囀りすら遠慮がちに聞こえる。


あたしはここが好きだ。千体千手観音がずらりと並ぶあの空間に足を踏み入れるたび、胸の奥がざわつく。あの無数の瞳、千の手、それらがひとつの意思に収束する感覚。


――これは祈りじゃない。

命令だ。


そう思う。


祈りとは本来、弱き者が天にすがる行為であるはずだ。しかし三十三間堂に並ぶ観音像の視線は、まるでこう言っているようだ。


「救われたければ、見せてみろ。お前の内臓の奥から絞り出す、真の叫びを」


祈りは暴力だ。願いを込めて手を合わせるその手は、見えない何かを殴りつけている。世界を、自分を、あるいは神仏を。


あたしは十二年前、ここで母を見送った。乳がんで痩せ細った身体を抱えて、母は最後の京都旅行にここを選んだ。


「きっと…千の手がね、あんたを守ってくれると思って」


母はそう言ったけど、あたしはあのとき、守られたなんて思わなかった。ただ――


罰されたのだと思った。


母が娘の未来を願って命を賭けたその祈りは、やがてあたしをこの道へと引きずった。刃物を扱う資格を得て、他人の命を預かる。オペ室の中央で、心臓が震えるような瞬間に出くわすたび、観音像の顔が脳裏をよぎる。


それでも、あたしはここへ来る。来てしまう。


静かに堂内を歩く。千の視線が、千の手が、あたしを貫く。


赦してくれなんて、思わない。


ただ、見ていてほしい。あたしが今日も、祈りという暴力を振るいながら、誰かの命を引き戻しているということを。


あたしは三十三間堂が好きだ。


祈りという暴力がそこにはある。


そして、それを受け止めてくれる千の顔がある。

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