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ヤギ

大原の朝は霧から始まる。

比叡の向こうが白く溶けて、畑と山の境目が消える時間が好きだ。

境目が見えないってのは、だいたい調子がいい。


ヤギはもう起きている。

俺よりずっと規則正しい。

鳴かないし、催促もしない。

ただ、腹が減れば葉を引きちぎる。

ブチ、ブチっと柔らかく大地を震わせる。

それだけだが、この音が好きだ。


葛は今年も強い。

強すぎるくらいだ。

切っても、食わせても、伸びてくる。

根っこに溜め込んだものが、こっちの事情なんか聞いちゃいない。

だから俺は「勝とう」とは思わない。

勝とうとした年は、だいたい土地が拗ねる。


数は決めていない。

何頭、とは言わない。

草丈を見る。

裸地が増えていないかを見る。

ヤギの腹回りと毛並みを見る。

それで「そろそろだな」と思ったら、減らす。

潰す、という言葉は使わない。

ただ、減らす。

冬が来る前に、越せる分だけ残す。

残りは肉になる。

それだけの話だ。


遺伝子がどうとか、血がどうとか、

そういう話はしないことにしている。

年に一度、よそから数頭入れる。

それで十分だ。

混ざりすぎない。

固まりすぎない。

大原の水と霧に、判断を任せる。

理論はある。

紙に書けば一枚で足りる。

でも、紙を見ながら草は伸びないし、

ヤギも太らない。

感だけでも危うい。

理論だけでも死ぬ。


だから、間に置く。

「この辺までなら怒られない」

その線を、毎年少しずつなぞり直す。

たぶん、俺の代では壊れない。

息子の代でも、たぶん回る。

孫の代は知らない。

知らないでいい。


山は、全部を分かった人間から先に、

手を離していく。

今日も葛を食わせる。

ヤギは黙って噛む。

霧が晴れて、比叡の輪郭が戻る。

境目が見えるようになったら、

また調整するだけだ。

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