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剥離

産声が上がった。

その音は、あまりにも細く、あまりにも澄んでいて、

まるでガラスの中で水がひとつはじけるようだった。


娘が差し出した腕の中に、

小さな顔があった。

その頬の赤さを見た瞬間、

胸の奥で、何かがゆっくりと溶けていった。


私は何も言えなかった。

ただ、腕を差し出し、

その体を抱いた。


軽かった。

そして、驚くほど温かかった。


その温もりが、私の指先から

まるで古い絵画のニスを溶かす薬のように、

じわりじわりと広がっていった。


ずっと重ね塗りしてきた

「母であろうとするための顔」や、

「娘を見守るための表情」や、

「愛のふりをした支配の影」が、

そのぬくもりの中で、音もなく剥がれていく。


母親が終わった。

私はもう、何者でもなかった。

母でもなく、娘でもなく。

ただ、ひとりの“抱く者”だった。


その小さな体が、息を吸い、

わずかに胸をふくらませる。

その動きが、世界の呼吸と重なった。


――ああ、この空気。

あの頃、娘を初めて抱いたときの空気と、同じ匂いがした。

けれど違う。

今は、そこに赦しの香りが混ざっている。


私の中で固まっていた時間が、

ゆっくりと溶け出していく。

青と黄と、微かな白が滲む。

絵画の下から、ようやく“本当の色”が顔を出す。


娘が笑った。

ほっぺたが紅潮し八重歯が光る。

海賊の子分みたいだ。

その頬の光が、

私の手に抱かれた命を照らした。


泣き声がやみ、

部屋に、静かな呼吸だけが残った。


私はただ、息を合わせた。

それがこんなにも簡単で、

こんなにもやさしいことだと、

どうして今まで知らなかったのだろう。


外の窓に、春の光が差し込む。

それはまるで、

剥がれたニスの上に

新しい絵の具をひとすじ置くようだった。


――もう、これでいい。


私はそう呟き、

腕の中の重みを、

初めて、完全に信じた。

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