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七五三

会社が変わったのは、

誰かが声高に宣言したからじゃなかった。

空調の設定が変わり、

夜の通知が鳴らなくなり、

壁に貼られていた注意書きが

いつの間にか剥がされていた。

世界は静かに、

正しくなっていった。

 

君は、少し粗野な見た目をしていた。

くたびれたジャケット、

緩んだネクタイ、

顎に残る無精髭。

それはだらしなさというより、

長い夜をそのまま連れてきたような顔で、

不思議と、この歪んだ職場に馴染んでいた。

 

以前、君は席に着くと

必ずデスクの引き出しから

小さな金属製のミントケースを出した。

蓋の擦れる音で、

今日も帰れないと分かった。

僕は何も言わず、

隣で冷めたマグを啜った。

それで十分だった。

 

会社が歪んでいた頃、

僕らは並んで立っていた。

言葉は少なく、

確認は目線だけで済んだんだ。

君が前に出て社内の理不尽を引き受け、

僕は後ろで数字の理不尽を整えた。

同じ方向を向いていたわけじゃない。

同じ影の中にいた。

 

改革が始まると、

君のデスクから物が減っていった。

予備の充電器。

擦り切れたノート。

中身の分からないUSB。

代わりに、

整ったペン立てと

新品のマウスパッドが置かれた。

それは正しく、普通で、

少しだけ君に似合わなかった。

 

会社が白くなり、みなの夜が長くなれば、

朝も整う。

朝日の世界は人を、

正しくしていく。

 

ある日、君は定時に立ち上がり、

くたびれたコートを羽織りながら言った。

「もう大丈夫そうだな」

評価でも感想でもなく、

点検結果のような口調だった。

 

辞める話は会議室でされた。

理由は聞かなかった。

聞けば、

何かが戻ってしまう気がした。

 

最終日、

君は髭を剃ってきた。

それに気づいた瞬間、

少しだけ笑えた。

まるで七五三だ。

顎のラインが妙に白くて、

いつもの粗さが消えていた。

清潔で、正しくて、

この会社によく似合う顔。

 

「どうしたんだ、それ」

そう言いかけて、

やめた。

もう、

聞く理由がなかった。

 

君はネクタイをきちんと締め、

ミントケースを出さなかった。

ポケットの中で

金属が鳴らない。

それだけで、

全部分かった。

 

エレベーター前の沈黙は短かった。

「……お疲れ」

「ああ」

それだけで十分だった。

扉が閉まる。

 

世界は何事もなく、

正常運転を始める。

 

後で洗面所の鏡を見ると、

自分はいつも通りの顔をしていた。

抗う必要のない場所に、

僕は残った。



 

歪んだ世界を媒体に、

僕らは寄り添っていた。

だから歪みが是正された今、

同じ距離では立てない。

それは喪失ではない。

役割の終了だ。

 

七五三は、

次の段階へ行くための儀式だ。

祝われなくてもいい。

覚えていなくてもいい。

ただ、

戻れないことだけが大切。

 

夜遅く、

金属が擦れるような音を

思い出すことがある。

あれは、

世界がまだ壊れていた証拠だ。

そして確かに、

その壊れた世界の中で、

僕らは

同じ場所に立っていた。

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