オービタルボーイズ
──December 28, 2025, Kyoto
北山の稜線が、冬の光をわずかに残していた。
京都国際会館のロビーには、まだ冷たい空気とコーヒーの香りが漂っている。
「国際宇宙協力フォーラム2025」──
登壇を終えた五人の老紳士たちは、拍手の余韻を背にしてホールを出た。
半世紀前、彼らは少年だった。
夜空を見上げて、星に名前をつけ、
遠い国のロケットの轟音に胸を熱くした少年たち。
その少年たちが、今は肩書きよりも深い皺を持つ。
「……せっかくだし、一杯やるか。」
ジョン・ハリソン(NASA)がそう言った。
声にはまだ少年の名残があったが、
その笑顔の裏には、何度も発射ボタンを押した指の震えと感触が宿っていた。
五人は地下鉄を降り、
三条会商店街のアーケードを歩いた。
正月飾りが中途半端に吊るされ、
年末の静けさが、まるで宇宙船の無音の軌道を思わせる。
「この匂い……酒粕と、白味噌の匂いが混ざってるな。」
マルセル・ルヴェリエ(ESA)が呟く。
「ヨーロッパではこうはいかない。」
「静かすぎるよ。」
ノア・カルダウェイ(CSA)が肩をすくめる。
「でも、嫌いじゃない。
機械を直すときも、こういう沈黙がいる。」
居酒屋「月光」──古い赤提灯が灯る。
そこが彼らの今夜の“宇宙基地”だった。
乾杯の音は小さかった。
グラスの縁が触れ合い、
それぞれの人生の残響が微かに交わる。
「京都で飲むなんて、何年ぶりだろうな。」
安達 忠(JAXA)が言った。
「昔、SLIMの打ち上げ成功の後、ここの店で一人で飲んだんです。
帰ってくるミッションは、孤独の味がするんですよ。」
「お前のロケットは、よく帰ってくるな。」
セルゲイ・ヴォルコフ(ロスコスモス)が煙草に火をつける。
灰色の煙が、宇宙のようにゆっくりと上昇する。
「俺のは……帰ってこないことの方が多い。」
ジョンが笑った。
「帰ってこないのは、お前の性格だろ。
でも、俺たち全員、お前の機体の音を聞いて育ったんだ。」
セルゲイは何も言わず、ただウォッカを飲んだ。
その目の奥に、一瞬だけ燃料の青が揺れた。
テレビが小さく報じていた。
《スペースX、スターシップ最終試験打ち上げ成功。》
画面の光がテーブルの上の氷を照らす。
マルセルが笑ってワインを掲げた。
「未来は速すぎるな。
だが、速すぎる夢も、きっと誰かが追いつく。」
ノアが頷く。
「夢の整備士は、まだ必要だよ。
誰かが、帰ってきた夢を磨かないとね。」
ジョンはピーマンの肉詰めをつつきながら、
テレビの光に目を細めた。
「なあ……誰のロケットだ?」
しばらく沈黙。
鍋の湯気の音だけが、宇宙の無線みたいに鳴っている。
やがてジョンはゆっくり笑った。
「関係ないな。
あれは──俺たち全員の音だ。」
勘定を済ませ、店を出る。
夜も更けた三条会のシャッター通りに冷たい風が吹いた。
五人は黙って並んで歩く。
誰も何も言わなかった。
ただ、それぞれが違う方向の夜空を見ていた。
比叡の上に細い月。
西の方角には、沈みかけの金星。
その間に漂う雲の切れ間から、
ISSの軌跡が一筋だけ、淡く通り過ぎていった。
セルゲイが煙草を灰皿に押し付け、
ぼそりと呟いた。
「見えるか?」
安達が頷く。
「ええ。まだ、飛んでますね。」
「そいつはいい。」
セルゲイが微笑んだ。
「俺たちの宇宙は、まだ壊れていない。」
ジョンがポケットから古いカメラを取り出した。
NASA時代、アポロの技術者にもらったものだ。
「ほら、最後に一枚。
宇宙少年たちの“再突入記念”だ。」
シャッターの音が鳴る。
その瞬間、遠くで除夜の鐘の練習が聞こえた。
まるで、どこかの惑星から届いた心拍のように。
翌朝、ホテルの窓から見えたみそそぎ川は薄く凍っていた。
だがその氷の下を、水が流れる。
五条大橋で鴨川に合流し、また春へ向かって流れていく。
五人の足跡は消えても、
その夜の言葉だけが、静かに京都の冬に残った。
“It was all our sound.”
あれは、俺たち全員の音だった。




