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シニスターガールズ

団栗橋の少し手前。

六月だった。

夏休みまでまだ二ヶ月近くある。

もう暑い。


でも本気の夏じゃない。

川風が仕事をしている季節だった。


六時間目。

現代社会の先生が言った。

「夏休みの課題図書です。」

教室が死んだ。

みんな知っている。

課題図書という言葉は。

だいたいつまらない。

ところが先生は続けた。

「今年は二冊。」

嫌な予感がした。


『銃・病原菌・鉄』

ざわつく。

『サピエンス全史』


さらにざわつく。

「先生。」

誰かが言う。


「それ鈍器です。」


教室が笑う。

先生も笑った。

「知ってます。」

「だから今渡します。」

「夏休み直前に渡したら死ぬので。」


正論だった。

そして放課後。

私は団栗橋の手前で待っていた。

あいつが来る。

業務スーパーの袋を提げて。

「買ってきた。」

言いながら袋を振る。

インドネシア製クッキーサンド。

チョコ。

ストロベリー。

私はチョコを取った。


「読んだ?」

「まだ三十ページ。」

「私五十。」

「張り合うな。」

張り合う。

当然だ。

中学生女子はだいたい張り合う。


川を見る。

鴨川は流れている。

人類史より古い顔をしている。

たぶん嘘だけど。

そう見える。

「面白い?」

私は聞いた。

あいつは少し考えた。

「なんか。」

「うん。」

「世界史って。」

「うん。」

「運営がクソ。」

私は吹いた。

「何その感想。」

「だってさ。」

「ユーラシアSSR。」

「はい。」

「小麦SSR。」

「はい。」

「牛SSR。」

「はい。」

「病原菌SSR。」

「最低(笑)。」


あいつは笑う。

でも少し分かる。

『銃・病原菌・鉄』は。

頑張りより環境の本だ。

どれだけ優秀でも。

砂漠では小麦は育たない。

どれだけ努力しても。

家畜がいなければ病原菌耐性は生まれない。


個人より先に。

地形がある。

そういう本だ。

私はクッキーを齧る。

チョコが思ったより濃い。

百円ちょっとなのに生意気だ。

「でもサピエンス全史の方が怖い。」

私は言った。

「わかる。」

即答だった。


珍しい。

あいつはいつも反論する。

今日はしない。

「なんで怖いと思った?」

私は少し考える。

川を見る。

橋を見る。

鳥を見る。

「だって。」

「うん。」

「国家も。」

「うん。」

「お金も。」

「うん。」

「会社も。」

「うん。」

「全部みんなで信じてるから存在してるって言うじゃん。」

「言うね。」

「怖くない?」

あいつは笑った。

「私は逆。」

「え?」

「安心した。」

意味が分からない。

「なんで。」

「だって。」

あいつは川を指差す。

「鴨川は鴨川じゃん。」

「うん。」

「人間が消えても流れる。」

「うん。」

「でも会社は消える。」

「まあ。」

「国家も消える。」

「うん。」

「つまり。」

少し考える。

「人類が作ったものは人類が変えられる。」

私は黙る。


それは少しだけ。

良い考え方だった。

少しだけ。

その時だった。

あいつが突然言った。

「ダ・ヴィンチとかさ。」

来た。

「ニュートンとか。」

来た来た。

「マルクスとか。」

ああ。

「ニーチェとか。」

嫌な予感しかしない。

「ニキビみたいじゃない?」

私は本気でむせた。

団栗橋の手前で。

鴨川を見ながら。

世界史をニキビにする人間は初めて見た。

だが説明を聞くと。

少し分かるのが腹立たしい。

文明という巨大な皮膚。

地理。

気候。

人口。

農業。

国家。

何千年も圧力が積み上がる。

そしてある日。

ニュートン。

マルクス。

ニーチェ。

ぼこっ。

噴き出す。


確かに。

少しだけ分かる。

でも。

私は思った。

カントだけは違う。

ニキビは治る。

炎症だから。

元に戻る。

でもカントは戻らない。

人類の脳味噌に残る。

骨折みたいに。

治る頃には別の形になる。

私はそれを口にした。

あいつが妙に静かになる。

気に入ったらしい。

夕方の光が川に落ちる。

夏休みまであと二ヶ月。

たぶん。

私たちはこの二冊を読む。

そして読み終わる頃には。

世界が変わるわけじゃない。

鴨川は流れている。


団栗橋もそこにある。

インドネシアのクッキーも百円ちょっとだ。

でも。

世界を見る側の形が少し変わる。

たぶん先生が課題にしたかったのは。

本の内容じゃなくて。

その傷跡の方なんだろうな。

と、私は思った。

もちろん。

あいつには言わなかったけれど。

やるじゃん先生。


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