Saelum 42
自分の視線の先に待つ人物を頭に思い描きながら、ゆっくりと振り返る。
「やっぱり、柚木さんだ」
そう言って、少しだけ微笑む人物を、クレナは黙ったまま見つめた。まさか、こんな場所で再会するなんて想像すらしていなかったため、何度も何度も確認するように相手の隅々を見回す。
「……なんで?」
長い黒髪に、あの頃と何一つ変わらない顔。忘れたくても、忘れられるわけがない。
「なんで柏木さんが、天界の庭にいるの?」
中学生時代にクレナを敵視し、夏紀にひどいことをした人物が目の前にいた。あの出来事を止められなかった自分をずっと許せなかった。けどそれ以上に、関係ない夏紀を傷つけた柏木が憎くて堪らなかった。
ずっと隠してきた怒りが沸々と込み上げてくるのを、クレナはひしひしと感じる。昨日のことのように思い出される記憶に、クレナは怒りで震えるのを必死で抑え込む。耐えるように強く唇を噛み締めた。
「なんでって……死んだからに決まってるじゃない」
外見は中学の頃よりも大人びて映るが、二十歳を迎えたにしては少し幼い感じに見える。高校生ぐらいだろうか。
彼女もまた、夏紀のことがきっかけで転校を余儀なくされた。その後の彼女がどうなったかは聞くこともなかったが、まさか亡くなっていたなんて思いもしなかった。
しかも、こんな場所で再会するなんて、悪い偶然にもほどがあると、クレナは内心不快感を抱いていた。
「あなたも死んだの?」
柏木の問いに、クレナは否定を示すように首を左右に振る。
「わたしはまだ、生きてると思ってる」
「そう、けど……もうここから出られないんじゃ死んだと同じよね」
そう呟くように言った彼女がどこか悲しげに映った。
「柏木さん」
「ねぇ、わたしの名前知ってる?」
「え?」
唐突な質問に、クレナは眉を顰める。
「志保……さん」
「当たり。覚えててくれたなんて意外……とっくに忘れられてると思ったわ」
そう言って、小さく笑う彼女にかける言葉が浮かばず、ただ彼女の言葉を待った。
そういえば、柏木とまともに言葉を交わしたことがなく、こうやって会話をするのは初めてだった。お互い何も知らないまま、あんな結末を迎えてしまったのだから仕方がない。
もしも、何か話すきっかけがあったとしたら、あの結末は変わっていたのだろうか。
そう考えたが、クレナはあり得ないと心の中で否定した。
「わたし、もうあの世に行こうかと思ってたところだったの。その前にあなたに会うなんてね……神様の悪戯ってやつかしら?」
「神様の悪戯……」
ヨンギが同じようなことを言っていたのを不意に思い出した。
(これは、もしかして神様の試練? なら、柏木さんと向き合えってことなの?)
ここで彼女と出会ったのも必然なのだろうか。
彼女と向き合うことに意味があるとは到底思えない。
正直、会いたくなかった。それがクレナの本心だった。
「最後に話さない? 柚木さんが嫌じゃなければだけど、どう?」
彼女は昔と変わらない。初めは羨ましいと感じたほど、誰もが美人だと認める容姿、艶やかな長い黒髪。高飛車と思わせる強気な眼差し。クレナは自分とはまるで正反対の彼女が苦手だった。
しかしながら、外見はあの頃のままなのに、記憶の中の彼女とどういう訳かうまく重ならない。
こんなに穏やかな表情をする柏木をクレナは知らない。
「いいけど……」
周りにいる人たちは、狭い空間に閉じ込められて絶望したような顔を浮かべているのに、柏木はどこか落ち着いていた。まるで、全てを受け入れていたような顔をしている。
先ほどから感じる悪魔の視線を気にしながら、橋から川に沿って歩き、誰にも話が聞こえない場所で立ち止まった。
自分から口を開くことはせず、クレナは足元から伺える水流を黙ったまま見つめる。
そこで、気がついたことがあった。
「川……か」
片足を少しずつ川の方へ近づけてみる。地面と川の境を難なく足は通過した。周りには見えない壁があるのにもかかわらず、川沿いにはそれが存在しなかった。見落としていた盲点にようやく辿り着く。
(ここからなら……脱出できる)
それでも、ここと三途の川との距離はそれなりにある。泳ぐにしても、深さや流れの早さは目視だけでは確認できない。
けど、ここを抜け出す方法は、川を直接渡るしかなさそうだ。
「どうかしたの?」
柏木の声に、クレナは慌てて顔を上げる。
「な、なんでもないよっ」
「そう? なら少し座らない?」
「そうだね」
かつてクレナを嫌い、クレナ自身も彼女を憎んだ。
そんな二人が、今は肩を並べて座っている。
昔なら想像もつかない光景だ。
「そういえば、橘さん……どうなったか聞いてる?」
「わからない。あの後、学校に来ないまま転校しちゃったから」
「そう」
今頃、夏紀の話を蒸し返してどうしたいのだろうか。
頭に浮かぶのは、相手への嫌悪感ばかりだった。
「あの頃は、わたしも色々大変だったのよ……だから、あなたと橘さんに八つ当たりして悪かったわね」
「八つ当たり?」
その一言に我慢していた何かが一気に噴き出した。
「わたしを嫌ったのも、夏紀をあんな風に傷付けたのも全部八つ当たり? そんな言葉で済まされるようなことじゃないっ!!」
「わかってる」
声を荒らげるクレナに対し、柏木は至って冷静な面持ちでこちらを見て頷く。
「悪かったって今は思ってる。自分がしてきた罪は許されないって思い知ったから」
“罪”と告げた柏木の表情があまりにも真剣で、クレナは口から出しかけそうになった感情の声を押し込めた。
「私ね、自殺したの」
衝撃だった。
柏木が自殺するなんて信じられない。
病気や事故なら、悪く言えば“報い”を受けたんだと、運が悪かったんだと、皮肉の一言でも言えたかもしれない。しかし、そのどちらでもなく、自分で命を絶ったなんて意外すぎて言葉を無くした。
「あなたたちに……あんなことをしたから、きっと神様の天罰にでもあったのね。死んだあげくに、こんな訳のわからない世界に閉じ込められて」
「……柏木さん、なんで自殺なんか」
「わたしも同じ立場になったのよ」
それは、柏木本人もいじめに合ったことを表しているのだろう。
あんなに気が強く、自信に満ちた彼女が虐められる姿なんて想像もつかない。
「何があったの?」
今でも彼女が心の底から憎い。
だけど、聞かずにはいられなかった。




