Saelum 40
一瞬で霧は濃さを増し、自分以外のものが全て白へと染まっていく。
「アランっ」
天使が現れた時に、繋がれていた手は離されてしまっていた。
さっきまで側に居たのだからと、アランを求めて手を伸ばす。なのに、何かに触れる感触は一切感じられなかった。
「クレナ!」
「アラン、ここだよ!」
声は近くで響くのに、さ迷う手は肝心のアランへ辿り着けない。これだけ手を伸ばしてるのに、障害物にも触れられないことに、違和感を覚える。
「クレナ、どこにいるんだっ」
次第にアランの声が小さくなっていく。クレナは声がする方へと走り出した。もしかしたら木にぶつかるかもしれないが、アランから離れてしまう不安の方が大きかった。
(このままじゃ、本当にはぐれちゃう!!)
声がした方向へ必死になって進むが、霧のせいで相手に近づけているのか見当もつかない。
「アランっ……ねぇ、アラン!? 聞こえないの!?」
とうとう、返事まで返ってこなくなった。
どこを見ても白一色。周りに何があるのかもわからない。
自分がどこへ進んでいるのかわからない焦りと、一人取り残された孤独感で、クレナはとうとうその場に立ち尽くした。
(どうしよう……完全に見失っちゃった)
――このまま見付けられなかったら、どうなってしまうんだろう。
アランの温もりが残る手のひらを、自分の頬に当てる。
「アランとこれで最後だなんて嫌だよ」
諦めの言葉を跳ね返すように、クレナは気合を入れ直す。
「大丈夫。必ず見付けてみせるっ!」
どんなに現実が厳しいものだとしても、大切なものを手離しちゃいけない。
ここで挫けてたら、夏紀の時と同じになってしまう。
クレナは意を決して、前へと歩き出した。手で周りを探りながら、慎重に足を進めていく。
だが、クレナは隠しきれない違和感にまた足を止めた。
「なんで、何もないの?」
どんなに歩いても、手に何も触れない。どんなに運が良かったとしても、手に掠りもしないなんておかし過ぎる。本当にここは、先ほどまでいた森なのだろうかという疑念が湧く。
「ここは……どこ?」
考えてみれば、あんなに近くにいたアランとはぐれること自体が変だった。
クレナが異変に困惑していると、突如深い霧が晴れ始める。
うっすらだが、目の前に大きな橋が見える。
その下を流れる水の音が今更聞こえてきた。
「川って、まさかここはっ」
ようやく鮮明になった視界に映ったのは、橋の向こうに見える小さな村。ぽつんと小さな家が数件あるだけで、他には何も見当たらなかった。
「ここが三途の川?」
いつの間に着いていたのだろう。
不思議に感じつつ橋へと向かった。すると、何者かが先を阻むようにクレナの前に現れる。
「お待ちください。ここからはもう出られない規則になっております……引き返していただきたい」
少し強面の男性が、長い槍を手に立っていた。身長2メートルを越える大男を目の前にして、クレナは思わず無言で凝視してしまう。
長い髭をたくわえ、頭はスキンヘッド。しまいにはサングラスまでかけている。どこかのマフィアが登場したのではないかと、緊張感から息を飲み込んだ。
「あの……もしかして、護衛隊ですか?」
目はサングラスで隠れて見えないが、眉を顰め、クレナの言葉に反応を示す。
「いえ、ここは護衛隊の管轄外の区域。わたしは三途の川の橋を渡られた方を誘導する役割を神から命じられた者にございます」
「なら、天使?」
「いえ、わたしは悪魔にございます」
「悪魔……」
予想外の遭遇に驚いたクレナだったが、一気に表情を強張らせた。
「待って下さい……橋を渡った?」
「左様にございます。あなた様はつい今ほど、三途の川の橋を渡ってこられました」
「嘘っ……わたしは渡った覚えなんてない!」
さっきまで森の中にいて、村が近くにあった記憶はない。そもそも、白い霧のせいで周りが見えていなかったから、大した距離を歩いてもいなかった。
「そう言われましても、ここは橋の先にございます……橋を渡られた以上は、引き返すことは許されません」
「そんなっ! こんなのおかしいよ!」
クレナは大男の横をすり抜け、橋に足を踏み入れた瞬間、何かに弾かれたように体ごと跳ね返された。勢いよく地面に尻もちをついたクレナに、大男は呆れたように首を振ってみせた。
「これでお分かりでしょう。あなたはここからは出られないのです」
あまりにも衝撃的な展開に、頭がついてこないクレナは、茫然とした表情で橋の先の景色を見つめる。
アランとはぐれた挙げ句、二度と後戻りできない橋の先に来てしまった。
「アランっ」
どこへ行ったのかわからない彼の名を呼ぶも、返事など返ってくるわけがない。地面にしゃがみ込んだまま、クレナは今自分が立たされている状況に、ただ落胆するしかなかった。
「さあ、諦めてください。ここへ来た以上はあなたに残された選択肢は二つしかございません」
泣きたい衝動をなんとか押さえ込み、震える声で問う。
「二つ?」
「更生を願い旅立つか、それとも出口なきここで彷徨うか……どちらかにございます」
挫折という単語が一瞬、頭をよぎった。しかし、クレナはゆっくりと立ち上がり、橋とは反対方向へ体を向けた。
「なら、答えは決まってる」
アランと会えない結末だとしても、少しの希望だけは持ち続けていたい。
「光の庭を探します」
「お待ちください。そこは存在いたしませんよ」
「え? 存在しない?」
「正しく言えば、目に見えません。光の庭は神のみが入ることを許された、神聖な場所にございます……あなた方にとっては形なき、行き着くことのできない空間にございます」
その答えがどうも腑に落ちなかった。
護衛隊すら入れない橋の先にある、神のいるであろう光の庭。
それが本当なら、なぜローマンさんは見もしない場所を知っていたのだろうか。
橋を渡れば戻れない場所なのに、誰が情報を与えたのだろうか。
「やっぱり探します。自分の目で確かめないと信じられないんです、わたし」
「それなら、お引き留めはいたしません」
強面な悪魔は、クレナにお辞儀をすると静かに橋の前に戻っていった。
「ごめん、アラン……わたしは先に進む」
――アランのいない世界を選ぶくらいなら、地獄へ逝った方がマシ。
アランと同じ台詞を心で繰り返す。
アランも同じように生きることを選んでくれると信じているからこそ、クレナは一人で進むことを決めた。
「わたしは必ず神様に会うから!」
クレナは決意新たに足を踏み出した。




