Saelum 36
閉じ込めていた思い出を呼び起こし、どれから話そうかと迷いながら、クレナは少しずつそれを言葉にし始めた。
「わたしもね、昔ドイツに住んでたの」
「え?」
「お母さんがドイツのミュンヘン出身で、仕事先でお父さんと出会ったんだ。あ、お父さんは日本人……わたしハーフなの」
「同じドイツにいたのか」
「運命感じちゃうでしょ?」
わざとらしく笑顔で言うと、アランは照れた顔をして目線を少し逸らした。
「ふたりが結婚して、わたしが産まれて……しばらくの間はドイツで暮らしてたんだけど、お父さんが仕事の関係で日本へ戻ることになったの。それで家族みんなで日本に引っ越して、わたしは彼女と出会ったんだ……」
クレナの頭の中に広がる懐かしき光景。
それはまだ、平穏と呼べた頃の風景。
小学三年生なった頃に日本へやって来たクレナが、新しい学校に馴染むのに、そう時間はかからなかった。初めは目と髪の色を珍しいと集まってきたクラスメート。帰国子女ともなれば、他のクラスからクレナを見に来る生徒も少なくはなかった。
「クレナって、名前もかわいいよね」
「いいなぁ、髪の色も羨ましい。そんな綺麗な髪ならいいのに……日本人って損じゃない?」
「そうだよね! しかも染めちゃダメとかありえないし。わたしもクレナみたいなハーフならよかったなぁ」
日々、そんな話題をふってくる女子たちに囲まれ、クレナの周りはいつも賑わっていた。
月日は流れ、中学生になったと同時に少しだけ周りの雰囲気が変わり始める。
ある一人の女子の一言によって、暗闇へと誘う扉が開かれようとしていた。
「柚木さんてさ、ちょっと調子にのってるよね……目の色とか髪の色、自慢してんじゃないの?」
それはまるで、わざと聞かせるような大きな声で言い放たれた。お昼休みで賑わっていた教室は一気に静まり返り、気まずい沈黙の空間へと変わる。
「この間も男子に囲まれてたよね」
鋭く、怒りの眼差しを向けてきたのは、女子生徒の中では一番大人びた顔立ちをした子だった。
漆のような光沢ある長い黒髪、端整な顔立ちは誰もが目を奪われる。
それぐらいに彼女は美人だった。
名前は、柏木志歩。
中学になり、初めて同じクラスになった彼女とは、未だ言葉も交わしたことがなかった。
そんな彼女が突如、クレナに敵意を向けた。
「帰国子女だからって、自分は凄いとでも言いたいの?」
「そんなこと思ってないよ!」
そう反論して席を立つも、教室は冷めきったような空気に包まれる。クラスメートの視線は全てクレナに向けられていた。
「わたしも、それ思ってた」
「なんかさ……よく見たら、目の色もおかしくない?」
嫌でも耳につく声と冷ややかな笑い声。
この瞬間から、クレナを見るみんなの目の色がガラリと変化する。
「わたしはっ……そんな」
目の前に広がる世界が暗く歪み、震えるほどの恐怖心に、言葉すらうまく出てこなかった。ひどい頭痛と吐き気が伴うような淀んだ空間に、今にも倒れそうな感覚に陥る。
ここから離れたい。
学校から逃げ出したい。
そんな衝動が沸き起こり、足を一歩後ろへと引いた時だった。
「いい加減にしてくれない? さっきまでクレナのこと、可愛いとか綺麗とか散々持ち上げといて、次は全否定すんの? 意味分かんない」
窓際の一番後ろの席に座っていた彼女は、読んでいた本を静かに閉じ、強い意思を秘めた瞳を柏木に向ける。
彼女も中学で初めてクラスが同じになったが、普段は本ばかり読んでいるところしか見たことがない大人しい人だった。そんな彼女が、どういうわけかクレナを庇った。
――橘夏紀。
その人こそが、クレナを救い出してくれた恩人であり、親友となる大切な人の名だ。
「簡単に裏切るなら、初めから近づかなきゃいいでしょ?」
教室の中が緊張感で張りつめた。
そんな中で、普段物静かな夏紀が堂々と話をする姿に、クレナは一人感動していた。どうしたら、あんなに凛とした態度で、誰にも屈することのないような強い意思をもてるのだろうかと、クレナは尊敬の眼差しを夏紀へ向ける。
「クレナ、行くよ!」
我に返ると、夏紀は笑顔を向けてクレナの前に立っていた。
「お昼休み、こんなとこでご飯なんか食べたくないからさ、付き合ってよ」
夏紀はクレナの手を取ると、まるで連れ去るようにして教室を飛び出す。セミロングの髪が走る度に揺れる後ろ姿を、不思議な感覚で見つめた。
「あの、橘さん……ありがとうっ」
「夏紀でいいよ。わたしもクレナって呼び捨てで呼んじゃったし」
「ありがとう、夏紀」
「どういたしまして」
そう返した夏紀の笑顔は、今でも忘れられないほど輝いていた。
それからすぐに夏紀とは打ち解け、学校では常に行動を共にするようになった。
あの一件以来、柏木は何も言ってこなくなった。クラスメート達も、少し距離を置きつつだったが、クレナには普段通りに接するようになっていた。
「夏紀ってバスケ部なんだ」
いつも読書家なイメージだった彼女には想像がつかない一面に、クレナは思わず驚きの声を漏らす。
「こら、人を見た目で判断してはいけません!」
「ご、ごめんっ」
「なんてね。わたしもクレナが帰国子女って聞いた時、ちょっと高飛車なイメージもってたし……お互い様ってことで」
「夏紀は凄いね」
クレナの一言に、夏紀は首を傾げる。
「いつも堂々として、それでいて優しくて強い。わたしはあれ以来、怖くなっちゃった……鏡を見るたびにハーフじゃなかったら良かったのにって思っちゃうんだ」
「なに言ってるの! ハーフっていいじゃない!」
「え?」
「だって、二つの国に故郷があるってことでしょ? クレナは日本とドイツ両方の良さを分かってあげられる人なんだよ……それってさ、凄いことだと思わない?」
夏紀がクレナの髪を掬うように手へと乗せ、優しく微笑む。
「文化も環境も見た目も違う国だけど、クレナは両方の良さを受け継いでる。それを否定してたら勿体ないよ」
「夏紀っ」
「わたしクレナの瞳の色、好きだしね。あんたはあんたらしく笑ってなよ! 自分のこと、好きにならなきゃ人生損だよっ」
「うん、ありがとう……」
夏紀と過ごす日々が楽しくて、クレナは幸せな風景ばかりに囚われていた。
あんな結末を想像もすることなく、ただ流れる穏やかな日常にクレナは安心しきっていた。
夏紀ちゃん、やっと出せた!
夏紀ちゃんは昔の書いた原作から変わらず出してます。原作でなにが違うかって一番はヨンギとアランだろうか(笑)
いつか原作の裏話とかやりたい。なんてね。




