くまとテディベア
今日は久しぶりに———二十数年ぶりに———カノンと旅行だ。いや、その表現は正確ではないな。カノンが親友の葵と旅行をするのだ。その荷物に詰めてもらえた。
カノンが葵と旅行に至る顛末だが、カノンが子供の頃から持っているくまのぬいぐるみを今でも大切にしている、という話がきっかけになったらしい。
葵にも幼い頃から大切にしているくまのぬいぐるみがあるらしく、意気投合してぬいぐるみも連れて一緒に旅行に行こう、ということになった。
ともあれ、旅行は楽しみだ。スーツケースの中で電車に揺られながら、到着を今か、今かと首を長くして待つ。早く外に出たい。
旅行の玄関口となる駅に着く。カノンはスーツケースをコインロッカーに預けて、財布やスマホなど手回り品と共に僕をリュックに入れてくれる。リュックの口から僕は顔だけ出す。
葵も、少し大きめのトートバッグにくまのぬいぐるみ———テディベアだ———を入れて連れて歩くようだ。
実は葵は、そんな素振りは微塵も見せないが、もの凄く"お嬢様"であるとのこと。
このテディベアもアンティークの値がはるものなのだろうか。身に付けているチェックの服もきっとオーダーメードなのだろう。
カノンと葵は散策を始める。モダンな商業施設と一体化した駅から少し歩くと昔ながらの城下町に茶屋が軒を連ねる。市場もあるようだ。
カノンと葵は茶屋街のカフェに立ち寄り、パフェをオーダーする。フルーツ、プリン、クリームが芸術的に積まれている。どこから食べれば良いのだろうか?絶妙なバランスだ。
美味しそうだなぁ、僕も食べたいなぁ、と思っていると、葵が席を立った。化粧室へでも行くのだろう。
カノンがこそっと僕に話しかける。
「くま、ひと口、あげよっか」
「うん。食べたい」
カノンはいつものように僕の口元をパフェに近づけてくれる。僕はアムっとパフェを味わう。
「あま〜い!美味しい!」
「よかったねぇ〜、くま〜」
その時だ。視線を感じた僕はサッとその方向を見遣る。ん!テディベアと視線が合った・・・ような気がした。・・・テディベアは微動だにしていない。なんだ、気のせいか。
◇◇◇
夕方———。カノンと葵は少し早めに街歩きを終え、旅館に着く。和室とベッドルームを備えた少し贅沢な部屋に通される。
「いっぱい、歩いたね〜、葵」
和室の座椅子にもたれながらカノンが言う。
「そうだね〜カノン。美味しいものも沢山、食べたね〜」
「旅館の夕飯もあるから、これからまたお腹を空かせなきゃね」
「だね。ゆっくり温泉に浸かってお腹空かせよ!」
そう言って二人は温泉へ行くために部屋を後にする。
僕はベッドの上に座り部屋の床の間に飾られた花を愛でながらカノンたちの帰りを大人しく待つことにした。
「ムッ!」
まただ。視線を感じる。僕は身構えてテディベアを見る。
「ヌッ!」
僕の緊張を感じ取ったのか、テディベアが反応する。
「何者だ!?」
僕はテディベアに向けて声を放つ。
「どうやらワタクシと同じ、と言うことらしいですな。私はテディベアのセオドア。貴殿は?」
年代モノのテディベアということか?
「僕はくまだ」
「くま・・・。ええ、そのようですな。貴殿は熊だ。名はなんとおっしゃる?」
「くまだ」
「これは失敬。主人殿に名付けてもらえなかったのですな。ぬいぐるみへの想いが足りない主人殿とは・・・お可哀想に」
「む!カノンを侮辱するな!!1歳で『くま、おいで』って喋ったんだぞ!君こそテディベアで、名前がセオドアなんて、なんの捻りもない。そのまんまじゃないか!」
僕は、セオドアとやらにカノンのことを悪く言われたような気がしてカチンと来た。
「くま殿、我が主人への無礼は許しませんぞ!幼少の頃より米国大統領の名前を存じていたのだ!大した御仁なのだぞ!」
「ふん!」
怒りを葵に向けるのはちょっと違う気がして、僕は反論するのをやめた。だが怒りは収まらず、不貞腐れる。
しかし、セオドアはまだ言いたいことがあるようだ。
「くま殿、同じぬいぐるみとして、一つ物申したい。昼間、カフェでくま殿はカノン殿と話しておりましたね。くま殿は、ぬいぐるみの立場を逸脱して、自我を持っていることを主人に明かしたということですな。これはぬいぐるみ原理、ぬいぐるみ道に反する行いとなりますぞ。ぬいぐるみたちの良心の下、脈々と引き継がれてきた精神である為、取締りや罰則などはございませんが、これは由々しき事態ですぞ。以後、重々肝に銘ずるべきですな」
「ぬぐっ・・・」
セオドアの主張は尤もだ。僕とて気安くカノンに話しかけた訳ではない。だが、元気のないカノンを見過ごすことはできなかった。主人を想えばこその決断であった。だが、セオドアに言わせれば、それも体の良い言い訳となるのだろう。
「それは・・・。セオドアの言う通りだ・・・」
僕は身を震わせながらそう答えるのがやっとだった。
◇◇◇
温泉からカノンと葵が戻ってきた。夕食の準備が始まり、部屋に膳が運ばれてくる。
「うわぁ!見て、葵!美味しそう!」
「本当だ!私、蟹、初めてかも!!」
二人とも豪華な海の幸を前にはしゃいでいる。
そんなカノンとは裏腹に僕は落ち込んでいる。少なくとも、この旅行中は———セオドアがいる間は———カノンとのおしゃべりは自重しよう。その後のことは、改めて考えなくては・・・。
カノンたちは、夕食をすっかり平らげて、デザートのアイスを食べている。
「美味しかったね!葵!」
「・・・」
「葵?どうしたの?・・・葵!!」
葵の様子が変だ。
「葵!ねぇ!大丈夫?葵!」
カノンも異変に気がつく。これは只事ではない。
葵が倒れた。呼吸ができていないのか?苦しそうだ!
「カノン!!救急車だ!」
と僕が叫ぶ。
「あ、スマホ、どこに置いたっけ!」
「電話なら何でもいい。床の間の電話を使うんだ!」
カノンは返事もせず、床の間にある旅館の電話の受話器を手に取り、番号を押す。
「あれ?繋がらない!どうしよう!」
後でわかったことだが、外線は初めにゼロを押してからかけなくてはならなかったようだ。
「カノン、フロントだ。旅館の人に連絡するんだ!」
何とかカノンは、葵が倒れていることを旅館のスタッフに伝え、救急車を手配してもらえたようだ。
「葵!葵!しっかり!」
「おい!セオドア!!葵に何が起こった!」
「くま、何を言っているの!!?セオドアって誰?」
カノンが状況を飲み込めずに叫ぶが、事態は一刻を争う。構っている暇はない。
「セオドア!!お前にご主人様の命がかかっているんだぞ!セオドア!何が起こったのか答えろ!」
「くま、葵のぬいぐるみに話しかけてるの!?ぬいぐるみが喋れるわけないじゃない!!」
「ア・・・アレルギーだ!!」
セオドアが叫ぶ。
「えっ!?葵のぬいぐるみ・・・?」
「カノン殿、我が主人、葵様は甲殻類アレルギーなのです。先ずは気道を確保してください!!葵様を寝かせて顎を上げるのです!」
セオドアがカノンに指示を飛ばす!
「えっ?あ、はい!!」
カノンはセオドアに言われた通りに懸命に気道を確保しようとする。ゼェゼェと葵は苦しそうだが何とか呼吸はできているようだ。
「カノン殿、救急隊員にも伝えて下され」
救急隊員が到着する。カノンが葵の状況を説明すると、救急隊員が容態を確認し、いち早くアナフィラキシーショックとの判断を下し、対処する。
「アレルギー症状と特定できたお陰で迅速な処置ができました!気道確保も素晴らしい対応でした」
救急隊員がカノンに労いの言葉をかけ、葵を病院に救急搬送した。
◇◇◇
アナフィラキシーショックへの対応が迅速だったお陰か、葵は翌朝には元気いっぱいだった。
「ごめんね、カノン。私のせいで、旅行が台無しだね」
「何言ってるの、葵。葵が無事で本当によかったよ〜」
僕とセオドアは静かに二人のやり取りを見つめている。
「私、アレルギーだったんだね〜。蟹、食べたことなかったから知らなかったよ」
そうなのだ。昨日、セオドアを問いただすと、葵が幼い頃、蟹を食べてアレルギー症状が出たらしい。幼かった葵は恐らく覚えてないのだろう、とのこと。
それ以来、執事は、葵が蟹を口にする機会がない様に細心の注意を払っていたようだ。屋敷での食事はもちろん、お昼ご飯はいつも弁当を持たせていた。
「私ね、アレルギーの症状でほとんど意識を失っていたんだけど、セオドアが、あっ、セオドアってこのテディベアちゃんね、セオドアが、私のこと一生懸命守ってくれたような気がして・・・。夢なのかなぁ?」
うん、うん、とカノンが頷いてる。
葵が言葉を続ける。
「それとね、今朝も夢を見てて。そこにもセオドアが出てきて。カノンのくまちゃんにお礼を伝えてくれって、セオドアが言うの。くま殿、とか呼んでたよ〜。なんか不思議な夢だったなぁ」
「そっか。葵のテディベアちゃんも葵のことが心配だったんだよ、きっと」
カノンが葵に優しく微笑む。
◇◇◇
旅行から帰って来て数日後、
「葵から小包が届いてる。何だろうなぁ?」
とカノンが呟く。
小包を開梱したカノンが声をあげる。
「わぁ〜、可愛い!くまの服だよ〜見てぇ〜!」
きれいな化粧箱から小さなタータンチェックの服をとりだす。そして、有無を言わせず、それを僕に着せる。
「・・・」
なされるがままに僕はタータンチェックの服に包まれた。
「わぁ!くまぁ〜!ピッタリだね〜!」
「はぁ〜。カノン。僕、セオドアのこういうとこ、やっぱり嫌い。何であいつとお揃いの服なんだよ」
そんな僕の文句をまるっと無視してカノンがにっこりと微笑む。
「くまぁ〜。すっごく、似合っているよ!」
(くまとテディベア おわり)




