ポトフの香り
「くま、ただいま!」
ガチャっと玄関ドアの鍵が開く音に続いて仕事から帰ってきたカノンの声が部屋に響く。なんかご機嫌な様子だ。
「くま、聞いて!望月くんと話した。謝ったよ。これからは望月くんの考えもしっかり聞いてサポートするって伝えた。わかりました、先輩、って無愛想に言ってたけど、ちゃんと私の目を見てしっかりと話してくれた。きっとわかってくれたと思う」
カバンを床に置きスーツの上着を脱いで床に放置したまま一気に話す。ちゃんと話せたことが余程、嬉しかったのだろうか。いや、片付けが後回しになるのはいつもの光景だ。
「そうか。良かったな、カノン。今日はポトフの日だな」
「えっ?何それ?」
「良いことがあった日はポトフと決まっている」
「そうなの?そんな習慣、ウチにあったっけ?」
「あるさ。小学校3年生の運動会でカノンが1等賞をとっただろ?カノンのママはお祝いにポトフをつくったぞ」
僕はベッドにちょこんと座り、誇らしげにカノンの知らないカノンのことを話す。
「そうだったっけ?ポトフかぁ・・・お祝いに限らず、ママはよく作ってくれたっけ。受験勉強の時の夜食とかにも」
そう言ってカノンは本棚の上に飾ってある写真に目をやる。そこには高校生のカノンと微笑みを湛えたカノンととてもよく似た大人の女性が写っている。カノンママとはもう写真の中でしか会えない。
「カノン、作れるか?」
カノンはキッチンの冷蔵庫を開き、食材を確認する。
「玉ねぎ、キャベツ、じゃがいもはあるなぁ。ママはいつもベーコンを入れてくれていたっけ。にんじんはないけど・・・。コンソメと・・・ローリエは最後の一枚・・・。調味料はありそう。まずはこれで作ってみる!」
ヨシ、とカノンは気合を入れて、シャツの腕をしっかり捲り上げ、髪を束ねて、キッチンに立つ。カバンとスーツはまだ放置したままだ。
◇◇◇
僕はカノンのポトフを待つ。包丁がまな板を叩く音が止み、やがてコンソメの良い香りが漂ってくる。
「あとは煮るだけ!」
とカノンが得意気に言う。
「楽しみだ」
僕も応じる。
「そろそろ良いかなぁ」
カノンは深めの皿と小さな器にポトフを取り分ける。
「さ、召し上がれ!くま」
と言うとカノンが僕を小さな器の傍まで動かしてくれる。
「いただきます!」
器の縁をアムっと噛む(実際は口が開くわけではないから、ふり、だ)。
「なかなか美味しいじゃないか!」
「どれどれ、私も。いただきま〜す!」
スプーンにすくったじゃがいもをフーフーと冷ましてカノンも一口食べる。
「ホントだ!美味しい!私、やるじゃん!」
二人(?)でポトフを味わっていると、ふと、カノンが呟いた。
「ママのポトフってさ、もう一味なんかあった様な・・・独特な風味っていうか・・・」
「うむ。確かに。これはこれで美味しいけど、ごく普通のポトフだな。カノンママのポトフとはちょっと違うな」
「くまはママのポトフ食べたことあったっけ?」
「あるさ。運動会の日にカノンがくまにもあげるって言って一口くれたぞ」
「そっかぁ。私、忘れてるんだね」
僕はカノンママのポトフについて思い出してみる。
「もっと色々なスパイスの味がしたな。ガーリックと黒胡椒がもうちょっと効いていたかもな。あとは香りも独特だったな」
「確かに。香りは、あっ、ママのポトフだ!ってわかる香りだった。なんだろう。色々なスパイスとかハーブとか入れてたのかなぁ」
「ちょっと待ってて」
カノンはキッチンにもどる。
待っていると何やら様々な香りがキッチンから漂ってくる。何をやっているんだ、カノンは?
「どうかな?」
そう言ってカノンは小さな器を持ってくる。中を見ると、先ほどは透明な黄金色であったスープが褐色に濁っている。カノンは僕を器に近づける。
「ウッ!カノン、色々な味がごちゃ混ぜになっていて、ポトフなのかどうかもわからない」
「くま!酷い!一生懸命、つくったのに!」
「ごめん、カノン。でも、これは優しさで取り繕える次元を超えている。カノンも食べてみてよ」
カノンは小さな器を手に取り、得体の知れない液体———ポトフだったもの———を口に含む。
「うわっ!なにこれ!?確かに、酷い!」
「なにこれって・・・。カノン作のポトフだろ」
「まぁ、そうなんだけど・・・」
「何をした?カノン?」
「取り敢えず色々加えてみたんだけど・・・」
「色々混ぜすぎだぞ、カノン。明らかにカノンママのポトフとは違う風味がある。まずはそれを候補から排除しよう」
「何が違うかなぁ?」
「中華の風味とオリエンタルな風味は除こう。和風もいらない。カノンママの風味は欧州っぽかった」
「う〜ん。そうなると除くのはオイスターソース、鶏ガラの元、パクチー、ナンプラー、鰹出汁、味噌かな」
と無邪気にカノンが答える。
「うわぁ・・・そんなに色々、入れてたんだぁ・・・」
流石の僕も引いてしまう。どおりで、百年近くのぬいぐるみ生活でも、なかなかお目にかかったことはない味なわけだ。
「それ以外は何を加えたんだ?」
「えっと、ローリエは最初のポトフを作る時から入れてて。追加したのはにんにく、バジルかなぁ」
「方向としてはそっちだな。ハーブを色々試すのが良いんじゃないのか?週末、スパイスの品揃えが良いスーパーに行ってみよう」
「そうだね。そうしよう」
こうして僕はカノンとカノンママのポトフを探すことにした。
◇◇◇
カノンはスーパーで買い物だ。僕は連れて行ってもらえなかった。「連れていってくれ!」とお願いしたが、「この歳でくまのぬいぐるみを連れて歩くのはさすがに恥ずかしい」と言って、聞き入れてはくれなかった。
帰ってくるとカノンは買ってきたスパイスをテーブルに広げる。
バジル、オレガノ タイム ローリエ ローズマリー、セージ、フェンネル、セイボリー、山椒、カルダモン、サフラン、など聞いたことがある名前のスパイスを手当たり次第、買ってきたようだ。
計画性がない様にも思えるが、香りは結局のところ体感しないとわからないから、致し方ない。
胡椒はミル付きのちょっと良いやつだ。その隣には岩塩もある。これは贅沢なのではないか、カノン。
「ヨシ、作るぞ!」
気合を入れてカノンは料理を開始する。僕は黙ってカノンを見守る。
テーブルで待っていると小さな器がたくさん運ばれてきた。
「くま!試してみて!この間の最初のポトフをベースにハーブを一種類ずつ加えてみたんだ」
「なるほど。一つの器毎に一つハーブというわけか」
全部ごちゃ混ぜにした前回とは大違いだ。学んだな、カノン。
カノンは自分で一口、味見をした後、一つずつ器を僕の口元に運んでくれる。アム、アムとカノンに続いて味見をする。
「これは違うかな」
とカノン。
「うむ。そうだな」
と僕が続く。
「ん!これはありかも!」
「おお!確かに」
そんな感じで、幾つか、入っていそうなスパイスを選択する。
そしてその組み合わせを試してみる。
何度もそれを繰り返して・・・。だいぶ近づいた気はする・・・しかし・・・。なかなか「まさにこれ!」っていう香りには出会えない。
もう、ヘトヘトだ。どの香りを嗅いでも同じに感じてきてしまう。
「う〜ん」
「う〜ん」
二人で唸り声をあげる。
「なんかさ〜」
「うむ。なんかなぁ〜」
お互い相槌を打ち合う。
「違うんだよね〜」
と声を揃える。
「くま。今日はここまでにしよ」
疲れたぁ、と僕はベッドにコロンと転がる。するとカノンが
「これ、安眠できる香りなんだぁ」
と言って手に取ったスプレーをシュッっとして、僕にミストを吹き付ける。
「うわぁ!なにをする!カノン!・・・ん!?」
「どうしたの?くま?」
この香り・・・。
「これと同じ香りが、カノンママのポトフから、ほのかに香っていたんじゃないか!?」
「ん?どれどれ?」
カノンは僕をベッドに置き、掌をうちわの様にして顔の前であおぎ自分の鼻に風を送る。なんだ?理科の実験か?
「カノン、僕は危険な薬品ではないぞ」
そんなツッコミも全く気にせずに
「うん。うん、うん!これかも!これだ!!」
とカノンも同調する。
「ラベンダー!!」
と声が重なる。
「そうだ。この香り。ポトフもそうだけど、私が寝付けなくって泣きべそかいてた時、ママがラベンダーのドライフラワーを花瓶にさしてくれたっけ」
「ああ、覚えているぞ。修学旅行の前の日だな!あったな、そんなこと」
◇◇◇
次の週末、カノンは、ほんの少しの食用のドライラベンダーと僕をカバンに入れて、パパのリストランテに行く。
「パパ、ただいま〜!今日は私がスペシャルな料理を作ってあげるね〜」
「おかえり、カノン。どんな風の吹き回しだい?」
「厨房、借りるね!あと、食材も」
「ああ、いいよ。食材はくれぐれも傷まないようにお願いね。冷蔵庫は開けたら直ぐに閉めておくれよ」
「ありがとう!気をつけるね」
僕は調理台の片隅に置かれたカノンのカバンから様子を窺う。
カノンは市販のコンソメスープの素を持ってきている。こういう便利な調味料はパパの厨房にはない。
鍋にコンソメスープを作り、タマネギを煮込む。
ベーコンはフライパンで焼いてから鍋に加える。家庭の料理だから牛肉をじっくり煮込むような本格的な作り方ではない。
にんじん、じゃがいも、キャベツを加える。ママのポトフにはセロリはない。カノンが嫌いだから。
野菜に火が通ったら、ガーリック、ローズマリー、オレガノ、ローリエを加えて、野菜が柔らかくなるまで煮込む。
そしてドライラベンダーをひとつまみ。カノンは顔に近づけて、その香りを吸い込む。そして、ドライラベンダーを鍋に加え、一煮立ちさせる。
少し深めのお皿に取り分け、最後に黒胡椒とパセリを振る。
どこまで正確にカノンママの味を再現できているかはわからない。カノンの匙加減の部分もある。でも特徴はとらえている筈だ。
カノンがリストランテのテーブルに二人と一匹分のポトフを運んでくれる。僕も運ばれてテーブルに着席する。
「パパ、できたよ。ポトフだよ!」
「お、美味しそうだね。いただきます」
カノンパパがスプーンでスープをすくい口にする。
「ああ、この香り・・・懐かしい。ママのポトフだ」
カノンはポトフを食べながら、うん、うん、と満足げに頷く。パパが言葉を継ぐ。
「もう二度と食べられないと思っていたよ・・・。ちょっとワインを選んでくるね」
カノンパパは顔を隠してそそくさと厨房に戻る。
パパが厨房に戻っていくのを見届けて、カノンは、僕をポトフのお皿に近づけようと、持ち上げる。
「あれ?くま、なんで湿っているの?」
「湿っているとは失敬な!もらい泣きだ!僕も泣いているんだ!」
カノンは状況が飲み込めず、不思議そうな顔で僕を見つめていた。
(ポトフの香り おわり)




