ロッソとビアンコ
ある日、カノンが吾輩に話しかけてきた。
「ねぇ、くまぁ。くまはイラッとすることある?わたし、言う通り仕事を進めてくれない会社の後輩に最近ずっとイライラしてて。いつもは我慢していたんだけど、今日、ついに我慢できなくなってさ・・・キツく言ってしまったんだよね・・・。それで後輩に拒絶されてしまって。後悔してるし、反省してるし・・・」
そっか。仕事で後輩とうまくいってないのか。気持ちはわかるぞ、カノン。吾輩はいつも一匹だけど、もし後輩のくまがカノンのベッドでちゃんと留守番ができてなかったりするとイライラしてしまうだろうな。
「落ち込んでいるんだぁ・・・わたし」
ぬいぐるみに話しかけるなんて、相当落ち込んでいるのだな。
「元気だせよ、カノン!」
思わず声が出た!
「えっ!?・・・うわぁぁぁあっ!!」
カノンは状況を認識するのに暫し時間がかかったが、吾輩が喋ったのを認識するや否や、部屋の端っこまで、もの凄いスピード後退りし、ドン引きした表情で吾輩を見つめる。
「喋った・・・?」
「・・・あ、いや、カノン、元気ないなって。吾輩も少し心配していてだな・・・」
と様子を窺いながら吾輩は話す。
「わ!わ!わあ!・・・ハッキリと喋ってる!怖っ!ってか、なんで?くまだよね?ぬいぐるみだよね?」
「いかにも、くまだ」
「・・・どうしよ。川に捨てる?いや、戻ってきたらますます怖いよ。そうだ!お祓い!?お寺でお焚き上げ?神社の方がいいのかな?海外製っぽいから教会?」
カノンはドン引きしながらも、吾輩をどう処分しようか、と考えている。25年も連れ添ってるのに酷い!!
「待て待て、カノン!なんて物騒な。25年も側にいたのに」
「うわっ!記憶もあるんだ!?ますます、くまじゃん!」
とベッドに近づいてきて、吾輩を指でツンツンする。
「いかにも。吾輩はくまである」
暫く、じっと吾輩を見つめる。再びツンツンして、距離を詰めてくる。吾輩の頭をグリグリと撫でる。両手で吾輩を掴み、抱き上げて下からもジロジロと観察する。
そしてむぎゅっ〜と吾輩をベッドに押し付けて
「柔らか〜い。いつものくまだ。機械仕掛け、とかではなさそう」
と言う。扱いが雑だな、カノン。
そして「そっか、そっか、くまは喋れるのか」と一人で頷いている。カノンなりに状況を飲み込もうと努力している様だ。
「———で?くま、君はなんなの?」
「吾輩は・・・くまである・・・。元々、あの雑貨屋でカノンに買われる時点で、だいぶ年季の入った——アンティーク?ヴィンテージ?みたいな、ぬいぐるみであったからな・・・付喪神みたいなものではなかろうか・・」
「ツクモガミ?何それ?怨霊?」
「いや、人の念とは違う。そっち系ではない。大切に長く使ってもらったものに宿る神・・・妖のように言われることもあるが・・・精霊に近いと自分では思っている」
「そっか。とりあえず、誰かの怨念みたいなものではないってわかった・・・。わかったけど"吾輩"はやめよっか。ちょっと古臭いし悪魔みたいだから。"僕"にしよ」
そう言ってカノンは吾輩を手から放しベッドサイドに置いた。
何故、悪魔なのか?その時はよくわからなかったが、後に「閣下」と呼ばれる悪魔が、自身を指す一人称に吾輩を用いていることを、テレビを見て知った。さすがにこのキャラクターとは違うな。
「・・・わかった。吾輩は僕だ」
カノンに言われ、吾輩は一人称を"僕"に変更した。カノンは満足気に、うん、うん、と頷いている。
吾輩、いや僕はベッドサイドでぴょんと小さく飛び、カノンの方に向き直る。
「カノン、わがは・・、僕はカノンが心配なんだ。もしよければ話しを聞かせてくれないか?」
「ありがと、くま。でも、くまに聞いてもらってもね・・・」
「僕では不満か?」
「不満って訳ではないけど・・・仕事の話しだからねぇ・・・」
「よし、わかった。では花火を見て元気を出そう。今夜は市民花火大会だ。このアパート屋上からなら少し遠いけど見えるだろ」
「そっか。花火か。最近、そういうの、ちゃんと楽しめてないなぁ・・・。うん。行こ、屋上」
◇◇◇
アパートの屋上から見る花火はだいぶ遠い。でも夜空に広がる光の輪は、腕時計の文字盤くらいの大きさには見えた。
「カノン、愚痴、言っていいぞ」
「聞いてもらおうかなぁ」
「ああ、話すがよい」
◇◇◇
うん。あのね、春から後輩の指導を任されているの。わたしの部下って訳じゃないけど、課長からわたしが指導係に任命されてね。
後輩は入社2年目の望月くんって男の子。新卒で入ってきたから社会人としても2年目ね。だから会社の細々としたこと——業務報告書とか請求書の処理とか出張の手続きとか——はある程度わかっているのね。
だから、わたしが指導することはもうちょっと大きな仕事———ウチの会社のある商品をM社さんとコラボして今年度末には前年度比50%増の売り上げを達成すること———なんだ。
どうやってM社にアプローチするかは私たちに任されている。どう提案してウチの会社とM社がどんな売り方をするのか、も考えなきゃいけないんだ。
私なりに色々考えて・・・。こうしようとか、こうしたいからこれをやって欲しいとか、本当にたくさん考えて、ミィーティングも頻繁にやって、望月くんに言ってたんだ。
でも、全然その通りには動いてくれなくって・・・。ずっと我慢してたけど、この間、M社さんへのプレゼンで望月くんが勝手な提案をしてね。
その会議の後で、なんでそんな勝手なことするの!って、私、言っちゃったんだよね。
望月くんの提案は、既に私も考えてたアイディアで。可能性としてはなくはないんだけど、懸念事項があってね。だから私は、その懸念事項を回避する為に違う進め方を考えていたんだよね。それを相談もなしに提案されたから・・・。そのアイディアはダメだよって望月くんに言ってしまって。
それをきっかけに、お互い感情的になっちゃって。なんで僕のアイディアではダメなんですか、とか、じゃあ先輩がやった方がいいんじゃないですか、とか言われてしまって。君の仕事なんだよ、よく考えて責任感持ってよ、って言ったら、なんか無理やり黙らせたみたいになっちゃって。すっごく雰囲気、悪くなっちゃったんだよね・・・。
◇◇◇
「うむ。そうか。確かに仕事の話を僕にされても、どうしてやることもできないな・・・」
「うん。いいよ。聞いてくれてありがと、くま」
花火大会もそろそろクライマックスのようだ。これまでより高く上がった花火が幾重にも大輪を咲かせている。
僕とカノンは黙ってそれを眺めている。
「カノン。考えていること、当てよっか」
「・・・うん、当ててみて」
「僕、カノンの背中から、カノンとカノンのパパと見た花火を思い出してた。カノンもそうだろ?」
「そう。そうだね。よくわかったね」
深い紺碧の空に広がった花火の残光が柳のように揺らめきながら消えていく。バババン、と花火の爆ぜた音が遅れて聞こえてくる。
「そうさ。カノンのことはカノンより知ってるぞ」
「小学校の高学年ぐらいの頃だったかなぁ。メイン会場から少し離れた橋の上にパパに連れて行ってもらったね。私、くまも連れて行ったね。幼稚園に入る前に使っていた小さなリュックサックにくまだけ入れて。子供っぽいから少し恥ずかしかったけど、夜で誰にも見られないだろうからって・・・。音は少し遅れるけど、ドンって花火の音が心臓に響いてたね。夜空に広がる花火の大輪は綺麗に見えた」
「ああ、音が凄くて迫力があったな」
カノンからの反応はない。
「・・・カノン、泣いてるのか?」
「・・・泣いてないよ・・・。涙が出てるだけ」
「それを泣いているって言うんじゃないのか?」
「違う。これは泣いてない。泣くのは我慢してる。涙が溢れてるだけ」
泣いているカノンにどう声をかけたら良いかわからずにいる。これでは僕はただのぬいぐるみじゃないか。
カノンが言葉を発する。
「就職する時にね、私、パパに反発してたんだよね。大きな会社に入って、もっと広い世界で仕事をするんだって。全然、今、できてないよ・・・」
「パパのお店は嫌いなのか?」
「ううん。そうじゃない。ただ、ずっと厨房にいて毎日、料理作ってお客さんに食べてもらって。その繰り返しが狭い世界みたいに見えていたんだよね」
「パパはなんか、言ってたか?」
「うん。『カノン、一つだけ覚えておいて。会社の大きさと仕事のつながりや広さは関係ないんだよ』って言ってたな」
僕がカノンのベッドで留守番をしている時、カノンは仕事をしている。仕事は僕の知らない世界だから、僕は返す言葉が思い付かないし、時間を埋めてくれる花火ももう上がらない。
「・・・カノン、久しぶりにカノンのパパの料理が食べたい!食べさせてくれ。ワインも飲みたい!」
と、僕は何の足しになるのかわからない提案で時間の隙間を埋めた。
「えっ。食べられるの?べっちゃべっちゃに汚れちゃうよ」
「ちょっと口に運ぶ真似事をしてくれれば、味を感じ取れる。明日、久しぶりにパパのリストランテに行こう!」
「・・・ここのところ帰ってなかったなぁ。わかった。行ってみよっか」
◇◇◇
テーブル席が4つの小さなリストランテ。高価ではなく、かと言って安っぽい雰囲気はなく、少しだけ贅沢したい日に立ち寄りたくなる。カノンのパパのリストランテはそんな隠れ家のようなお店だ。
「パパ、ただいま」
「やぁ、おかえり、カノン。おや、懐かしいな。くまのぬいぐるみを連れてきたのかい」
「うん。久しぶりにパパの料理が食べたいって、くまが言っている気がしてね」
「今日はお店はお休みだから、くまと好きなところにお座り。厨房にあるものでディナーを作るよ」
今日はウェイターさんはいない。カノンのパパが近くにいる間、僕はぬいぐるみを演じて、四人掛けのテーブルのカノンの隣の椅子にちょこんとおとなしく座った。
カノンのパパが食前酒と前菜を持ってきてくれる。調理のためにパパが厨房に戻ると、カノンが
「これ、食べる真似事をすればいいの?」
と聞いてくる。
僕は、うんうんと僅かに首を動かす。それを認め、カノンはフォークでモッツァレラチーズとトマトの前菜を僕の口元に運んでくれる。アムッとぼくも食べる真似事をする。
「う〜ん!バジルとオリーブオイルの香りがいい!塩加減も絶妙だな!」
「ふ〜ん。ちゃんと味がわかるんだ、くま」
カノンは僕の口元に当てたカプレーゼをパクッと食べ、食前酒をちびちび飲んでいる。
「アラカルトになってしまうけど、今日のメインのピアットだ」
とカノンのパパがパスタをふた皿、持ってきてくれる。無論、カノンとカノンパパの分だ。
トマトとガーリックのソースの香りとバジルの爽やかな香りが混ざり周囲に広がる。パパは一度、厨房に戻り、ワインとグラスを持ってテーブルに座った。
「グラスで出しているヴィーノ・ロッソ(赤ワイン)の残りだけど、空気を抜いて保管しているから美味しさはそのままだよ」
そう言ってグラスにワインを注ぐ。
「ありがと、パパ」
改めて、いただきます、と言ってカノンはパスタを一口食べる。
「美味しい!これなんて言うの?」
「ピーチ・アル・ポモドーロ。ヴィーノ・ロッソはキャンティだよ」
カノンのパパはカノンが美味しそうに食べるのをみて、ようやく自分もパスタと赤ワインを口に運ぶ。
「パパのお店、色々と工夫してるんだね。お店の雰囲気とメニュー、価格設定とか。私も仕事をする様になってようやくわかってきた」
「そうだね。お客さんからお金を頂くってことは、それに見合う以上の満足を提供するってことだからね。パパもパパなりに考えて工夫しているよ」
「パパなりに・・・か」
カノンパパは特に返事は返さない。カノンが何か話すのを待っているみたいだ。
「あのね、パパ。仕事でね、初めて後輩の面倒をみる担当になったんだ。一緒に取り組むのは、これまでより大きな仕事だから、私なりに考えて、あれやこれや細かく言ってしまって。でも全然、思う通りには動いてくれなって、喧嘩みたいになっちゃったんだよね。じゃあ、先輩がやった方がいいんじゃないですか、って言われちゃったんだ」
「カノン、初めてだね。仕事の話」
カノンパパはキャンティをゆっくりと飲む。グラスを口から離してテーブルに置き、ゆっくりとした口調で話す。
「カノン。カノンは仕事をする様になって5年ぐらいかな。カノンがこれまでやってこれたのは、先輩の指示通りに動いたからなのかな?」
「・・・」
カノンは答えられずにいる。う〜ん、と考えてグラスの赤ワインをコクっと飲む。
「きっと、カノンなりに考えて仕事をしたからなんじゃないのかな」
「・・・そうかもしれない」
「だとしたら、後輩と上手く仕事をする方法はなんだと思う?カノンのやり方で後輩に仕事をしてもらうこと?それとも後輩なりのやり方で仕事をしてもらうこと?どっちかな?」
「それは・・・。そっか。そういうことか。私のやり方が良かったんじゃない。私が私なりのやり方をしたから良かった・・・」
「きっと、そうだね。パパが修行をしたのは都内の高級店だったからね。ここで同じことをしても上手くいかない。ここはパパなりのリストランテなんだよ。トスカーナ地方の料理にこだわっているのもパパなりの考えなんだ。ここにくればトスカーナと同じものが食べられるって思ってもらいたくて」
そう言われて僕は改めてカノンパパのリストランテを見回す。木のテーブルの質感、照明、お皿やグラス。全てが緊張せずゆったりと寛げるイタリアの長閑な田舎の空気感を纏っている様に見えてきた。まるでカノンパパそのものだ。
カノンパパが言葉を続ける。
「よく、正解なんてないんだ、という人がいるけどパパの言葉で言えば少しニュアンスが違うんだ。正解はない、と言っても間違った答えはある。でも正しい答えは一つではない。多くの正解があるんだよ。カノンならこのお店、どう作る?」
グラスワインをちびちび飲みながら聞いていたカノンが考える。
「私は・・・甘いワインも飲みたいから、自家製のサングリア、作っちゃおうかなぁ」
「そうだね。百万円のワインはこのお店には不正解だろうけど、自家製のサングリアはたくさんある正解の一つだよ。パパはトスカーナ地方の料理とワインを大事にしようと思った。でも、それと違っていても正解だと思うよ、カノン」
「そっか。私とは違う望月くんの答えもきっと正解ってことか・・・そっか。そうだね」
なんか、カノンは良い方向に向いたみたいだ。難しいことはわからなくても、僕にだってそれは感じ取れる。
「じゃあ、パパが選ぶ別の正解をおかわりしようかな。このパスタに合う白ワイン!」
カノンパパは優しく微笑むと、「うん、わかった。ヴィーノ・ビアンコだね。選んでくるよ」と言ってテーブルを立った。
「僕も飲んでみたい!」
「しーっ!喋らないで!」
厨房に向かっていたカノンパパが振り返る。
「ん?カノン、なんか言った?」
「ううん。何でもない。独り言」
戻ってきたカノンパパは、新しいグラスをテーブルに置いて、カノンに白ワインを注ぐ。
「パパ、ありがと」
カノンは一口飲んで言葉を継ぐ。
「美味しい。確かにこれも正解だね!」
テーブルに戻したグラスにカノンは僕の顔をこっそりと近づけてくれた。
アムッ。ゴクッ。
(ロッソとビアンコ おわり)




