プロローグ
吾輩は熊のぬいぐるみである。名前は「くま」だ。
何処で作られたのかは見当がつかぬが、雑貨屋の店先に並んでいたところを、とある女の子に「くっま、くっま」「おいで」と呼ばれ、父親であろう男に買われたことは記憶している。
店で吾輩を呼んでいた1歳の女の子が吾輩の新たな主人となった。名をカノンという。
幼いカノンは吾輩を「くっま」とか「くんま」と呼んだ。
普通は親が「何かぬいぐるみに名前をつけてあげなよ。男の子かなぁ?女の子かなぁ?」などと言って名前をつけるものではないだろうか?犬にポチとかシロとか名付けるように。
しかし、残念ながらカノンの親にその様な素振りはなかった。「カノンはくま、お気に入りだね」「カノン、くま、抱っこしてあげなぁ」と吾輩のことを、親しみを込めカノン同様に「くま」と呼んだ。
そしてカノンがしっかり喋れるようになった頃には、吾輩を「くま」と呼ぶ習慣は、そのまますっかりと定着してしまった。
そして25年。幸せなことに吾輩は捨てられることなくずっとカノンの側にいる。カノンの持ち物の中では最も古参である。ただし昔ほど可愛がってはくれない。
カノンが歩ける様になった頃、吾輩は初めてカノンと旅行をした。背中に吾輩だけを詰めた小さなリュックサックを背負いちょこまかと歩いてくれた。新幹線や飛行機も一緒に座った。吾輩はカノンのリュックサックから顔だけを出してカノンと一緒に景色を楽しんだ。異国だったのかもしれない。
今、吾輩は、一人暮らしをしているカノンのシングルベッドの片隅にポツンと置かれている。昔ほど必要とされてはいない。たまにカノンが眠りにつく時、気まぐれにキュッと顔のそばに抱き寄せてくれる程度である。
気まぐれなのは別にいい。大人になると人間はぬいぐるみで遊ばなくなることは知っている。吾輩が気にしているのはそんなことではない。
カノン、最近、元気ないなって、実は心配しているのだ。




