第六話 やっと見つけた人
木々の間に見える直線へ向かって、結衣はゆっくり歩いた
距離が縮まるにつれて、それまで木の幹や枝に紛れていたものの形が少しずつ分かるようになる
四本の柱らしきものが立ち、その上に傾斜のついた屋根が載っている
壁はほとんどなく、森の中へ簡単な屋根だけを作ったような形だった
「……やっぱり建物だよね」
『複数の加工された木材を組み合わせた構造物である可能性が高いと判断します』
「人が作った?」
『道具を使用できる存在によって作られた可能性が高いです』
その言葉を聞いた瞬間、結衣は歩みを止めた
今まで見つけたものとは違う
大きな足跡を見ても、それをつけたのが人間だとは限らなかった
木の傷も、加工されたように見えた木片も、それだけでは確信できなかった
けれど目の前にあるものは、何本もの木を同じくらいの長さへ整え、それを組み合わせ、雨を避けられる形にしている
「……ほんとにいるんだ」
誰に言うでもなく呟いた
『少なくとも、人工物を製作できる存在がこの周辺を利用している、または過去に利用していたと考えられます』
「うん」
分かっている
まだ人間だと決まったわけではない
今も近くにいるとも限らない
それでも、誰かがここにいた
その事実だけで胸の奥が落ち着かなくなった
「近づいていいかな」
『先に周囲を確認することを推奨します』
「私もそう思った」
結衣はすぐには人工物へ向かわず、少し離れた場所から身体の向きをゆっくり変えた
「右側から」
『確認します』
木々の間を映す
「次、後ろ」
『現在の範囲では動く対象を確認できません』
「左は?」
『同様です』
「音は?」
『風による葉の擦過音、水音、複数の生物由来と思われる音声を検出しています。人の会話と判断できる音声は検出していません』
「よし」
結衣は小さく息を吐いた
「じゃあ行ってみよ」
歩き出す
近づくほど、人工物の造りがはっきり見えた
柱には枝を落とした跡があり、表面の一部は平らに削られている
屋根には細い木が何本も渡され、その上へ別の素材が重ねられていた
「屋根、葉っぱかな」
『植物由来の素材に見えます。ただし種類は特定できません』
「雨宿りするところ?」
『可能性はあります』
「家にしては壁ないもんね」
結衣は入口らしい方向へ回り込んだ
屋根の下には誰もいない
そこでようやく少し肩の力が抜けた
「お邪魔します……って言っても誰もいないか」
『現在確認できる範囲に人型の対象はいません』
「一応ね」
誰のものか分からない場所だからこそ、勝手に踏み荒らすようなことはしたくなかった
結衣は足元を見ながら中へ入った
屋根の下は想像していたより広く、数人なら十分雨を避けられそうだった
端には太い木を横向きに置いたものがあり、表面だけが平らになっている
「これ座るやつかな」
『座具として利用された可能性があります』
「やっぱり?」
手を伸ばしかけたが、触る前に止める
「……まだ触らない方がいいか」
『所有者が不明であるため、その判断は合理的です』
「人の物だったら嫌だしね」
さらに中を見る
中央から少し外れた場所に、石がいくつも集められていた
「これ何だろ」
近づくと、その中心だけ地面が黒い
黒くなった木片も残っている
「……火?」
『燃焼痕を確認できます』
「あ、焚き火したんだ」
結衣はしゃがみ込んだ
自分が苦労して火を作ったばかりだからこそ、以前よりもその痕跡が気になった
石を周囲へ置き、その内側で火を使っていたらしい
「私のよりちゃんとしてる」
『比較対象としては、こちらの方が火床として整えられています』
「そういうところまで比較しなくていいの」
言いながらも少し笑ってしまう
けれどすぐに、別のことが気になった
「これ最近使ったか分かる?」
『外観だけでは正確な経過時間を推定できません』
「熱残ってたら近くにいるかも」
『直接触れずに確認してください』
「分かってる」
結衣は灰の上へ手を近づけた
少しずつ距離を縮める
「……熱くない」
『はい』
「完全に冷めてる感じ」
だからといって何日前なのかまでは分からない
昨夜なのかもしれないし、もっと前かもしれない
「他に何かないかな」
結衣は立ち上がった
ただ待っていても誰かが来てくれる保証はない
それなら、ここを使った誰かがどこから来て、どこへ向かったのかを探した方がいい
「AI先生、出入りしてる方向分かりそう?」
『地面の状態を確認します。視点を下げてください』
「こう?」
『はい。そのままゆっくり外周を移動してください』
結衣は屋根の周囲を歩き始めた
地面には草が生えているものの、人工物のすぐ近くだけは少なくなっている
何度も踏まれたからなのか、それとも建てる時に取り除かれたのか
「こっち?」
『現在の方向には明確な連続性を確認できません』
「じゃあ反対」
少し回り込む
『停止してください』
「ん?」
『正面約三メートルの地面を確認してください』
結衣は目を凝らした
最初は分からなかった
けれどよく見ると、そこだけ土が露出している
さらにその先も、完全にはつながっていないものの、同じように草の薄い場所が続いていた
「道?」
『通行によって形成された可能性があります』
「これ辿ってみる?」
『人工物を利用した存在の移動方向を確認するという目的であれば、有効な選択肢です』
「じゃあ行こ」
結衣は歩き出した
数歩進んだところで、ふと思い出して振り返る
「ここも記録して」
『位置と周辺映像を記録します』
「帰ってくるかもしれないからね」
人工物を目印として覚え、自分でも周囲の木の形を確認する
そして道らしき場所へ戻った
歩き始めてしばらくすると、人工物へ来るまでに辿っていた細い痕跡よりも、こちらの方が明らかに分かりやすいことに気づいた
「人が通ってそうじゃない?」
『継続的な通行によって植生が減少した可能性があります』
「足跡は?」
『確認できる範囲では明瞭な足跡はありません』
「そっか」
それでも期待は消えない
少し進むたび、周囲に何かないか探す
以前は森の中にあるものすべてが知らないものに見えていたが、今は目的がある
道から外れないこと
人工的なものを探すこと
危険そうな場所ではAI先生にも確認してもらうこと
やることが分かっているだけで歩きやすさが全然違った
「AI先生、このまま道だけ追えばいいかな」
『周囲の変化も確認することを推奨します。道そのものが途中で分岐する可能性があります』
「じゃあ分かれそうだったら教えて」
『はい』
結衣は歩き続けた
やがて道が少し下り始める
傾斜自体はそれほど急ではない
ただ、地面に小さな石が増えてきた
「ここ滑りそう」
『右側の方が露出した石が少なく見えます』
「じゃあ右」
数歩横へずれる
確かにこちらの方が足を置きやすい
「こういうの助かる」
『前方約五メートルに根が露出しています』
「見えた」
根を跨ぐ
今度は着地する場所まで確認してから足を下ろした
「よし」
少しずつ、知らない場所の歩き方にも慣れてきた気がする
もちろん一人なら同じようにはできない
でも自分が歩いて、AI先生が周囲を補ってくれるなら、少なくとも何も考えず進むよりずっと安心できた
「……ん?」
結衣は足を止めた
『どうしましたか』
「なんか聞こえなかった?」
耳を澄ませる
風
葉が擦れる音
遠くの水音
その中に、一瞬だけ違うものが混ざったような気がした
「今、コンって」
『音声記録を確認します』
結衣は黙って待った
『約四秒前に短い衝撃音を検出しています』
「やっぱり」
『発生源は特定できません』
「木が落ちたとか?」
『可能性はあります』
「他には?」
『石同士の衝突、木材への打撃、動物による物体の移動など複数の可能性があります』
「……人が何かしてる可能性もある?」
『あります』
結衣の声が自然と小さくなった
「どっちから?」
『マイクのみでは正確な方向を特定できません』
「じゃあちょっと待つ」
その場で立ち止まる
しばらく何も聞こえなかった
「気のせいじゃなかったんだよね」
『音そのものは記録されています』
「もう一回鳴らないかな」
数秒
十数秒
結衣は動かず待った
すると今度は、先ほどより少し長い音が聞こえた
何か硬いものがぶつかったような音
その直後に、微かに別の音が続いた
「待って」
結衣は息を止めるようにして耳を澄ませた
「今の……声じゃない?」
『音声を解析します』
心臓が急に速くなる
AI先生の返事を待つ時間が長く感じた
『生物の発声である可能性があります』
「人?」
『距離があり、音声も不明瞭なため断定できません』
「でも行ってみたい」
『現在の道を維持し、周囲を確認しながら進んでください』
「うん」
結衣は歩き出した
さっきより少し速い
それでも走らないよう意識する
道は緩やかに下りながら、少しずつ木々の密度が低い場所へ向かっていた
「また聞こえた」
『はい』
今度はAI先生にもすぐ分かった
声のようなものが二回
何を言っているのかは当然分からない
それでも鳥の鳴き声とは違うように結衣には聞こえた
「近づいてるよね」
『音量は先ほどより大きくなっています』
「……いるかも」
期待すると怖くなる
もし人だったら嬉しい
でも、その人が自分に優しいとは限らない
結衣は無意識に胸元のスマートフォンへ手を添えた
「AI先生、先に見つけたい」
『相手より先に視認したいという意味でしょうか』
「うん。いきなり鉢合わせするの怖い」
『了解しました。前方の動体検出を優先します』
「お願い」
歩幅を小さくする
木の間から先を見る
道はそのまま続いている
少し先には明るい場所が見えた
「開けてる?」
『前方の樹木密度が低下しています』
「あそこまで行ってみる」
結衣は木の陰を利用しながら近づいた
別に隠れて忍び寄るつもりではない
ただ、相手が何者なのか分からないうちに、自分から広い場所へ出るのは怖かった
あと二十メートルほど
十五メートル
その時だった
『結衣、止まってください』
すぐに足を止める
「いた?」
『正面やや右、木々の間に移動する対象を確認しました』
「どこ?」
『約三十五メートル先です』
結衣は目を凝らした
木の幹の向こうで何かが動く
一瞬見えなくなり、再び現れた
「……大きい」
『四足歩行の生物を確認しています』
「人じゃない?」
『その対象は人型ではありません』
「そっか……」
一瞬落ちた気持ちは、すぐに戻った
その四足の生き物の横に、別のものが動いたからだった
「待って」
『はい。別の対象を確認しました』
結衣は瞬きもせず見つめた
木の間を横切ったそれには、頭があった
胴体から二本の腕が伸び、二本の脚で立っている
服のようなものも身につけていた
「……人?」
『外見上、人間に類似した身体構造を持っています』
結衣はその場で固まった
目の前の存在がまた木の陰へ消える
けれど、今度は見間違いではない
「人だ」
『現時点では、人間そのものと断定はできません』
「分かってるけど……」
声が震えた
「でも、人みたいだった」
『はい』
胸の奥が熱くなる
草原で目を覚ましてから、ずっと探していた
川を見つけた時も、人のものかもしれない痕跡を見つけた時も、期待してはまだ分からないと自分へ言い聞かせてきた
それが今は違う
歩いている
服を着ている
人の形をした誰かが、本当に自分の目の前にいる
「……いた」
結衣の口元が震えるように緩んだ
「ほんとにいた……」
視界が少し滲んだ
泣くつもりなんてなかったのに、目の奥が勝手に熱くなる
「よかった……」
小さく漏れた声を、自分でも止められなかった
AI先生がずっと話してくれていた
だから一人で歩いてこられた
それでも、生身の誰かが存在していると分かった瞬間の安心は別のものだった
「私以外にも、ちゃんといるんだ」
『はい。少なくとも人型の対象を一体確認しています』
「もうちょっと言い方ないの」
涙を指で拭いながら笑った
その時、四足の生き物がもう一度見えた
今度は全身に近い姿が確認できる
大きさは馬に近い
その後ろには、車輪のついた木製のものがあった
「AI先生、あれ」
『確認しています』
「荷車みたいじゃない?」
『車輪を持つ運搬用構造物に類似しています』
「じゃあ、あの大きい子が引いてるのかな」
『配置からその可能性があります』
人の形をした存在
荷車のようなもの
それを引いているように見える四足の生き物
森の中で見つけた屋根付きの休憩場所
ばらばらだったものが少しずつつながっていく
「もう一人いる」
『確認しました』
荷車の反対側から、別の人型の存在が姿を現した
二人目だった
「二人だ」
『現在確認できる人型対象は二体です』
「二人って言ってよ」
『人間であることが確定していません』
「真面目だなぁ……」
今度は少しだけ普通に笑えた
けれど、すぐに笑顔が消える
二人目の腰から、細長いものが下がっているのが見えた
「……あれ何?」
『詳細を確認します』
結衣は木の陰から少しだけ身体を傾け、胸元のカメラを向けた
『鞘状の物体に見えます』
「鞘って……」
嫌な想像が浮かぶ
「剣とか?」
『刃物を収納している可能性があります。ただし映像からは断定できません』
「そっか」
さっきまでの嬉しさが消えたわけではない
ただ、その中へ慎重さが戻ってきた
人の形をしているから安全とは限らない
それは結衣にも分かる
「すぐ出ていかない方がいい?」
『相手の行動を短時間観察することを推奨します』
「うん」
結衣は木の陰に留まった
胸がどきどきしている
早く話しかけたい
ここがどこなのか知りたい
助けてもらえるのか聞きたい
できることなら食べ物も欲しい
けれど焦って失敗したくない
「何してる?」
『一人は荷台付近で物体を移動させています。もう一人は四足歩行の生物の近くにいます』
「喧嘩とかしてない?」
『現在そのような行動は確認できません』
「こっち探してる感じは?」
『ありません』
結衣は少し安心した
さらに観察していると、一人が荷車から何かを取り出し、もう一人へ渡した
受け取った側が何かを言う
離れているせいで言葉までは聞き取れない
けれど二人が普通にやり取りしていることは分かった
「……行ってみようかな」
『接触する場合、敵意がないことを示すため、手に物を持たず、相手から見える位置で接近する方法があります』
「いきなり近くまで行かない方がいいよね」
『はい。十分な距離を残して存在を知らせる方が、双方が対応する時間を確保できます』
「どれくらい?」
『現在地から数メートル前方へ移動すれば、開けた場所から視認される可能性があります。その位置で停止し、相手の反応を確認する方法を提案します』
「それにする」
結衣は自分の手を見た
何も持っていない
胸ポケットにはスマートフォンが入っている
「AI先生はそのまま見てて」
『はい』
「何か変だったらすぐ教えて」
『可能な範囲で警告します』
「……よし」
大きく息を吸う
怖い
でも、それ以上に会いたかった
結衣は木の陰から一歩出た
まだ相手は気づかない
もう一歩
開けた場所へ近づく
そこで止まった
「……すみませーん」
思ったより小さな声しか出なかった
「いや、聞こえないよね」
喉を整える
今度は少しだけ大きな声を出した
「すみませーん!」
二人のうち一人が顔を上げた
「あ」
目が合った
結衣の身体が固まる
相手も動きを止めた
もう一人も何かに気づき、こちらを見る
「……気づいた」
『はい』
「どうしよう」
『急な動きを避けてください』
「うん」
結衣は両手をゆっくり上げた
何も持っていないことが分かるように、手のひらを相手へ向ける
すると一人が何かを言った
声は聞こえた
けれど意味が分からない
「……え?」
もう一度、相手が話す
結衣は一生懸命聞いた
一つくらい知っている言葉がないか探す
英語でもない
少なくとも結衣が聞いたことのある外国語には思えない
何を言っているのか、本当に一つも分からなかった
「AI先生」
相手から目を離さないまま、小さな声で呼ぶ
『はい』
「今の分かった?」
『いいえ』
「……そっか」
『既知の言語との一致は確認できません。音声記録を開始しています』
「覚えられる?」
『十分な発話例と、発話された状況や対象との対応関係を取得できれば、意味を推定できる可能性があります』
「じゃあ全部聞いといて」
『記録を継続します』
すぐには話せない
それでも、何もできないわけではない
結衣は相手を見た
向こうもこちらを見ている
困ったような顔をしているようにも見えた
「……えっと」
日本語が通じないことは分かっている
それでも黙っているよりはいい気がした
「こんにちは」
自分を指さす
「結衣」
もう一度、自分の胸元を指す
「ゆ・い」
相手は結衣の指先と顔を交互に見た
何かを言う
まだ意味は分からない
けれど今度はAI先生へ答えを求めなかった
すぐに分からなくてもいい
聞いて、見て、少しずつ覚えればいい
火を作った時と同じだった
最初から全部できなくても、試して、失敗して、そのたびにAI先生と考えればいい
結衣は緊張で強張っていた頬を少しだけ緩め、もう一度自分を指さした
「結衣」
異世界で初めて出会った誰かへ、自分の名前を伝えるところから始めることにした
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます!
もしよかったら感想などいただけると、とっても嬉しいです…!




